FIND A WAY ♪
一筆日記を書こうかな… などと 呟いたにもかかわらず(滝汗)
なーんてね、とか、まーどうなることか(*´∀`*) とも書いたけどσ(^◇^;)
日記としては、あまりにも空きすぎてますね(反省)

いざ、と思ってもなかなかPCに向かえなく時は過ぎ…

記録に残せなくても、毎日自分なりの目標に向かって頑張ってましたよ~♪

て、ことで、先週までの記録。
開始は10月23日(月)からだったけど、それまでやってみての運動力やカウンセリングをしてからマイメニュー組んでくださって取り組むようになってからの記録です。
f0324510_10191726.jpg

ラストの一行のメニューは、説明を担当してくださったなかで唯一の女性スタッフさんがお薦めしてくださったもの。
組まれたメニューには、入ってなかったので自分で追加してやってます(o^^o)
ちなみに、担当者となってくださっている方は息子のような若い男性スタッフさん。


初めは自分の感覚と体の動きのバランスがとれず、おや~?って感じだったけど
続けるうちにしだいそのバランスも安定してきました。

ウォーキングも今では半分はランニングです♪
少しずつテンポを速めていたらランニングになったという(*゚∀゚*)
自分の身体の調子を確認しながらのマシンでのトレーニングは、数字での表示で目安を計れるので、無理しすぎず少しだけ前よりUPすることができていい感じ♪
う~ もうこれで無理かも~ って思っても、3分間を終える頃には、もう少しいけるかも?って(^▽^)




この曲をリピートしながら汗かいています♪



初めは全行程で聴いていたんだけど…
そうしてたら、ついつい頑張り過ぎちゃうので
6回目頃からテンポの違う曲をその日の気分で変えながら
ランニングマシンのときだけこの曲で励ましながらやってます♪





✿✿✿

お気づきの点がございましたら 
sakura8sakura@excite.co.jp へ、よろしくお願いします。 
<(_ _ )>



*****


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# by sakura8sakura | 2017-11-12 10:51 | 日常
梨木香歩『私たちの星で』で思索する。
あなたは今、この星のどこにいますか
 世界への絶えざる関心をペンにして、綴られ、交わされた20通の書簡

私たちの星で

梨木 香歩,師岡カリーマ・エルサムニー/岩波書店

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2017年9月7日 第一刷発行

初出『図書』2016年6月号~2017年8月号掲載


何か道があるはずだと思うのです。
自分自身を侵食されず、歪んだナショナリズムにも陥らない「世界への向き合い方」のようなものが、私たちの日常生活レベルで
(梨木香歩)

文化はそれ自体が重層的に融合した異文化の結晶であり、個人はその多彩さを映す鏡であると同時に、それぞれ尖ったり曲がったり濁ったりして、どこかに新しい色をもたらす要素となればいい、たとえはみ出しても、地球からも人類からも雫れ落ちることはできないのだから……
(師岡カリーマ・エルサムニー)



✿ この本を読んで受けた率直な私の感想を書きながら考えてみたい。


梨木香歩より 師岡カリーマ・エルサムニーへ
 1.共感の水脈へ
果歩さんの、祈りのような言葉に感極まります。
錦織圭選手の快進撃に沸く日本の偏狂な報道の在り方に、現在の日本国民の自尊心の裏返しのようなものを、その空気の中に感じとられている文章を読み「なんだこれは?」と、当時、私が感じた不快感がそれだったのかと腑に落ちた。


師岡カリーマ・エルサムニーより 梨木香歩へ
 2、行き場をなくした祈り
「ネドイルコ(わたしたちはあなたがたのために祈る)」ムハンマド・ムフスィンが歌う革命の挽歌
誰かのために祈る、とは、「シュクラン(ありがとう)」という出来合いの挨拶では表現しきれない深い感謝を表す言葉です。

ISによる風評被害、その現場に立ってみると報道されているような雰囲気はなくても、過剰な報道が観光客の数を減らしていた。

先度(2017・9末頃)、北朝鮮のミサイル発射の報道時、娘に「グアム行きをどうするの?」と訊いた。娘は「本当に危ないのであれば渡航禁止になるだろうから」といって出かけた。帰ってきて「どうだった?」と訊いたら。「前回行ったときと現地は変わらなかったよ。ただ、ちょっと観光客が少なかったかもしれないな?」程度だったとのこと。
このことと、同じようなことなんだろうな…と、傾きすぎる仮想の報道の影響に恐ろしさを感じた。

批判めいた発言をすることに、自国のことの時と他国のことの時とで、双方の自分の立ち位置を考えてしていると話されている。
そこには、反対することが傾きすぎる報道や批判への危機感を、カリーマさんが肌で感じているからなんだと思った。


梨木香歩より 師岡カリーマ・エルサムニーへ
 3、変わる日本人、変わらない日本人
安保法案反対集会のデモに参加していた果歩さんが、その時の空気肌で感じたことを書きつつ、イメージしていた一昔前の「デモ」とは明らかに違っていた。と話している。
それはこれまでに少しずつ変化してきた日本人が、その違いが自意識に上がってくるためには必要だった「ハレの舞台」だったのでは、歴史の流れの中の必然の一点(通過点)であったのだろうか、と。
カリーマさんのように、闘争とか戦乱とか現実味を肌で感じることがない私たちが、ともすれば気づかないまま世の流れのまま過ぎてしまうことを、このデモに参加してはじめて今起こっている事の重大さに気づくことができたことにも意義があったのだと思った。


師岡カリーマ・エルサムニーより 梨木香歩へ
 4、渡り鳥の葛藤
果歩さんの「共感の水脈を目指したい」との言葉をよんで、カリーマさんの胸がチクリと痛んだことへの共感がわく。
「共感の水脈は果歩さんの到達地点ではなく、果歩さんが立つところには共感の水脈が生まれるのだろう」とのカリーマさんの見解に。
本当に…… 自分の意志をしっかりと持って且つバランスを保ちながら歩む梨木香歩さんに教えられる事がたくさんあるよね!カリーマさん。と共感し合いたい(*´∀`*)


梨木香歩より 師岡カリーマ・エルサムニーへ
 5、個人としての佇まい
まず、えっ?果歩さんもカリーマさんも共同体が苦手だったの? 個人としての佇まい、というタイトルを見つめた私。

「It's not fair !」と叫び続けてどうにもならなかったからではない?と優しくカリーマさんの心に寄り添い、そうならざるを得なかったことに対して自分を卑下するカリーマさんの思考を転換する言葉掛けをしている。それは、単なる慰めなのではなくカリーマさん本人が気づいていなかった長所なんだと伝えている。

果歩さんは、報道されることだけではなく、その人の背景、つまり、生きてきた過程やそれによっての感じ方の違いや言動を見ようとしている。全ての人のそれを見ることは出来ないけれど、そういうことがそれぞれの人にあることを忘れさせないでいてくれる。
私もまた、お二人と同じように「共感の水脈に立てる」と言えるようになりたい。


師岡カリーマ・エルサムニーより 梨木香歩へ
 6、人類みな、マルチカルチャー
前回の果歩さんのお手紙に対して、カリーマさんがご自分の幼き頃の様子を伝えています。
国、宗教、思想、と異なることによって違うこと。だけど、その違いを認め尊重し、一個人(人間)として関わりあえば、人間の生み出した文化はもっと活きてくるのではないか?と思えた。
 「……たとえはみ出しても、地球からも人類からも零れ落ちることはできないのだから……。」とのカリーマさんの言葉が響く。
「個人としての佇まい」その在り方を私も探索したい。


梨木香歩より 師岡カリーマ・エルサムニーへ
 7、繋がりゆくもの、繋いでゆくもの
果歩さんが、コンゴの難民の人びととの集いで彼らの食文化を見聞きして、自分にも食から繋がる原風景があることその記憶が貴いと言う。
前回のお手紙への返信をひとつ、幼い日のカリーマさんのなかには、アブケイが作る料理の中に彼女という個人と民族の歴史が映し出されて――どこにいても、そこに満ちる光のように――いたのですね。 そして、カリーマは、その光に内包された安らぎと精神性を、「宗教的原風景」として記憶されている……。それは個人の核心に刻まれた、動かしようのない針路のようなものなのでしょう。と推測され、言葉ではなくその原風景を伝えることで感じて欲しいというカリーマさんの心を、ムスリムホームの温かさを、肌感覚で伝えていただいた思いです。と、記されている。それこそが、人びとの心に「繋がりゆくものであり、繋いでいゆくもの」なんだと教えてくれる。


師岡カリーマ・エルサムニーより 梨木香歩へ
 8、オリーブの海に浮かぶ バターの孤島に思うこと
前回の果歩さんのお手紙の続きで対話しているような、食文化のお話(笑)
桜の季節のお手紙が、花より団子的な内容だったことに、「うーん、さすが。これぞマルチだわ、とまぶしく裏切られました。」との言葉に笑ってしまった。(カリーマさんの大好きな本だという『岸辺のヤービ』を読んでみたい!)
所変われば変わる食文化、だけど近隣する土地では交わっている境界部分があるんですね。それは、土地だけではなく歴史上にもある。
果歩さんの「繋がりゆくものであり、繋いでいゆくもの」を思索して、「時を超えて縦に繋いでいく意志的な能動性と、隣人と横に繋がっていくオープンな受動性。しなやかにそのバランスを取る姿勢を大切に……。この解釈、合格ですか?」とお手紙を終えている、カリーマさん。その言葉に賛同!!!


