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『創価教育学体系・Ⅱ』から学んだこと

いよいよもって、読みたいと思っていた牧口先生の『価値論』が収められている『創価教育学体系・Ⅱ』を読むに当たって・・・

価値論 (レグルス文庫)

牧口常三郎,戸田城聖/第三文明社

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↑このレグルス文庫の『価値論』は、「改訂の度合いが大きく価値論の重心の置き所ところを変えてしまっている。」との書評を読み、牧口先生の全集の旧版が原書とお聞きしました。
改訂されたものではなく原書が読みたかったのに・・・もしかしたら本書もそうなのかもしれないな・・・と、残念思いをしていました。

それでも、牧口先生のお心を感じたいとの思いで本書『創価教育学体系Ⅱ』を読むことにしました。

まず、結果として。

読んでよかった!


創価教育学体系 2 (聖教文庫)

牧口常三郎/聖教新聞社

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感想をまとめる時点に来て、『創価教育学体系・Ⅱ』凡例に書かれているこの文言を読みました(汗)

本書は「創価教育学体系」全4巻中の第二巻(価値論)の初版(昭和6年3月5日発行)に基づいて多少の校訂を加え、これを収録したものである。

文体や用語を当用漢字や新かなづかいを用いたことと、人名などの固有名詞を現行の読み方に改めたということなので、上記のレグルス文庫の『価値論』よりは原版に近いものではないかと思います。



前著作『人生地理学』を読んでいたので、観察する対象が「国土や自然環境や物」などから「人間・人類」へと、その眼を移し、その観察眼「鳥瞰」「虫瞰」をもって、特に「虫瞰」で細部に突き詰めていく思考がよくわかりました。

価値の概念を、「真・善・美」ではなく、「利・善・美」とした真意。
「真または真理」は不変なものであって、「価値」はT・P・O[Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)]によって変わる。よって、真理と価値の概念を区分したということかと思います。

有りのままの実在を表現したものが真または真理であり、対象と我との関係性を表現したものが価値である。
価値は対象と人生の情的関係性であるが故に、対象の概念・対象相互間の関係概念たる真理とは全く其の性質を異にし、前者は対象の質的の等同性を意味し、後者は対象と評価主体との間に生ずる量的適当性を意味する。

この観察眼はいわゆる、個々人各々の「主観」であるわけです。
人間には情感(心)というものがあり、自分が評価、尊敬しているものに対して疑うことをせずに無条件で承認したりすることもある。
また、好悪という感情によって贔屓めに見てしまうこともある。
善悪・美醜等それらの歪んだレンズを挟んで見ることが少なくなるように、物事を正しく認識・評価・判断するために気をつけるべき事柄を「虫瞰」しています。
これについては、本当に事細かく追求しています。
この主観の眼が正しく物事を観察し認識し評価することがいかに重要かということになります。だってそうですよね、ここがまずもって間違ってしまってはその後に続く評価・判断が違ってきますからね。


事実を観察し調べて行きさえすれば、そこに自ら法則が出てくる。我々の科学というのはつまり此の事実を認識した法則によって成り立つものである。事実の原因だの何だのということは必ずしもその問う所ではない。
それ故、事実を精細に観察実験するということが科学にとって何よりも、先ず奨められなければならないのであって、その土台の上に近代科学が新しく立てられる様になった云云」と理学博士石原純氏が云っている。これは正しい表現で、事実の一般的本質を如実に言い表した者が真理で、吾々はそれを判断するにあたってはその言い表した事実に比較対照して見て、それで間違いないでなければ之を真と肯定し、それがもし事実と相違して居れば、之を虚偽として否定するのである。



また、社会的認識は客観であり、評価は主観である。

吾々の主観は又環境と接触交渉する二つの手段を有する。



吾々の日常生活を吟味するのに於ける現象、実在をよく認識して然る後、評価する場合と、認識なしに評価する場合と、評価して認識する場合とがある。
 
人の評判など、自分が見もせず、聞きもせず、確かめもせず、即ち経験して認識することをせずに、徒に他人の評判を信じて、付和雷同する。
また、まず結構であると評価しなければ、決して認識しようとも試みないということもある。

これらの場合の「認識」とは「理解」と同じ意義で用いられている。

理解して感心する人と、感心して後に理解する人とがある。
感心して理解する質の人は感心しなければ、てんで理解しようともせず、所謂喰わず嫌いになってしまうのが普通である。
感心して理解する側の人は真面目に理解しようともせず、自分ではかなり考えたという態度で、人々の尊敬する人だということだから虚偽はあるまいと、きめて仕舞って疑問も起こさずに、鵜呑みにするのであって、社会指導に従事する自覚する人はともかく、差もない限りは誰でも自分の研究又専門以外のことは概ね人の判断に依頼して生活するのを普通とする。これは一切万事について、一々自力の認識は実際に不可能のことであるからである。


人間(生命)は、社会の中で生きている(生活する)なかでその存在で「価値」を見いだせる、創造することができるのである。
『人生地理学』でも再三述べられていたように、人間(生命)と関係性を持ったことでそこに存在が生じるのである。


認識の対象は認識主体の生命の伸縮には直接関係なき、若しくは軽微なる関係を持つに留まった現象である。従って認識主体は、之に対して極めて軽微なる主知的反応をなし、冷静にその成行を眺望し客観するに留まる。
之に反して所謂評価の対象は認識主体の生命に軽微ならざる何等かの関係を持つ現象である。
即ち静観する知的反応で満足せず、より強き、より全体的、全我的なる作用の上に感情的、主観的反応をなして、快と苦を両端とする主観的状態の間に系列せる評価標準に照らして、その中の相応の程度に感得することによって対象を評価する。
この両作用が認識作用であり、評価作用即ち評判であるのに、上述の如くよく混同せられるのは思索の不足に基づくのである。



