「美しい」と感じる文章が胸にしみ込んでくる。
そんな体験をする今日この頃。
「言葉のプロ」である山根基世さんの語りに出会い本書を手に取る。
子どもの頃にはそう思わなかった蕎麦の味や蕗の薹の苦みが旨いと感じられる。
「ああ、なんておいしんだろう」という満足感が「いい話」を聞いたときの満足感によく似ている。
おいしいものを食べたときと同じようなものだとおっしゃる。
日常の中の「ことば」から感じられることを豊富な体験を通して軽いタッチ(かな?ときには…)で綴っているので「ふふっ」て読みながら
味わい深い日本語、言葉(声)の力を教えてくれます。
人は誰でも、胸に「自尊心」という「虫」を飼っている。この虫はおそろしい猛毒をもっている。取り扱いを間違えると、命取りになる。けっして逆撫でしないよう、大切に取り扱うこと。これが組織を率いる人間がもっとも心すべき注意点。
自尊心という「虫」への思いやりをもって欲しい。人を大切にするというのは結局、この「虫」への想像力を働かせるということではないかと思う。お互いが、自分にも間違っているところがあるかもしれないと、自分を省み、相手を思いやる。そこで初めて、人間同士イイ関係が結べる。組織改革も外交手腕も、そこからようやくはじまるのではないだろうか。
ことばは身体で語るもの。耳で聞いても美しいことば「美しいことば」を希求してきた人が語るとき、そのことばには「音」としても美しいリズムや響きがあるものだ。
「声」は吐く息によって作られるから、「読む」ことは当然「呼吸」とつながっている。古典は人間の「呼吸」と一致している。
こうした、節やリズムが「ことば」を人の心に届けるうえで大きな力をもつ。
人間の肉声・・・生きている証。「生身の声」で伝えることに意味がある。「人間の肉声で語られるものから受ける感動は、活字から受けるものとは違う。
「声」は文字や絵画と違ってすぐに消えてしまう儚いものだが、それは、逆にいえば二度と同じ声、同じ調子には語れない。その瞬間だけの命の燃焼ともいえるのではないだろうか。
人の語ることばというのは、人と人の出会いの瞬間の命と命のぶつかり合いなのだと思う。そう考えると、毎日の暮らしのなかの一瞬後には消えてしまう何気ない会話がこのうえなく貴重なものに思えてきませんか?
NHKでアナウンサーとしてことばにかかわる仕事をしてきて、出会った人たちの「ことば」
ひたむきな彼らのことばが胸に沁み、人間の生き方について教えられる気がしている。という。
そして、こうして出会った人びとの「ことば」によって育ててもらっているのだとつくづく感謝していると。
組織の壁、男社会の壁に頭をぶつけ、深い傷を負いながら学んだのは、自分の思いを実現するためには「感情的にならず、論理的に、しかも人の心に届くことば」で発言する能力が、ぜひとも必要だということだ。そのためには若いうちから自分の中に、だれの借り物でもない、自分自身の体験から得た「自分のことば」を育てていくことが大切だと痛感した。
はじめに、と書かれたこの文に、山根さんもこのような経験をしながら四苦八苦し、「ことば」のもつ力を知り、その力が善きものへの手助けになり、また、「ことば」が自身を育ててくれるのだと実感されたのだ。
まさしく、私が「ことば」を学ぼうとすることの理由であり、この本に書かれていることで再認識することができた。
この本は、1999年12月に初刊行されたものを文庫本にされたものです。
たった一言が命取りになるような閣僚の発言がつづいている。ああしたことばを聞くたびに〈口は心にあふれるものを語る〉ものだということを改めて思う。
・・・ ・・・ 失言・撤回・失言、、、くりかえされる現政界の現状もね。
いいことばの語り手になるには、結局、自分で自分の心を豊かに育てていくしかない。
そうなのよね、まずは人間そのものですよね。 政治家だって、自分の名誉や利益の獲得を基準に物事を見たり決めたりするから、都合の悪いことは隠す、改ざんする。 国民のためにの思い(政治理念)は何処へ? 松下幸之助氏の国会議員に求められる条件をお読みくだされ! もうホントに政治不信・・・ といっててもしょうがないから、私は私を育てるワン!