梨木香歩より 師岡カリーマ・エルサムニーへ
 9、今や英国社会の土台を支えている、そういう彼らを
飛行機の遅れによる混乱時の様子、各々お国柄が現れる怒り方!詳しくは端折ります、と書かれる。同じよう、タクシーの運転手さんの言動から推測した。これまでカリーマさんから聞いていた話やカリーマさんのお人柄から、きっとエジプト人だろうと……。友好的に感じていた梨木さんにそのタクシー運転手はこう言う「全部のムスリムがそうだというわけではないよ、ほら、五本の指は皆違う」、と言いながら片手を上げ、そして裏表もある、と、手のひらをひらひらさせます。そう言いつつも、アンラッキーなことでもポジティブな捉え方をしていると話す。そして、別れ際には優しく励ましてくれる。
彼はやっぱり友好的なエジプト人だと、梨木さんは確信したんだと思う。そう願ってカリーマさんにそうじゃないかな?と問うたのだろう。

いい面で捉えた○○人、悪い面で捉えた○○人。善くも悪くもそういう感覚が植付けられていることが多い。
このタクシー運転手のようにロンドンで働く人の中には英国人でない人達も多くいる。
この朝、英国EU離脱決定のニュースが飛び込んできたのです……。
このあとに続く言葉にならない梨木さんの嘆きのつぶやきを聞いた思いがした。


師岡カリーマ・エルサムニーより 梨木香歩へ
 10、境界線上のブルース
「空港は人の最悪の顔をあぶり出す」私自身様々な旅の修羅場をくぐってきた末の結論です。から、始まるお手紙。
そして、こうして、飛行機をめぐるハプニングから脱出する頃にはいつも、人間不信と自己嫌悪が入混じって血管の中はドロドロドロドロ、心身はズタズタというのが私の常なので、同じような修羅場にあっても、人の優しさや可笑しさといったすべてを肯定的に受け止め,白い光に包まれたまま生還する香歩さんのオトナぶりに脱帽です。という。(*˘︶˘*).:*♡

先入観からくる偏った見方、気をつけていなければ無意識にそういう感情が働くのが人間なんだろう。
それを、ちゃんと踏まえて生きる梨木さんはカリーマさんにとって「白い光に包まれた」そんな存在になっているのだろう。
梨木さんから学ぶことは多い!ほんとうに…。
「社会の土台を支えている」多くの移民たちが、生きにくい国にならないことを祈るばかりです。人種差別問題等を肌で感じ生きてきたカリーマさんだからこそ、こう名づけた「境界線上のブルース」とは巧く言ったものだ… 哀しいかな……。


梨木香歩より 師岡カリーマ・エルサムニーへ
 11、あれから六万年続いたさすらいが終わり、そして新たな旅へ
違う文化を拒絶せず黙って受け入れた経験を、たくさん持てば持つほど、ひとの「寛容」はどんどん鍛え抜かれていき、そのことがきっと、私たちを「同んなじ」家族(趣味嗜好が違うおじいさん世代、孫世代が互いに干渉しない、でも互いの存在は認めている、という理想の――)にする、という観測は、あまりにもナイーヴな楽観主義でしょうか。
でも今現在、目を覆わんばかりの殺戮が起こっている世界の一方で、全く違う次元の、あらゆるヒエラルヒーから自由な、「同んなじ」になろうムーヴメントが――やってくる本人も意識しないところで――起こっているような気がしてなりません。この二、三十年、特に。
もちろん、文化と文化が出会うときには摩擦や衝突が多いわけですが、それだけじゃない。Jのような人びとの存在とか、ムスリムのタクシー運転手さんたちとか。
殺戮をやめさせるために新たな殺戮を重ねていく愚行よりも、そして核をちらつかせて脅しに使おうとするよりも、まずその、「違う文化がそこにあることを、とりあえずは認めよう、そしてできれば受け入れよう」とするムーヴメントの強化の方が、遙かに抑止力になるのではないかしら(今ここで唐突に、柏木哲夫さんが作られた川柳、「腹割って 話してわかった 腹黒さ」というのが浮かんだけれど、まあ、そういうのは、個々人の次の課題として)。

人類がアフリカ大陸から世界へ旅し始めたのが六万年前、その頃はみんなほとんど「同んなじ」「ひとつ」だっただろう、と。
世界中の隅々まで辿り着いて「地に溢れ」そして、皮膚の色、体つき、顔つき、文化、多種多様な花が咲き誇るように多様性を極めた。
ここが極相なら世界はこれから、ゆっくりと、もとの「ひとつ」「同んなじ」に戻ろうとする流れに入っているのではないかと思うのです。と梨木さんは推測する。
それは、退歩ではなく、様々な色合いを持った糸が、交通や通信の影響で、より密接になることによって、ゆっくりと織られ、一枚の布になっていくそんな「進歩」。そして、そういう時代に個人にできるキーワードなるものは「寛容の神髄」そして、それにはそれぞれの「寛容」を鍛え抜き、洗練された寛容にしていくことが、この旅を乗り切るための必須アイテムになる……のではと。

梨木さんの祈るような願い、人間のもつ寛容の心への希望的観測ではあるが、わたしも同じように思う。

輪廻転生を脳裏に浮かべて世間を観ているのかな……。


師岡カリーマ・エルサムニーより 梨木香歩へ
 12、ジャングルに聞いてみた
梨木さんの推論に、多彩を極めるのに六万年しか要さなかったとしたら、人間は同んなじではいられない性分なんじゃないか?との逆説。
人は、今も異質を嫌い、同化を謳い、他者を排斥せずにはいられない。この矛盾はどうすればいいのでしょう。と……
考えるうち眠れなかったカリーマさんが、その時、生まれて初めて、雨の降る直前の静寂と降り始めた瞬間の雨音の境目を意識的に聴いた。耳を澄ますうちに心が安らぎ、まもなく眠りについた。
この経験から、人間より自然にもっと耳を傾け、繋がろうと欲求が湧いてくるのを感じるのだそうです。

「タ・プロム」を目の前に、カリーマさんの自然への畏敬の念と自然の包容力の様を観て、香歩さんの「寛容を鍛える」という名言が美しくすくっと脳裏に浮かんだのでしょう

偉大な自然を前にすると人間のちっぽけさを感じることができます。
何をそんなちっぽけなことに目くじらをたてて……と(わたしの実体験デス)

先日、読友さんが教えてくれた、「人類史は、地球史のほんの一瞬」という言葉が思い出された。

「カンボジアの森と対話してみたら、不可能が可能に思えてきました。」との言葉に、カリーマさんの笑顔が浮かんできた。


梨木香歩より 師岡カリーマ・エルサムニーへ
 13、名前をつけること、「旅」の話のこと
「タ・プロム」で出会った木は、「Tetrameles nudiflora」であろうと調べたが、和名はないと知る。
「名前はまだない」という現実があることに、ほうほうと感じ入った梨木さん。
見分できないものには名前がない、つまりその言語が支配している世界では存在しないも同じ。固有名詞だけでなく、昔から名は知らずとも確かにあったに違いない抽象的なものにも、その名前を知った途端に、それがあたかも今までになかった局面を切り開いて見せてくれるような気がすることがあります。

これって、新たな捉え方をすると…と言えます。
木が遺跡の中に侵入している状況を、木が崩れそうな遺跡の面倒を見ている。と、捉える見方をすると一変に様変わりする。
歴史の流れのなかの一通過点に起こったことも、そういう見方を変えることで前に進んでいくことができるように思います。
世界に起こっている諸問題は、さまざまな事情が絡み合っているから、そんな単純なことではないかもしれないけど… 
異教徒がつくったこの教会をちょっと手直しして(^^;)使用すること「ゆるさ」のように、その中のひとつからでも寛容になれたら、世界は変わるかもしれないね。


師岡カリーマ・エルサムニーより 梨木香歩へ
 14、信仰、イデオロギー、アイデンティティ、プライド……意地
前回の香歩さんからの手紙の後半に書かれていた、激しい拷問にあっても信仰を放棄しなかったキリシタン。「こういうことを強固な信仰心と呼んでいいのかわからない」について、カリーマさんもわかりません。と、ただ、全知全能の神を信じるなら、こうも信じられるはず。たとえ口ではキリストを放棄したとしても、心の信仰は無傷だと神は知っている、そして許す、と。
信仰は神でなく人のためにあると思うのです。神は人を必要としませんから。人と神との関係を司る精神の領域である信仰が、人と世界との対峙を司どる自我の領域と重なったとき、信仰はイデオロギーとなり、自己定義のアイデンティティとなり、どんな責め苦にあっても譲れないプライドとなるのかもしれない。周囲を見ているとそう思えるけど、それではナショナリズムと違いません。何かが違うはずなのだけれども。
結局私にも、わからない。命を棄てるほどの信仰心もまた、一部の人が持って生まれた素質だから。私には測り知れないけれど。私に与えられた使命はきっと別の次元にあるのでしょう。