認識と評価については、眼から鱗というか指摘されてはじめてそう言えばそうだよね!と思うことがビッシリと書かれています。
これ以上抜き書きすると、とりとめなく続いていくの 是非本書を一読されることをお勧めします。



牧口先生の示す観察眼を持って認識し、真理(法)に照らして評価・判断すべきであるとの思い。

「依法不依人」という釈尊最後の教訓は、吾々に依人生活より依法生活にまでの人類の進歩の段階を暗示するものではないか。

オーギュスト・コント氏の人類知識発育段階(疑うこと無く信じ模倣する時代→懐疑の念を生じ偶々自力経験することで相違を認識する時代→知識と経験を併せもって思索する時代)を経て到達する第三期の思索時代に入ったならば、自他一切の経験を綜合統一し、客観的に考察して物事の心真偽を区別し、茲に科学的合理的生活によって安心満足の域に達するのである。

貪・瞋・癡の煩悩を離脱し得ず、道理の闡明に臨む感情を以てする凡夫の間にこそ醜き教門宗派の争闘は絶えざれ、所謂四十二の無明乃至元品の無明を破せんが為に精進し漸く己を空しうした生活が自ら備わってくる境地に至れば、正邪の議論は尚免れぬとしても感情の衝突だけはあり得ないはずである。

若し夫れ宗教家が真に従来の囚われ勝ちなる偏見を去り、心を広く己を捨て、真理の承認を吝かならず、学者も亦知らざるを知らずとするに躊躇せず、正直に謙遜に己が経験的知的範囲の狭隘なるを自覚し、現世に限られた肉眼的の小智を脱し、過去現在未来の三世に常住、不滅の大真理に融合利生するの雅量を涵養し、ともに「依法不依人」の教訓に遵って進むことが出来るならば、科学と宗教、従って教育と宗教との帰一は期して待つべきであろう。
 涅槃経に云く「仏法を壊乱するは仏法中の怨なり。慈無くして詐り親しむは是れ彼が怨なり。能く糾治せんものは是れ護法の声聞、真の我が弟子なり。彼が為に悪を除くは是れ彼が親なり。能く呵責する者は是れ我が弟子なり。駆遣せざらん者は仏法中の怨なり」等云々(日蓮大聖人「開目抄下」)



『創価教育学体系・Ⅱ』から学んだこと_f0324510_16082281.jpg



本書を読み、今の自分が感じたことは・・・

自分が自身で体験し、自らの頭で考えること!が、大切!!!
あぁ、まずもって 疑問に気がつく感受性を育てなければ・・・
あぁ、その自分は何をどう見てどう感じたのかを出来るだけ正確に認識しなければ・・・
先ず、自分を知るということが他を知ることの基本となるのだから。
んんん、、、でもソクラテスのいう「無知の知」自分は知らないと知っていることが必要ということも意識においておかなければね。

知識として知を智を識ることも、社会的に認識するうえでも、取捨選択、正邪の判断をするうえでも大事。学ぶということですね。

学ぶと云うことは教養を深めるためというお話も聞いたことがあります。
社会生活を送るうえでこの「教養」というものをどれだけ身につけているかが大事だということ。
学校で学ぶことだけが「学ぶ」ということではないですよね。
見聞を広め多くの経験・体験していくことですね。


両天秤ばかりのイメージで。
この秤の両皿に極論となる二面をそれぞれに置いて、分銅をピンセットで置く。指ではなくピンセットで置くことと同じ意味で余分な心意の働きを起こすことを防ぐ。(分銅についた指脂などが時間が経てばたつほど分銅が錆び付いて正しくはかることが出来ない)様々な知識の分銅、500mg・200mg・100mg 数字の数が小さくなるように精細に物事を見定めていく。針が真ん中に止まらなくても絶対に手で止めてはいけませんよね。(勝手(身贔屓)な思い込みや断定を防ぐ)揺れ動く振り幅を見ていけばバランスがどれくらいとれているかわかりますよね。こんなイメージで物事を見ていけばいいのではないかと思いました。


日蓮大聖人がたくさんの経典の中からつぶさに精査し最高のものは法華経であると選択したように、牧口先生も先覚者の書物等から導き出したものをご自身の体験によって実証され一つの集大成として表わされた「価値論」。

本書は、真理・価値・認識・評価・直観・思考。価値の有無・正反・変化・分類 究極、人格価値の概念。
いかに生きれば真理に到達できるかを教育現場において社会において反映させていく一つの提唱ではないかと思います。

真・真理の発見についての項目を読んでいるときに、「解剖学はそこにあることが全て事実(真実)であって、誰にも否定する・されるものでは無いということが歴然として在る。」と、養老孟司氏がおっしゃられていたことを思い出しました。
養老孟司氏が、解剖学を選択した底には、日本が優勢である等との国からの情報を信じていたのに、終戦となりそれが嘘だったことを知り「騙された」と感じた体験があったそうです。
この養老孟司氏は「教養」とは、人の心を察することが出来ることとおっしゃっています。

人格の発達過程を表わしたオーギュスト・コント氏の人類知識発育段階は、教育のみならず思想・宗教においても一致するのではないかと思います。第三期に到達できることを目指し続けていきたいです。


牧口先生の視点、かなり高度ではありますが少しでも自分のものにできるように、じっくりと読み続けていきたい本です。




✿✿✿

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