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貧人繫珠(びんにんけいじゅ)の譬え
仏法では、人の命は三千大千世界よりも尊し、と説かれている。まさしくその通りであるし、その通りであらねばならない。

そうあるはずであるのに、最近のマスコミをにぎわす報道は、暗い悲しげな人命軽視の事件があまりにも多すぎる。

だれもが、極悪人でさえもが持っている菩薩の心、さらには仏の心。この点について、法華経には” 貧人繫珠の譬え ”という譬喩が説かれている。

-----昔、あるところに一人の男がいた。彼には、役人をしている裕福な友人がいる。ある日、男は、その親友の家に遊びに行き、酒や料理のもてなしを受けた。そして、すっかり酒に酔いつぶれてしまう。
ところが、親友は急に公用ができて、旅立たなければならなくなる。やむなく親友は、酔いつぶれた男の服の裏に、どんな願いでもかなえられる” 無価の宝珠 ”を縫い込んでおく。眠りこけている男への最高の贈り物をしたのであった。
しかし、男は親友から宝珠を贈られたことも知らず、やがて諸国を放浪する身となる。永い歳月が過ぎる。すっかり貧しい身なりで、彼は親友と再会した。驚いた親友に教えられて、彼は初めて自分が、すばらしい宝珠を持っていたことを知ったのである。

これは、仏界という尊極の生命の開発を忘れ、低い悟りに満足していた釈尊の弟子たちが、愚かさを反省しつつ語った物語である。

” 貧人繫珠の譬え ”をさらに広く、そして日常的に解してみたい。たとえば、” きめつけ ”である。子供の些細な失敗をとらえ、ただ「ダメな子ね」ときめつける。大人同士でも、ちょっとした諍いから、きのうまで談笑していた隣人が仇のように憎くなったりする。きのう親しき隣人が真実の彼(女)であるのか、それとも今日の彼(女)の姿が真実なのであろうか。そんなことはおかまいなしに、感情的なきめつけに走る。売りことばに買いことばで、相手もそれに応じる。” 宝珠 ”の存在などどこへやら、低次元のやりとりを繰り返し、お互いに傷つけ合う。そうした事例は想像以上に多いものだ。
相手の” 宝珠 ”が見えないのは、自分自身の” 宝珠 ”に気づいていないということだ。-----ゆえに、互いにこの一点を凝視すべきだと思えてならない。

子供や隣人は、ある意味では、自分を映し出す鏡であるといってよい。相手が悪いときめつけてみても、その悪は相手の実像とは関係なく、自らの命の影の部分であることが意外に多い場合がある。

つれづれ随想より抜粋



『ただ、「ダメな子ね」ときめつける。』
これって、「自分が感じた」ってこと。「主観」ってことですよね。

「本当のこと」ってその人しかわからないこと。
んんー、逆にその人である私、だったとしても
自分自身のことも分からなかったりして・・・(汗)

などと思いながら、思索してみました。


子供や隣人は、ある意味では、自分を映し出す鏡であるといってよい。相手が悪いときめつけてみても、その悪は相手の実像とは関係なく、自らの命の影の部分であることが意外に多い場合がある。


因果、必ず存在するもの
他者との関係(縁する)で、そう思う(きめつけ)ことには、必ず自分の中にもある事ということ。
相手の振る舞いの中に見る自分の感情(主観)は、自分の中にも必ずあると言われている。

仏法で説く、一念三千の法理。




「こころ」は、目には見えないものだけど、そこで自分が感じたことが・・・善くも悪くも 大きく影響されます。
ただその感情(主観)で、批判し傷つけあう。

現実、立場の違いからくる意見の相違などもあります。互いが思う善悪が入れ替わることも・・・
だから、相手を責める、批判することは、自分自身をも責め、批判しているということにもなる。なんら解決をみることがない。
どうすればよいか・・・相手(自分)のことを、受け入れ理解しようと努力する。そのうえで、差異を認め歩みよる。
何を基準に? 人の命は、いかなるものよりも、尊厳であるということ。

であるなら、宇宙の法則である妙法に従って、三千大千世界より尊い” 宝珠 ”人の命の中に必ずある「仏の心」を信じ疑わず、接していくことが、双方にとって最も善いことである。




また、この「貧人繫珠の譬え」のなかで、
先生は、「死刑」についても、書かれているんですね。

死刑は廃止すべきである、と私はつねづね思っている。
たしかに、世の中が一定の秩序を保っていくには、法による裁きは、欠かすことができない。
しかし、その裁きが円滑に運用されていくには、根底に、人間への信頼関係がなければならないと思うからだ。
日蓮大聖人の御遺文集に「無顧の悪人も猶妻子を慈愛する菩薩界の一分なり」と仰せのように、
いかなる悪人でも、心の底には人を愛し、人を慈しむ心根を秘めているものである。
その点への信頼なくして、どんなに法による規制を強めても、結局は空転を免れない。
ところが、死刑制度は、そうした人間の可能性を、一切閉ざしてしまう。人間不信の産物であると思わざるをえないのである。

この尊極無上の命” 宝珠 ”を、もろとも消し去ってしまう権利はだれにもない。
しかし、死刑においては、あたかも当然の権利であるかのように、国家権力の名のもとにそれが正当化される。
その傲慢さゆえに、私は、死刑は無意味である、と主張するのである。

この部分を読んで、戦争も同じじゃないかな?って思いました。

何を基準に裁くのか
「死刑」の部分を「戦争」に置き換えて読んでみるとよくわかります。

人の命は、いかなるものよりも、尊厳であるということ。




日常における、このような小さな事柄も同様であると。
日々、しっかりと、自分を見つめ問い続けていきたいと思います。



お気づきの点がございましたら 
sakura8sakura@excite.co.jp へお願いします。
<(_ _)>







by sakura8sakura | 2015-02-15 16:16 | 説話

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