非情に難しい質問へ真摯に答えるカリーマさんに頭を垂れる思いがしました。
信仰、それは、それぞれ個人にあって他者が介入すべきことではないとわたしは思います。
他者にそれを強いることが争いの元になっていることが多い、わたしは命ほど尊いものはないとの大前提のもと他者を認め許し合える接点を見つけていくこと、互いの許す妥協点、まあ、点は厳しいですから妥協ゾーンかしら、から始まり終わる気がします。
その反対の思考が、カリーマさんが題した、信仰、イデオロギー、アイデンティティ、プライド……意地となってしまうということなんでしょう。

《 ちょっと語句の確認 》
イデオロギー:「信念や思想の体系」という意味の言葉です。体系とは「論理的にまとまった知識の全体」という意味の言葉。
アイデンティティ:自分が何者か認識すること。自分らしさ。個性。
プライド:誇り。自尊心。
意地:自分が思ったことをどこまでもやり通そうとする気持。


梨木香歩より 師岡カリーマ・エルサムニーへ
 15、日本晴れの富士
カリーマさんの見解について梨木さんは最後の一言を赤字のように書きかえました。
人と神との関係を司る精神の領域である信仰が、人と世界との対峙を司どる自我の領域と重なったとき、信仰はイデオロギーとなり、自己定義のアイデンティティとなり、どんな責め苦にあっても譲れないプライドとなるのかもしれない。周囲を見ているとそう思えるけど、それではナショナリズムと違いません。何かが違っていてほしい。

根っこの部分に戦中の「贅沢は敵だ」的なレベルのことが、恐ろしいことに、宗教がらみの場で、「信仰」の問題と名づけられて、他者への強制や自分自身への縛りとすり替わっているのだとしたら。きっと、信仰に意地が入り込んできたとき――「意地」は何かを意識したときに発生するものだから。それはきっと、おっしゃるところの信仰が「人と世界との対峙を司る自我の領域と重なった」とき――それは本来の信仰とは違うものに変容し、その途端、スイッチが入ったように何かが(意地、かしら?)加速するのでしょう。
愛国心だってそうなのではないでしょうか。自分の国を愛し、日本の富士山は素晴らしいと思う気持ちは私にも素朴にあります。そこに序列化欲求、優越欲求が入り込んで意地が加速すると(ヘイトスピーチなど)ああも見苦しいことになる。そうなったらそれは、国粋主義。自分の変容スイッチの在処を意識し制御するのは、各々の内的な作業に任される。

真摯に向かい合ってくれたカリーマさんへ、真摯に答えた梨木さん。
お二人の根底に流れている思いは互いの思いを尊重し、理解し合う親和性。

アラブ人とユダヤ人が出会ったとき、お互いすぐさまそのことを名乗り合う(宗教の違いがあることを認識する)そこからまずスタートする。カリーマさんとユダヤ人作家Sさんとの出会いもその一例であると思う。

Sさんとカリーマさんの出会いは魂の邂逅とも言うべき出会いだったのだろうと梨木さんは言う。
そういう邂逅に恵まれると、群れの生きものであることの恩寵を思います。こういうintimacyの中でしか得られない安らぎというものもありがたいと思います。

intimacy ―― 親密さが醸成されること。

梨木さんの替え歌♪ なるほど~ 女性目線だね
富士山はただそこに在るだけなのだ、強いて擬人化して歌うのであればこうかな?大声で歌って気持ちよかったですって.:*♡

 梨木香歩作詞「富士の山」
 「あたまを雲の 上に出し 四方の山を 見守りて かみなりさまは 下で鳴る 富士は日本晴れの山」


師岡カリーマ・エルサムニーより 梨木香歩へ
 16、今日も日本晴れの富士
うふふ、題名をみてほくそ笑みました。
カリーマさん、梨木さんに感染してきた!これって素敵なことだと思っている私です。
大好きな梨木さんだったらどうだろう?と考えてみると言うこと。
戦中の「贅沢は敵だ」的なレベルのことが…… を読んで、以前の自分の認識に同様なことがあったと思いかえして反省するカリーマさん。そうして、梨木さん目線を覚えていく♪

富士山繋がりで……

日本人でも外国人でも、優美さと威厳を合わせ持つ富士山に魅了されない人はいません。富士山を愛でるに相応しい人類でありたいという共通の畏敬の念を呼び起こす力がその姿にあって、そういう感情の共有が国籍や言語を超えたものであるとき、そのつながりを確かにするために、人びとは微笑みを交わすのかもしれません。そんな「霊力」が富士山にもありますね。

地球の反対側から人々を引き寄せる巨大な存在がすぐそばにあると、心は寛大になります。これこそ愛国心の定義であるべきですね。
世界を魅了する富士山に恥じない世界人を目指して。
と結んだカリーマさん。

梨木香歩より 師岡カリーマ・エルサムニーへ
 17、母語と個人宗教、そしてフェアネスについて
新約聖書のマリアとマルタ(ルカ10:38-42)にある「どうしても必要なことは一つ」というところに、one sourse of dish necessary (一皿の料理なり)と自分の聖書に書き込んだ女性がいる。ナイティンゲール
したたかに政治的で、どこまでも真摯で、宗教性の深さと高みを追求した彼女の信仰――思想や哲学というよりもっと切迫した、個人宗教、だと私は思うのですが――を生き抜くために。
前回のお手紙の中に書かれてあったカリーマさんの気づきに梨木さんは「瞠目しました。」という。
映画「あなたを抱きしめる日まで」の修道女の態度に不寛容な意地悪めいたものを感じがっかりする。けれど今思えば、修道女なら我を棄てて万人を赦せ」という自分の要求もまた残酷なのではないのかと。たとえ修道女であっても、その人の持って生まれた資質や誰も知らない葛藤がある。宗教が矯正できる欠点もあれば、できない欠点もある。―(略)―その人の信仰故にあるべき姿を基準その人の行いを裁くのは、必ずしもフェアではないということ」

 さて、人が宗教を必要とする理由の一つに、被造物である自分が肉体的に有限の存在であることをどう納得するか、と言うものがあると思います。と話されていく……

古語、母語、自分が育ってきたなかで使われていた言葉
母語のような言葉には、理屈ではなく腸の奥から、脳の最も原始的な部分から、存在そのものへ働きかけ納得させる力がある。
その力を信じ、過ぎてゆくときのなかでまた遠ざかれば喚び起し、「死」を、自分のもともと在った状態へと「治されていく」ベクトルにあるものとして見つめ続ける。
 そういう日々を、生きること。
カリーマ、これが今のところ、私という個が行き着いた、小さな個人宗教。

どういうことか…考えてみた。
何を信じて進んでいくか?自分が育ってきた原風景のなかにある良心的なものを原点に、常に自分がどう感じているかを見つめ続けながら、その自分に反さないで生きていく。梨木さんの言う小さな個人宗教とはそのようなことではないのだろうか。

――いつもいつも、本来友人間でもタブーの信仰について聞かせてくれと迫っていることを、心苦しく思っていたので――これはささやかな私のフェアネス。

カリーマさんへの信頼の証なのでしょう。


師岡カリーマ・エルサムニーより 梨木香歩へ
 18、誇りではなく
攻めたり攻められたり、歴史を顧みると被害者国であり加害者国でもあった。
そんな中で、言語と宗教を守ったと自負する国。
しかし、捉え方を変えると、言語と宗教を維持できたのは、敵国にそれを許した敵であったことに感謝する。
だから、「誇り」ではなく「感謝」なのだと。
対立し合う土地(国)の人々、アリーとニノ(多民族の象徴とも言える小説の主人公)のように
愛ゆえに譲り難きを譲り合い、誇りや意地ゆえにたくさんの無駄な血を流しながら、なんだかんだ言って同じようなものを育んできた。
その延長線上に私たちも存在するということに、感謝。
と、結んだカリーマさん。

移民…多民族… 経験などない私には計り知れない過去の記憶がそれぞれにあるのだろう。
多民族多宗教の境界の狭間で育ちその関係性を肌で知るカリーマさんは、『アリーとニノ』小説に出会いジョージア人のタソさんの言う話にこう気づいたのだろう。
そこには、立場を変えれば同じ境遇を同じように過ごしてきた歴史の延長線上に私たちは存在する、ということに意識をもっていくことが互いにフェアネスに在ることができると。そうすると感謝の念が湧く。


梨木香歩より 師岡カリーマ・エルサムニーへ
 19、感謝を!――ここはアジアかヨーロッパか――
早いもので、この往復書簡を始めてから一年半が過ぎ、とうとう(わたしからとしては)最後のお手紙になってしまいました。から始まる。