ここ数年、自分は組織に向かない人だと認識している私にとって、それでも組織人としてやっていかなければならない山根さんの言葉は、うん!とうなずけるものばかりではないけれど、気をつけたい大切なことを学んだ。
声は心を映す鏡
ことば・・・語る、口調(強弱・大小)語彙、によっても変わってくる。
なので、それらをよく知り、気をつけることで改善できるが、やはり、身の内から出てくることばにはそれらが全て無意識に包含されている。
よって、感じる心、自分の心を育てることが大事なんですよね。
自尊心という虫の存在、これを大事にすること。
嫉妬心、自分の中にある嫉妬心を殺す第一歩は、他人と自分を較べるのではなく、自分自身が本当にやりたいことは何なのか、それを見つけることだという手がかりはつかめたように思える
これって、結局、自分自身に生きろってことでしょ、人と較べて一喜一憂することなく自分が納得のいく人生を選択するということ。
「考える」とは、自分の中でまだことばにならずにモヤモヤと漂っているものを、ことばにしていく作業でもある。「我が社の商品」について、「自分の仕事」について、考え続けること――これ以外に「自分のことば」を獲得する確実な方法はない。自分の頭で考えるほかに、自分のことばを得る早道はないのだ。
1945年(昭和20年)の東京大空襲で、一夜にして夫も子どももすべて失った。
呆然としたまま浮浪し、戦後の混乱期を、上野周辺でモク拾いをして生き延びる。十年後、栄養失調で眼を痛め、その治療のために、全国に設けられていた福祉施設に入る。だが救いを求めて入った施設で、人間性を否定され、虫ケラ同然の扱いを受ける。
ここでの体験が、雫石とみのその後の生き方を根底から変えることになる。
それまで読み書きとはまったく無縁だった雫石さんだが、日記をつけはじめたのだ。四十五歳のときだった。
生まれて初めて買ってきた大学ノート。まず平仮名を思い出すことからはじめ、漢字は拾ってきた辞書で覚えた。胸の内に湧き上がる悲しみや怒りや悔しさを口に出せば、職員から殴ったり蹴ったりされるうえ、施設から追い出される。施設の仲間にグチを漏らせば、すぐに密告される。誰にも話すことのできない思いをたたきつけるように日記に書きつけたという。
書くうちに字を覚え、字を覚えれば「読む」ことにも興味が湧く。古本の文庫を買っては読むようになったのも、このころからだ。
日雇いの土方仕事で稼いだお金をコツコツと貯めては少しずつ買い足し、掘っ立て小屋を建てなおして、二部屋、三部屋と部屋数を増し、人に貸して部屋代をもらう。そのお金を貯めてまた土地を買い・・・・・・。こうして血の滲むような努力で手に入れた財産を、潔く全て手放す。自分自身が「書く」ことによって生きがいを得たように、一人でも多くの人に書く喜びを知ってもらいたいと、文芸賞の創設を思いたった。
NHK厚生文化事業団からもらった資料には、こう記されている。
〈「天涯孤独の身であり、生きていくのに必要としないお金が二千万円ある。そのお金を文筆活動を励ますことに役立ててほしい」という申し出が、雫石さんの作品をラジオドラマにしたことのあるNHKのディレクターにありました。そこで雫石さんと社会福祉法人NHK厚生文化事業団との相談の結果、雫石さんの意志に沿う形で公益信託で文芸基金賞を設立し、これからの高齢社会をたくましく豊かに生きる人間模様をテーマにした文芸作品を広く募集し、文芸振興を図ることとしました〉
1997年8月14日、初めて雫石とみさんの住まいを訪れた山根さん、当初はラジオのインタビュー番組を考えていたが、帰りの電車の中では、いま見た部屋の様子や雫石さんの表情をどうしても映像で伝えたいと思いはじめていた。テレビの番組にしたい。タイトルは「書かなければ生きられなかった」で提案してみよう。