ドラスティックな気象の変化にわくわくと待ち望む気分があります。その本質は自分が密かに「不穏さ」を、――つまり非常時を――好んでいると薄々気づいていた。と、自己分析する梨木さん。
子どもの頃に台風が来る!との天気予報を聞いたとき、当時の私がもった感覚と似ているのではないだろうか…

けれどこれを、不穏さや非常時を好む、ではなく、現状への慣れや停滞を嫌う、という風に言い換えたら、そのこと自体は後ろめたく思うほどのことではなく、日進月歩の新しい局面を追求した結果の、科学技術の進歩をも生み出してきた「進取の気性」とも取れる……。
その視点で見ると、何かに「慣れている」状態は、「停滞している」「遅れている」ように見えるのかもしれません。


戦争終結直後、混乱と無力感のなかから恒久的な平和への渇望と情熱を持って、どれほど真剣に平和憲法が討議されたか、知ったときこそ感動しても、時が経つと次第にそれに慣れ、「新鮮さ」を感じなくなり、新しい局面にこそ活路があるような気がしてくる、人びともいる、のでしょうか。
充分に準備して立っているであろう国会の場でさえ、共謀罪の何たるかも説明できずにいる法務大臣を見ていると、立法に携わることの真剣さは、変化して欲しくない、としみじみ思うのですが。

ここで梨木さんは、憲法九条のことに触れられているのかな?と感じた。


以前、『1945年のクリスマス』という本を読んだときにこう感じた
終戦後の日本に再び降り立ったベアテ・シロタ・ゴードンさん。
憲法草案をつくることに尽力された方の思いを知ったとき、この憲法を作るにあたって、この国の女性が幸せになれるようにと。
草案の作成に携わった人達の「この国を平和な国にしたい」、との思いが彼らの心底の思いであったことを知った。
梨木さんの言うように、その直後に感じた思いを体に刻んだであろう年齢の人達が、「改憲反対!9条を守れ」と声を上げている事実をもっと大切に取り上げなければならないのではないか?とわたしは思っている。

自分の背骨に「プライド」が入っているひとは、容易に感謝できる。そうでないひとは、自分の「感謝」が「卑屈」に結びつくを恐れるあまり、それができない。「感謝」は自分自身にプライドがなければ、何食わぬ顔をして卑屈の側に行きがちな質(たち)なので。
背骨にないプライドという成分は、鎧のように外骨格(!)に形成され、外から見えやすく――それは外気に触れて自慢や驕慢、傲慢に変化しやすい――ようやく体をなし「立って」いる状況……。
それは国そのものにも言えますね。背骨にプライドが入っていたら、いちいち誇示してみせなくても立派に「立って」いけるはず。

安倍総理にそっくりそのまま伝えたい言葉だわ!!!

……あららカリーマ、まさかこんなふうにカジュアルに終わるつもりはなかった、なのに現実の厳しさよ、終わらねばならないのです!
心からの、感謝を!
と締めくくっている。

初出『図書』2016年6月号~2017年8月号に掲載のこの「往復書簡」。
最後に、この内容が書かれたことに、梨木さんの強い意思表明があったのだと思いました。

ああ、この最後の言葉の前には、ちゃんと別のお話が入ってますよ^^;
17,8年前にロンドンであった梨木さんのハプニングの話をね^^
「ルールはちゃんと守らなくてはいけませんよ!」と ♪



師岡カリーマ・エルサムニーより 梨木香歩へ
 20、ジグザグでもいい、心の警告に耳を傾けていれば
「不穏な天気」について同感の旨を書かれたあと
そんなワクワク感に伴ううしろめたさも。頭上に屋根があるから安心して楽しめる自然のスペクタルも、屋根がない人には災難なのだということを、「忘れるなよ!」と私たちの心は警告しているのでしょう。この屋根が、いつかなくならないという保証はないのですから。

カリーマさんが中学三年生の時に起こった、中央治安部隊という軍事組織が反乱を起こしたときの状況を書いてくださっています。
 学校の授業は中断、校長先生自ら教室を周り、即刻帰宅するように命じる。
 同じ学校の小学部にいる妹を教室、校庭と必死で探し、動くか動かないかわからないスクルバス……大きな不安を胸に探し回ったのを覚えていますと。
 門外は大勢の児童とその親で大混乱、車道に出ると、見慣れない戦車が走っていたこと。
 そしてもうひとつ鮮明に覚えているのは、この非常事態において、スクールバスは動かなかったけれども、ちゃんと妹を探し出し、その手を握ってしっかりとした足取りで家路に急ぎ、自分もそれなりに立ち向かっていることから来る充実感のような、下手をすればその不安な中にもその瞬間を楽しんでいるような、不思議な感覚が湧いてきたことを。
 今思い出してもぞっとします。
 過ぎてしまえば、私個人にとっては大した非常事態ではなかった。
 だからこそ、我が身はおおよそ安全だったからこそ、感じていられる余裕があった贅沢な興奮。
 ぞっとするでしょう?
 これは、政治家や軍人が絶対に自らに許してはならない、何よりも警戒すべき感情だと思うのです。

 きな臭い地域情勢に過剰反応してさらに相手を刺激するような言動も、平和を前提に作られた法制度をもっと勇ましいものに変えたいという思考も、自分の上には屋根がある、自分の上には火の粉は降って来ないという安心感があるからではないでしょうか。
 でもそんな安心感は幻想でしかないと心が知っているのは、政治的に不安定で、いつ足元が崩れるかわからない中東で育った私だけではないはずです。
 政治家の方々にはもっと想像力を鍛えて、例えば「共謀罪」の趣旨を含む法律の理不尽な矛先が、自分に向けられる日がいつ来るかもしれないということを、忘れないで欲しいと思うのです。

 「共謀罪」以外にも、改憲に向けた動きや安全保障法制など、戦前回帰を懸念する声が日に日に高まっています。
 個人の自由と尊厳を守る民主社会を目指して戦後勝ち取ってきた進歩を、日本人みずから返上するようなことが本当にあり得るのでしょうか?
 欧米諸国と「自由・人権・民主主義の価値観を共有している」ことを頻繁に強調し、先進国であることにこれほど誇りを持っている日本の政治家が、みずからの手で人権先進国から後進国へとこの国を格下げしてしまうことが、あり得るのでしょうか?



 ヘーゲルの弁証法はたしか、こんな話だったと記憶しています。
 「正」は己の中に、それを否定する「反」を含んでいて、「正」と「反」の対立から「合」が生まれる……。
 二十世紀の歴史や、ここ数年の世界情勢と照らし合わせ、今になって「ああ、そういうことか」と解った気になると、サラーハ先生に会いたいなあ、なんて無性に懐かしさがこみ上げてくるのですが、人類の歩みが一進一退のジグザグなら、ちょうど今は反動の曲がり角なのかもしれません。


 シェークスピアのソネット六十六番(高松雄一訳)を読むと、今の社会に当てはまることも多いけれども、少なくとも日本はもうそこまでひどくはないと安心できる部分も、確かにあるのではありませんか。
 あら不思議。
 悲観主義の私でも、不正には厳しくとも自然と人には温かいまなざしを注ぐ香歩さんに語りかけていると、いつのまにか楽観的になってきます。
 そんな香歩さんのように、私もありたい。
 だから往復書簡を通じて生まれたこの友情が、末永く続きますように。


カリーマさん本人が言うように、一年半の年月をお手紙を通じて、梨木香歩さんという人柄にふれ変わっていくカリーマさんが見えてきました。^^
最後の香歩さんのお手紙から、書かれた文面以上に香歩さんの心を感じとられたカリーマさんの、渾身の返信だったように思いました。
全部ではないけれども、たくさん引用をここに書き綴ったのは、そんなカリーマさんの心を私が感じとったからで……
(私が勝手に感じた)その思いを乗せた文面を読みながら涙が溢れました。

カリーマさんが言うように、心の警告に耳を傾け続けていこう。



あとがき ――往復書簡という生きもの 梨木香歩
イスラームのことを学びたい。
できることなら往復書簡の形で学ばせていただきたい。
それが私自身にも読者にもイスラームと親しくなる方法の一つではないか、との思いで始まったこの企画。
梨木さんの深い思いを知った。これまで以上にわたしの尊敬する人となった!

一通一通、読み考えてきたことが、果歩さんの視点と言葉で纏められていた。
こっちから読めばよかったかなぁ…と思ったくらい( ̄∇ ̄)
いやいや、互いに交換し合う往復書簡を、その流れを含めて読んできたからこそ、この果歩さんの言葉がいっそう強く胸に響いているのだ!と思う(`・ω・´)キリッ

うそがつれてきたまこと ――あとがきにかえて 師岡カリーマ・エルサムニー
突然「うそ」のように舞い込んできた梨木香歩さんとの往復書簡のいう形での連載のお話
ご参考にと送られてきた『海うそ』
梨木さんの文章を読みにつれ、格の違いを思い知った、こんなすごい人と往復書簡なんか成り立つのかと怖じ気ついた、と言う。

梨木さんがイスラームの宗教を知りたいとの思いがあることを知って、それこそ、言葉で語ることのできない。
移ろいやすい心の領域である信仰と、自己と神との関係を、どうして活字にすることができよう。

しかし、5、「個人としての佇まい」に書かれた香歩さんの問いかけによって
新たな一歩を踏み出すべき方向性が見えてきた。
誰として書けばよいか迷いがあった往復書簡はやがて、わたしたちの星で、今をどう生きるべきかを香歩さんとの対話を道標に探っていくと同時に、根無し草の私個人の居場所をより自由に再構築する、いわば自己再定義の旅ともなったのである。
今この瞬間に、自分が生きる社会や学校や会社や国に馴染めなくて孤独を感じている読者の方がいるなら、馴染めなくてもいいのだと開き直り、より広い世界で、より自由に自らの、香歩さんの言葉を借りるなら「個人としての佇まい」を、追求していくきっかけになれば、この上ない幸せだ。

 たとえ国や宗教が違っていても、ファンタジーの誰の祖国でもない空想の世界では帰属の境界線が溶解する。作者を含め、すべての人が対等に自己を定義し、自由な居場所をを選び、物語が呈するシンボリズムを自分のこととして内面化できる場所なのだ。

 でも、本当に私たちはファンタジーの中でしか、自己構築型のアイデンティティを手に入れることができないのだろうか。
 
 肉体の限界や、社会のルールや、おのおのの経済力や、国境などの制約に縛られる私たちが、(エジプトの著名な作家タウフィーク・アル・ハキームが言う、生きるための知恵を生まれながらに持っている動物や鳥や虫と違い、なんの知恵も持たずに、白紙状態で生まれてくる人間との違いはなにか。選択の自由の有無である)「鳥より自由」という運命を全うするためには、どう生きるべきなのか。
 私は、アイデンティティを世襲制ではなく独創性ととらえることにこそヒントがあると思う。
 日本人が日本に背を向けるということではない。
 「日本人」が「私」を定義するかわりに、個々の「私」が「日本人」を定義し、それを次から次へと塗り替えていくのだ。
 「私は誰か」という問いの答えは出自にかかわらず自由であると自覚すれば、誰もが自分の本当の居場所を見つけることができるはずだと私は思う。
 たとえ今いる場所から動くことができなくても、答えは必ずどこかで待っている。
 私たちの星のどこかで。
 それを見つけるために私たちは本を読み、ファンタジーを愛し旅する。
そして、そこで疑似体験したことから学び、自己向上しながら現実の世界のなかで生きていく。との言葉を私は続けたい。

カリーマさんの言葉が痛いほど響いてきてポトポトと涙が落ちた。
『私たちの星で』の題名に込められた思い、お二人の真剣な対話、渾身の文章にどれだけ励まされたか……。
 感謝!











✿✿✿

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# by sakura8sakura | 2017-11-04 22:31 | 読書
2017年10月の読書
10月の読書メーター
読んだ本の数:13
読んだページ数:2885


西行 (新潮文庫)西行 (新潮文庫)感想
西行の歴史を辿り詠まれた歌を歴史の背景に重ねながら西行の心に近づこうとする。同じ道を歩き、そこから見える景色を見ることで心に感じる西行の心。草木、吹く風、その季節の気温、肌に感じる空気などを白洲さんご自身の五感で感じる。そうすることではじめて西行の歌に込めた心に近づくことが出来るのではないかと仰っている。その時々の西行に、思いを馳せる白洲さん。そこで感じる…そのときの西行が感じたことを。「もちろん、それは私の主観であるんですが…」と、仰る白洲さん。学者ではない視点で西行の歌の心情を読み解く「地獄絵を見て」の連作から、西行の心の歴史を読みとるところでは、「西行の心」そして「白洲さんの心」に感動した。白洲正子さんの眼をとおしてみえた西行は、大自然のなかに身を置きそこで心に感じたものを和歌する。そう徹することで自然の法理・摂理から真理に到達したのだろう。大自然と対峙することは、自身の己心と対峙することなのだろう。いかにも人間らしい人間でありつつ、人間として高い境地に到達した人なのだろう。と思った。
読了日:10月03日 著者:白洲 正子


法華経の智慧 中―二十一世紀の宗教を語る法華経の智慧 中―二十一世紀の宗教を語る
読了日:10月05日 著者:池田 大作







氷河ねずみの毛皮 (日本の童話名作選)氷河ねずみの毛皮 (日本の童話名作選)感想
子どもの頃、あの毛皮の模様(?)の意味を知った時の衝撃は大きかった。ミンク・キツネ・ウサギ…と呼ばれるその言葉に可哀そう。と思った。体の小さなものほどたくさん…林間学校のような課外授業で、絹糸のできるまでの工程を知った。えっ?!そのまま?… 残酷だなぁと思った。 生命のために命が使われていることを知らなきゃね。感謝!自然の循環を崩すほど…必要以上に要らないよね。足ることを知る! 帆布の上着を着た青年の言葉は、自然と共に生きる宮沢賢治の心の声かな。
読了日:10月05日 著者:宮沢 賢治



14歳からの社会学―これからの社会を生きる君に (ちくま文庫)14歳からの社会学―これからの社会を生きる君に (ちくま文庫)感想
社会学というものがある。現在の子どもたちの生きる社会と比べると恥ずかしながら当時は幼すぎてこのような事を考えたことなどなかった。現在の社会を生きるためには一人ひとりがいま起こっていることはどういうことでそれが自分がどう影響しているのか把握し分析して自分の意思をもつ。自分と社会の関連性難しいよね。そこで宮台氏が言語化して明文化してくれているのが本書。これはスゴイ!って直感したもから学ぶという感染することが一番わかりやすくて自然。そして感染の後は卒業すること!この繰り返しでなりたい自分に近づいていくのだろうこの本のタイトルに「14歳からの…」とあるが、14歳頃の子どもをもつ親たち読者に向けても書いているのだと、この本を知ったときにそう話されていた。親経由→子行きね。うーん、子どもが14歳のころからはや10年(汗)自分が14歳の年齢から…?(大汗)それでも、今からでも学ぼうと思う!
読了日:10月08日 著者:宮台 真司



僕は、そして僕たちはどう生きるか (岩波現代文庫)僕は、そして僕たちはどう生きるか (岩波現代文庫)感想
コペルが「どっきりカメラ」みたいなものになぜだか嫌悪感を感じることは、こういうことなのかもしれないと言語化できた場面がある。これは、私がとても嫌なことの一つでもある。でも、うっかりぼんやりしていると、この凡庸の悪に流されてしまっていることになっていることがある。そうならないためには、自分は何をどう感じの自分の意思はどうなのかをしっかりと言語化できるような訓練も必要なのだろう。それは書くこと。こうやって書いていくと、今までぼんやりしてとりとめもなかった考えが、きちんとした骨格を持った「端倪すべからざる」なにか、って気がしてくる。とコペルが言うように、コペルたちの凝縮された一日の物語が私に教えてくれたこと。「こんなとき君はどう生きるのか?」と問われた気がする。自分の五感に感じたことはなんなのか?意識のライトを当てて明らかにする。そして自分の頭で考えそのことは自分自身で掴んでおこう。✿梨木さんの心を言語化した表現の数々をお手本に自分のものにしていきたいと思う。読んで、感じて欲しい。梨木さんが何を訴えているのか?知って、考えて欲しい、自分の頭で。強くそう思った一冊の本との出逢い。そのきっかけになってくれた『氷河ねずみの毛皮』の絵本に描かれていた帆布の上着の男は、成長したコペルの姿を思い重ねたのかもしれないなぁ……本書の表紙を眺めながら、どうなのかなぁ?
読了日:10月08日 著者:梨木 香歩



土神と狐 (日本の童話名作選)土神と狐 (日本の童話名作選)感想
樺の木と土神と狐 彼らの心の動きが絶妙に描かれている。すべては自分の主観でものを見ているということ。彼らの心(畜生・修羅・地獄)や慈悲の働きは誰にもあり縁によって湧きおこるもの。作中、狐が持っていたハイネの詩集、少し調べてみたらこんな一節がありました。「人間を照らす唯一のランプは理性であり、生の闇路を導く唯一本の杖は良心である。」樺の木の星を見るキラキラした様子や恐怖にふるえる姿、困惑の影を落とす。宮沢賢治の自然を表現する文章は、情緒的で趣があって季節の風の音や香りまで感じさせてくれます。中村道雄さんの「組き木絵」それぞれの木の素材を生かして絵として組み込んでいる。木のもつ風合いが、ぬくもりと優しさを伝えてくれる。これはもう、アートですね!お話も絵もとても素敵な絵本でした♪
読了日:10月11日 著者:宮沢 賢治