そのころ、連日、官僚の汚職や銀行の不祥事が報じられていた。だれもが、金や物を求めて狂奔している時代に、みごとに何ももたずに生きている雫石さんが、私には実に清々しく見えた。
お金や肩書きや名誉など、外側からの支えは、失えばそれきりだが、書く喜びという、内側から自分を支えるものさえあれば、人間はこんなふうに生きることができるのだと、勇気づけられる思いがした。
そのくせ、帰りに寄った駅ビルでバーゲンを催していれば、ついそちらに足を向けてしまうダメな私ではあるのだが・・・・・・。
その後、この番組が決定し取材となるのですが、なぜ山根さんが雫石さんにそんなに共感できるのか?と若い女性の番組制作デイレクターに訊かれた。
雫石とみさんの『荒野に叫ぶ声』を読むたびに、悔しくて悔しくてならなかった。彼女が行政の窓口で〈脳バイ〉とまで蔑まされたり、婦人保護施設で虫ケラのように扱われる記述を読むたびに、どうしてこんなことが起こるんだ、同じ人間になんでこんなことができるんだと怒りが噴き出すのだった。それはもう他人の痛みとは思えないほど、私自身の内臓が切りもまれるような思いがするのだった。
自らも経験する屈辱、それを軽く思われることにも自尊心が許さない。そんな思いが募ってか、女性たちの「無念の思い」を伝えていこう、そして、社会を変えていこう!その思いが先行し「雫石さんの無念を伝えてあげるのだ」と。傲慢になっていたのかも・・・
「何もいらないから帰ってください」との雫石さんの一言が山根さんの頭を打った。そして、少し謙虚にさせてくれた。
伝えたいとの思いが強引な取材になりがち、雫石さんの心への配慮を少し忘れていた。雫石さんのためといいながら、自分の思いを遂げるためのまったくエゴイズムでしかなかったのだ。自分のために取材させていただいているだけだったのではないか?と山根さんは気づく。
あきらめずに次の日もう一度出かけると、雫石さんの表情はやわらいでいて「昨日はせっかく雨の中来てくれたのにスミマセンでした」と思いがけないことば。私たちは心からお詫びし、心から感謝しつつ、さらに取材させていただき、無事放送までこぎつけることができた。
日記を書くということは雫石さんにとって、自分の中でマグマのように混沌と混じりあって、まだことばになっていないさまざまな感情を見つめ、その一つひとつを「ことば」にしていく作業だったのではなかろうか。あふれる感情は「ことば」というはけ口からしか吐き出すことができないのだ。だからこそ、「日記」でなければならなかったのだ。
こうして日記をつけることが読み書きにつながり、文字やことばを得ることによって初めて「思考」がはじまる。人は「ことば」によってものを考えるのだから。「日記」をつけるということは、「考える」ということでもあったのだ。識字というのは、けっしてただ字を知るだけのことではなく、「世の中の認識」に繋がるのである。
ことばは、単なる口先のおしゃべりのための道具ではない。人間の存在を根底で支えるものなのだ。
心の裏づけのない空虚なことばを使いがちなアナウンサーという職業の私。「ことばで表現する」ことが人間にとって「生命を支える」ほどの重要な意味をもつのだという事実の前で、厳粛な気持ちにならずにはいられなかった。
「ことば」声に出した語り言葉は呼吸であり、言葉に乗せた心に心が動かされる。
「自尊心の虫」の存在、その背景への想像力を働かせ一瞬の出会いである「ことば」を大切にしなければ。
そして、いいことばの語り手になれるよう、わが心を豊かに育てていきたいです。
最後に、こんなお話を見つけました、興味があれば読んでみてくださ~い。
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by sakura8sakura
| 2018-03-28 01:10
| 学び