アインシュタイン [新装世界の伝記]アインシュタイン [新装世界の伝記]感想
この伝記を読む前の私の識るアインシュタインって?すっごく頭が良くって、難しい問題もスラスラ解いていく。そして、一般人にはとうてい難解な相対性理論を発表した科学者。原子の研究(?)をして、原子爆弾の開発に携わった人。晩年は平和への活動に従事していた。だったわけでしたが、この伝記を読んで “人間アインシュタイン”をみてみると、平和主義者で偏見差別を極力しない、威圧的な強制力には断固従わない。自分の意思というものをしっかりともってブレない。心の優しい人。という姿がみえてきました。たくさん紹介したい愉しく読めるエピソードや残された言葉があります。幼少時から最期の時までを描いた伝記、一人の人間の生き様が伝え残されています。わたしたちは、彼ら先人の残してくれた生き方が示す意志、言葉をしっかりと胸に刻んでおかなければならない。そんな思いでいっぱいになりました。最後のページには著者である、瀬川昌男さんの言葉で締めくくられています。読んで言葉を失いました。「あとがき」での瀬川昌男さんの筆致も鋭く、たった4頁にSF作家らしい文でその思いを綴られています。300頁ちょっとの児童向けの伝記、侮れません!参考文献・伝記関係で、外国語書6冊、日本語書14冊・相対論関係で、外国語書4冊、日本語書20冊。これは読まないと損ですよ!と、ちょっと熱くなるほど面白かったです♪
読了日:10月14日 著者:瀬川 昌男



ピアリスピアリス感想
胸が痛くなるシーンがたくさんあります。ユーロは誰を信じればいいのだろう……孤独。ソルト(犬)がいてくれることになって少し心が和む。ピアリスは強い意志をもつ女の子だ。ダムダム・ママがケート先生がいる。カイジとルーイーがきっと味方になってくれるだろう…特別企画インタビュー2017年5月12日(萩尾家にて)裏話が巻末に収録されてます。既読作品からは見えない萩尾望都さんのアバウトな一面ににんまり。そして、やっぱり、世界に起こっている問題にしっかりと目を向けてる。過去から現在そしてSF視点でそのずっと先に起こるかもしれない事への発想・着眼点に感嘆します。連載途中で廃刊になってしまったので未完の作品。「もうちょっと先まで考えていたんですが ――ネタ帳がどこにいったのか……いまとなっては遠い霧の彼方です。誰か続きを書いてください。」だ、なーんて……(^^;) インタビューで語られた萩尾望都さんのお話から、自分なりに想像を膨らませてみるのもいいかもしれませんね^^
読了日:10月15日 著者:萩尾望都



『秘密の花園』ノート (岩波ブックレット)『秘密の花園』ノート (岩波ブックレット)感想
なぜだか解らないけれど心ときめく一枚の絵があって、その中に秘められている一条の光と闇を、楽曲『秘密の花園』の主旋律を奏でながら作家視点、読者視点、両方の立場で物語をとき解いていく。そんなノートかな♪澄み渡る青い空、大地のぬくもりを感じ深く包み込むように奏でる母の大きな愛。ディコンが奏でる動植物との自然のハーモニー。メアリとコリンの心と共鳴しながら『秘密の花園』を読み感じてみたいと思った。
読了日:10月19日 著者:梨木 香歩



詩を書くということ (100年インタビュー)詩を書くということ (100年インタビュー)感想
頭をからっぽにして、ぽこっと浮かぶ言葉を綴ると詩になり、そこに自分の心が映っている。✿「さようなら」の最後の一行が心に残る♪ 泥に溶けよう空に消えよう 言葉なきものたちの仲間になろう
読了日:10月21日 著者:谷川 俊太郎






こころこころ感想
留まることを知らない「こころ」を一寸留めて言葉にしたのが詩。その一言にどきっとしたり、頷いたり……「問いに答えて」のこの言葉が素敵♪ 心が活字の群れを〈詩〉に変える
読了日:10月21日 著者:谷川俊太郎






君たちはどう生きるか (ワイド版 岩波文庫)君たちはどう生きるか (ワイド版 岩波文庫)感想
コペル君が体験し考えたこと。そして、それが自分の心にどう感じどう残りどうしたいと思ったのか?をていねいに描写している。それに対してコペル君の叔父さんがコペル君に考えて欲しいことを、おじさんのNoteに綴るという形で書かれている。✿14歳の心を思い出しながら読んだ。コペル君の思い詰めた心の痛みが伝わってくる。14歳の頃にこの本に出会っていたかった!そして、コペル君の叔父さんのような人がそばにいて欲しかったなぁ、とも思った。叔父さんも、しっかりと学んできたのだろう。その上で、自分が体験したことでないと本当に理解することはできないのだとも断言している。先人が歩み伝え残した書物などを読むことで知識として学び、自分が経験したときにそれらのことを重ね合わせて自分の頭で考えることができる。これが学ぶということであり、そう積み重ねていくことで、どう生きるか?に答えることが出来るのだろうと思った。14歳からずいぶん経った今だからこそσ(^◇^;)、これらのことを踏まえ丁寧に生きていこうと思った(o^^o)
読了日:10月29日 著者:吉野 源三郎



せいめいのれきし 改訂版せいめいのれきし 改訂版感想
生物学者の福岡伸一さんが「子どもの頃に読んだ宝物のような本で、第一の本なんです」と話されていたことで、是非、読んでみたい!と思った。地球のはじまり、生物のはじまり、人類のはじまり、それらせいめいの始まりから流れ(歴史)の様を、幼い子どもが感覚的に理解できる絵本でした。福岡さんの言うように宝物として手元に欲しい何度も繰りかえし開きたい本です。小さな子どもと一緒にワクワクしながら読む日を楽しみに♪
読了日:10月29日 著者:バージニア・リー・バートン



10月の読書は、一冊の絵本から繋がった読書だった。

先月読んだ梨木果歩さんの『蟹塚縁起』の絵本、木内達朗さんのに描く絵に惹かれて読んだ『氷河ねずみの毛皮』
この本を読んだときに書いた記事に「この出会いの大きさに気づく現在…」「今、これを読めって事!」と書いた。

今、振り返っていて、昔でいえば“元服”にあたるものなのですが、14歳といえば“少年式”をする年頃だったなぁ…との思いが浮かんだ。
ググってみました(*´∀`*)
「元服式」「立春式」「少年式」 などと呼ばれ、文字通り 「志を立てる」 という意味があり、それぞれの子どもたちが「生きるというのはどういうことなのだろうか」「人は人としてどうあるべきだろうか」「自分はどのように生きていこうか」、と考えるきっかけを作りたいという願いから始まっているようです。とあった。

『14歳からの社会学』→『僕は、そして僕たちはどう生きるか』→『君たちはどう生きるか』を読んで、自分はどう生きるかを考えた。
どう生きるか?というと、大げさで仰々しいですが^^;
自分がこう生きたいと思う心、自分のもつ思想とは、社会の中で生きるうえで大事にしていることはどんなことなんだろう… と。
きちんと整理して書き述べるまでまだはっきりとしてはいないけれど、自分がどう感じどう思ったのか輪郭はしっかりしてきたと思う。
個としての在り方と社会という人間の集まりのなかでの自分の立場においてできること。少しずつだけど自分のもつ思想が自分の言動に現れてきたと思う。

読書と書くことで、自分の中にあった何かが浮き上がってくる。そんな経験をしている最中です。

そんななか、出会った新たな一冊の絵本『せいめいのれきし』宇宙、地球の誕生から始まり社会を創って生きる人類、最後のページには

 さあ、このあとは、あなたがたのおはなしです。
 その主人公は、あなたがたです。
 ぶたいのよういは、できました。
 時は、いま。
 場所は、あなたのいるところ。
 いますぎていく一秒一秒が、はてしない時のくさりの、新しいわです。
 いきものの演ずる劇は、たえることなくつづき――
 いつも新しく、いつもうつりかわって、わたしたちをおどろかせます。

( 改訂前のバージョンに書きかえました(o^^o) )


図書館でお借りした本ですが、是非、手元に置いておきたい絵本
今回お借りしたのは、改訂版
改訂前の本とはどう違うのかな?
うふっ 図書館予約をポチ!
今日、手元に届きました。
ページを見比べると、少し変わってます。
例えば、地球の誕生? およそ3,000,000,000ねんまえから → およそ4,560,000,000ねんまえから、に。
科学が進んで、新たに(正確に)解ってきたことによって変更されています。
初版1964年12月15日 改訂版2015年7月22日 歴史の川は流れ続けていますね。
変わるもの変わらないもの… 

今、読んでいる途中の本『私たちの星で』梨木香歩さんと師岡カリーマ・エルサムニーさんとの往復書簡
その中にカリーマさんのお手紙に書かれていたことを、梨木さんの視点で捉え直してお返事?を書いたという感じのやりとりがあるのですが、梨木さんの視点に深く共感しています。

知ることで、知ることによってはじめて存在する。それは、自分の中にあったが、その時まで気づかなかったことに気づき見える事でもあると思う。

学べ!自分!!!

そうそう! 『せいめいのれきし』言葉は改訂前の本のほうが私は好きだなぁ♪









✿✿✿

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# by sakura8sakura | 2017-11-01 22:11 | 読書
『君たちはどう生きるか』おじさんのNoteに深い感銘を抱く

君たちはどう生きるか (ワイド版 岩波文庫)

吉野 源三郎/岩波書店

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14歳の頃に出会い読んでおきたかった!
そして、コペル君の叔父さんのような人がそばにいて欲しかった、とも思った。

と、いまさら言っても仕方がないですね。^^;
ならば、今の自分にできることはなんだろう…
コペル君の叔父さんのような人になろう!なれるように努めようと言うほうが正しい表現かもしれない。
学べ自分!!! 

中学二年生の本田潤一君、通称コペル君
あるとき、叔父さんと一緒に行ったデパートの屋上から見下ろした東京市、多くの人間が行き交うその様子をみて妙な気持ちになった。
 どこかで自分の知らないところで、じっと自分を見ている眼があるような気がしてなりませんでした。
 見ている自分、見られている自分、それに気がついている自分、自分で自分を遠く眺めている自分、いろいろな自分が、コペル君の胸の中で、波のようなものが揺れてきました。いや、コペル君自身が、何かに揺らされているような気持ちでした。
 コペル君の前に茫々ととひろがっている都会には、そのとき、眼には見えない潮が、たっぷりと満ちていました。コペル君は、いつのまにか、その潮のなかの一つの水玉となり切っていたのでした――

 「人間て、叔父さん、ほんとうに分子だね。僕、今日、ほんとうにそう思っちゃった。」(コペル君)
 「そのことは、ようく覚えておきたまえ。たいへん、だいじなことなんだよ。」(叔父さん)

この日のことが起案となって、叔父さんのコペル君に伝えたい事を書き綴った「おじさんのNote」がうまれた。

コペル君に起こったことに対して、叔父さんの思いや助言などが書かれていく。

言葉で書き残すということは、叔父さんにとってもじっくりとコペル君に向かい合うことができたであろうし、後に読むコペル君も、当時のことを思いだしながら冷静に叔父さんの言葉をかみしめながら考えることができたであろう。と思うと、なんて素敵なことなんだろう!と思った。



~おじさんのNote~ から考えてみた。

 ものの見方について
 自分ばかりを中心にして、物事を判断してゆくと、世の中の本当のことも、ついに知ることが出来ないでしまう。大きな真理は、そういう人の眼には、決してうつらないのだ。もちろん、日常僕たちは太陽がのぼるとか、沈むとかいっている。そして、日常のことには、それで一向にさしつかえない。しかし、宇宙の大きな真理を知るためには、その考え方を捨てなければならない。それと同じような事が、世の中のことについてもあるのだ。
 だから、今日、君がしみじみと、自分を広い広い世の中の一分子だと感じたということは、ほんとうに大きなことだと、僕は思う。僕は、君の心の中に、今日の経験が深く痕を残してくれることを、ひそかに願っている。今日君が感じたこと、今日君が考えた考え方は、そうして、なかなか深い意味をもっているのだ。それは、天動説が地動説に変わったようなものなのだから。
叔父さんがこの時のことを潤一君が忘れないように、「コペル君」という綽名をつけたのである。
潤一君にとってとても大事な出来事であり、叔父さんのこう言う思いから名付けられたコペル君という綽名は、潤一君の心に気高く光り輝き深く埋め込まれたであろう。ここだ!という絶妙なタイミング!そのときを逃さないこともいかに叔父さんがコペル君のことをよく観ているか(心を寄せているか)ということもうかがい知れます。大きく見習うべし!!! ←(自分に言い聞かせている)


 真実の経験について
 「この言葉(父の思い)を、僕は、ここにしっかりと書きとめておく。君は、これをおなかの底にグッと収めて、決して忘れまいと考えているんだ。
コペル君の亡き父の思いをしっかりと伝えていこうとされていることにも感動した。


 自分が本当に感じたことや、真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えていくことなんだと思う。君が何かしみじみと感じたり、心の底から思ったりしてことを、少しもゴマ化してはいけない。そうして、どういう場合、どういう事について、どんな感じを受けたか、それをよく考えて見るのだ。そうすると、ある時、ある所で、君がある感動を受けたという、繰りかえすことのない、ただ一度の経験の中に、その時だけにとどまらない意味のあることがわかって来る。それが、本当の君の思想というものだ。これは、むずかしい言葉でいいかえると、常に自分の体験から出発して正直に考えてゆけ、ということなんだが、このことは、コペル君!本当に大切なことなんだよ。ここにゴマ化しがあったら、どんなに偉そうなことを考えたり、言ったりしても、みんな嘘になってしまうんだ。

言葉で説明することは出来ても、ほんとうに自分自身で体験しないとわかることは出来ないんだと言うことを伝えている。
ヘッセの『シッダールタ』にもこのようなことが書かれていたなぁ…

 世間の眼よりも何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ることだ。そうして、心底から、立派な人間になりたいと気持ちを起こすことだ――(中略)――いつでも、君の胸からわき出てくるいきいきとした感情に貫かれていなくてはいけない。「誰がなんていったって――」というくらいな、心の張りがなければならないんだ。

 いろいろな経験を積みながら、いつでも自分の本心の声を聞こうと努めなさい、ということなんだ。
 ―― 何が君をあんなに感動させたのか。――(中略)―― どうして君が、あんなに心を動かされたのか。

しっかりと自分を見つめることをしなさいということですね。


 人間の結びつきについて――なお、本当の発見とはどんなものか――
 コペル君が気づいた「人間分子の関係 」とは、以前読んだ牧口常三郎著『人生地理学「吾人と世界」』に書かれていたことと同じことだ!と、思った。 経済学や社会学で言えば、「生産関係」というのだそうだ!!!

 君に考えてもらわなければならないのは、本当に人類の役に立ち、万人から尊敬される発見というものは、どんなものか、ということだ。それは、ただ君がはじめて知ったというだけでなく、君がそれを知ったということが、同時に、人類がはじめてそれを知ったという意味をもつものでなければならないんだ。にんげんは、どんな人だって、一人の人間として経験することに限りがある。しかし、人間は言葉というものをもっている。だから、自分の経験を人に伝えることも出来るし、人の経験を聞いて知ることも出来る。その上に、文字というものを発明したから、書物を通じ、お互いの経験を伝え合うことも出来る。そこで、いろいろな人の、いろいろな場合の経験をくらべあわすようになり、それを各方面からまとめあげてゆくようになった。こうして、出来るだけ広い経験を、それぞれの方面から、矛盾のないようにまとめあげていったものが、学問というものなんだ。だから、いろいろな学問は、人類の今までの経験を一まとめにしたものといっていい。そして、そういう経験を前の時代から受けついで、その上で、また新しい経験を積んで来たから、人類は、野獣同然の状態から今日の状態まで、進歩して来ることが出来たのだ。

 人間は、人間同志、地球を包んでしまうような網目をつくりあげたとはいえ、そのつながりは、まだまだ本当に人間らしい関係になっているとはいえない。だから、これほど人類が進歩しながら、人間同志の争いが、いまだに絶えないんだ。

 人間は、いうまでもなく、人間らしくなくちゃあいけない。人間が人間らしくない関係の中にいるなんて、残念なことなんだ。たとえ「赤の他人」の間にだって、ちゃんと人間らしい関係を打ちたててゆくのが本当だ。

 では、人間に人間らしい関係とは、どういう関係だろう。
母が子をおもう心、子のためにつくしているということが喜びであるように
 人間が人間同志、お互いに好意をつくし、それを喜びとしていることほど美しいことは、ほかにありはしない。そして、それが本当に人間らしい人間関係だと、―― コペル君、君はそう思わないかしら。



 人間であるからには――貧乏ということについて――
 たとえ貧しくともそのために自分がつまらない人間と考えたりしないように――また、たとえ豊かな暮らしをしたからといて、それで自分を何か偉いもののように考えたりしないように、いつでも、自分の人間としての値打ちにしっかりと目をつけて生きてゆかなければいけない。
 叔父さんは、コペル君が浦川君の境遇を蔑んでいないことを褒め、また、そういう境遇にコペル君自身がなったときに自信を失わず堂々と世の中に立ってゆけることが出来ないうちには決して自分が上だと思う資格はないのだと言い切っている。
もしも、そういう思いや態度になったとき、人間として肝心なことのわからない人間、その意味で憐れむべき馬鹿者になってしまうのだと。

 さて、これだけの事をおなかの中にちゃんと収めて、その上で君に考えてもらいたいことがある。
 君は、毎日の生活に必要な品物ということから考えると、たしかに消費ばかりしていて、なに一つ生産していない。しかし、自分では気がつかないうちに、ほかの点で、ある大きなものを、日々生み出しているのだ。それは、いったい、なんだろう。 
 お互いに人間であるかるからには、誰でも、一生のうちに必ずこの答えを見つけなくてはならないと、僕は考えている。
 とにかく、この質問を心に刻みつけておいて、ときどき思い出しては、よく考えて見たまえ。きっと、君は、そうしてよかったと思う日があるだろう。 いいかい、では、忘れちゃあいけないぜ。
 



 偉大な人間とはどんな人か ――ナポレオンの一生――
 ところで、僕は、いつだったか君に向かって、何か心を打たれたことがあったら、よくそれを思いかえして見て、その意味を考えるようにしたまえ、といったことがあるね。では、今晩は、なぜナポレオンの一生が僕たちを感動させるのか、それを一つ君といっしょに考えて見ることにしよう。

 そうだ、ナポレオンはたしかに偉大な人物だった。英雄という名にふさわしい英雄だった。逆境から身を起こして、権勢の絶頂まで駆けのぼっていった青年時代は、いかにも若々しく、はなばなしく、キビキビしていて、伝記を読んでさえ眼が覚めるようだし、また世界歴史の王者として、ヨーロッパ全体に君臨していた全盛時代と来たら、まるで太陽のように壮麗だ。そしてその没落もまた、一つの立派な悲劇となっている。ゲーテほどの人さえ感嘆したもの、君たちがナポレオンを崇拝するのも、まったく無理はない。しかし、――、しかし、コペル君、僕たちがナポレオンの生涯を見て感嘆するのは、そのすばらしい活動力のせいだという、この一事を、君たちは決して忘れてはいけない。

 Q、ナポレオンは、そのすばらしい活動力で、いったい何をなしとげたのか。
 コペル君、なにもナポレオンについてだけではない、こういう風に質問して見ることは、どんな偉人や英雄についても必要なことなのだよ。

 ところで、コペル君、こういう質問をするとき、僕たちはしっかりと、何万年にわたる人類の、長い長い進歩の歴史を思い浮かべていることが肝心なのだよ。なぜかというと、ナポレオンだろうが、ゲーテだろうが、――いや、太閤秀吉だろうが、乃木大将だろうが、すべて、長い長い人類の歴史の中から生まれて来て、またその中に死んでいった人々なのだから。
 君もよく知っているとおり、人間は最初から人間同志手をつないでこの世の中を作り、その協働の力によって、野獣同然の状態から抜け出して来た。(中略)コペル君!君の精神の眼を一度この広大な眺めの上に投げ、そのはるかな流れの中に、偉人とか英雄とか呼ばれている人々を眺め直して見たなら、君はどんなことに気づくだろうか。

 第一に君は、今まで君に眼に大きく映っていた偉人も英雄も、結局、この大きな流れの中に漂っている一つの水玉に過ぎない事に気がつくだろう。次いで、この流れにしっかりと結びついていない限り、どんな非凡な人のした事でも、非情にはかない」ものだということを知るに相違ない。――彼らのうちのある者は、この流れに眼をつけて、その流れを正しく押し進めてゆくために、短い一生をいっぱい使って、非凡な能力をそそぎつくした。

 英雄とか偉人とかいわれている人々の中で、本当に尊敬が出来るのは、人類の進歩に役立った人だけだ。そして、彼らの非凡な事業のうち、真に値打ちのあるものは、ただこの流れに沿って行なわれた事業だけだ。
 同じ偉人といわれている人々の中に、ナポレオンとは全く別な型の人々のあることを君は知るだろう。
 そして、これだけの事をしっかりと理解したのちに、君は、改めてナポレオンから学び得るものを、うんと学ばなければならない。彼の奮闘的な生涯、彼の勇気、彼の決断力、それから、あの鋼鉄のような意志の強さ!こういうものがなければ、たとえ人類の進歩につくしたいと考えたって、ろくなことは出来ないでしまうのだから。殊に、どんな困難な立場に立っても微塵も弱音を吐かず、どんな苦しい運命に出会っても挫けなかった、その毅然たる精神には、僕たちは深く深く学ばなければならない。

 ――君も大人になってゆくと、よい心がけをもっていながら、弱いばかりにその心がけを生かし切れないでいる、小さな善人がどんなに多いかということを、おいおい知って来るだろう。世間には、悪い人ではないが、弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が決して少なくない。人類の進歩と結びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的な気魄を欠いた善良さも、同じように空しいことが多いのだ。


 人間の悩みと、過ちと、偉大さについて
 「誤りは真理に対して、ちょうど睡眠が目醒めに対すると、同じ関係にある。人が誤りから覚めて、よみがえったように再び真理に向かうのを、私は見たことがある。」これは、ゲーテの言葉だ。
 僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。
 だから誤りを起こすこともある。
 しかし――
 僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。
 だから、誤りから立ち直ることも出来るのだ。
 そして、コペル君、君のいう「人間分子」の運動が、ほかの物質の分子の運動と異なるところも、また、この点にあるのだよ。



人間分子の一つであるという自覚、その一つの分子である自分というものはどうありたいと考えているのか?何に感動し何に心動かされているのか?をしっかりと見極めることによって、自分の思想というものが見えてくるのだと言っているのだと思った。
その思想を胸に、この社会のなかで君はどう生きるのか?と問われているのだろう。
コペル君が抱いているであろうその思想を貫いて生きるのは並大抵な事ではない、強い意志と精神力、素早い決断力と行動力が必要なんだと。ナポレオンの生涯からそれを学びなさい。と、叔父さんはコペル君に様々なナポレオンの話を聞かせている。
叔父さんも、しっかりと学んできたのだろう。その上で、自分が体験したことでないと本当に理解することはできないのだとも断言している。

先人が歩みを伝え残した書物などを読むことで知識として学び、自分が経験したときにそれらのことを重ね合わせて自分の頭で考えることができる。これが学ぶということであり、そう積み重ねていくことによって、どう生きるか?に答えることが出来るのだと思った。

14歳からずいぶん経った今だからこそσ(^◇^;)、これらのことを踏まえ丁寧に生きていこうと思った(o^^o)








✿✿✿

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# by sakura8sakura | 2017-10-29 11:28 | 読書
ジムデビューしました♪

23日からジムデビューしました♪
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↓問診票 運動してません!と大声で宣言したと言うことです^^
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身長(自己申告)・体重・筋肉量・体脂肪・内臓脂肪 測定しました^^;
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自分自身で感じていた通りの診断結果!
下半身はともかく…上半身
特に腕に筋力のなさに失笑^^;
腰痛というより年に幾度となく起こる、ぎっくり腰
「背筋腹筋強化しましょう!」と
にこやかに励ましてくれました♪

意外…いや気にしてなかった 体幹
数値の低さにあっぜーん!!!
運動神経悪くはなかったはず^^;

首をかしげながら、しばし考えた

そういえば…
歩いていると左右どちらかにブレていく…
不意の動作にヨロつく…
よく足を挫く…

そっか! コレみんな体幹だわさ^^;



一日目(昨日)は
バイクで有酸素運動 15分
速度と距離が出るので感覚を身体で覚えていきたい

4種のトレーニングマシーン 10回×2セット
(まだ、名前すら覚えていない)
使用方法も覚えないとね^^;

ランニングマシーンでウォーキング 20分
はじめイメージしてたように歩けなくって焦った。
マシンに手を付けていないとフラフラする^^;

お風呂
公衆浴場なんて何十年ぶり?勝手がわからずσ(^◇^;)
近くにいらっしゃった経験豊かそうなおばさまに訊きました。
親切丁寧にアドバイス頂きました。感謝!!

何もかも初めてで戸惑いと緊張の約二時間でした。
でも愉しい♪って心と体が喜んでました (o^^o)



二日目(今日)は
バイクで有酸素運動 20分
ほほぉ 消費カロリー
キャンデーとかカフェオレとかバナナ一本とかでデジタル表示されるから
もうちょっとガンバろって気になる(^▽^)

4種のトレーニングマシーン 10回×2セット
フォームの点検・アドバイス頂きました♪
加えて、新しくマシン一種追加
(女性のトレーナーさんだったので、女性目線でお薦めのマシン)
内ももを鍛えるんですって!

ランニングマシーンでウォーキング 30分
後半はマシンから手を離して
手をふってウォーキング出来るようになった!
手の先が重くなった気がしたので
途中から手は握り拳で肘曲げて!

今日は、イヤフォンして曲を聞きながらやったので
リズムがとれていい感じ♪
自分の身体の部位に集中できる。
(周りを気にしなくなるから)


お風呂
二日目とあって順序も使用方法もわかったてたから
必要なものも準備して行ったしね^^

ゆった~りブクブクお湯でのーんびり♪
全身の疲れがとれそう^^



マシーンもスタジオ講習も
まだまだ、わかんないこといっぱいだけど
ひとつひとつ
わからないことは訊けばみなさん優しく教えてくださいます。
基本、一人で参加黙々とメニューをこなしていくスタイルだけど
時々、声かけあうお疲れさま~の声が嬉しい♪


今週の目標は
1、毎日行くこと
あれ?どうやるんだったっけ?状態多しなので、
2、マシンになれること

昨日より今日、今日より明日へ 一歩前進 ♪









✿✿✿

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# by sakura8sakura | 2017-10-24 20:24 | 日常
  

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