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カテゴリ:説話( 40 )
乞眼の婆羅門
 多くの小説が日本にもあるが、時代の激しき、流れゆく中にあっても、なぜか夏目漱石の小説は不動である。その夏目漱石の作品の一つに『門』という長編がある。その冒頭に、主人公の宗助が首をひねりながら、「何うも字と云うものは不思議だよ」という一文がある。「近来」の「近」の字がどう書くか分からなくなって細君に聞いた。
「近江のおうの字じゃなくって」
「その近江のおうの字がわからないんだ」
 どんな易しい字でも、疑いだすと分からなくなってくる「不思議」。それでいて調べてみると、まことに味わい深い語源を探り当てたりする。そこに、表意文字としての漢字のもつ妙味があるといってよい。
 難しくその語源まできわめなくても、一目で分かるものがある。たとえば躾(しつけ)である。身が美しいとは、これはまた美事な字面ではなかろうか。躾の行きとどいた動作は美しく、いつ接しても清々しい印象を与えるものだ。

 この躾について、私には、嬉しい思い出がある。今から八年前の四月、万葉の面影をとどめる大阪・交野市に、創価女子学園がオープンした。私も創立者として出席し、晴れの門出へのはなむけとして、五つの提案をしたのだが、その一つが躾であった。円滑な生活のリズムを身につけるには、若い頃からの躾がとくに女の子の場合は大切であると考えたからである。
 幸い、学園の先生方も私の意を汲み、若木に適度の肥料を与えつづけて下さっているようだ。学園を訪れた多くの来賓の方々の口から、すれ違う生徒たちが皆軽く頭を下げて通り過ぎる礼儀正しさに驚いた、などという言葉を聞くと、創立や冥利に尽きるといっても過言ではない。
 ところで躾とは、広い意味で訓練、鍛練にも通じていよう。若い時代の人格形成には、こうした ” 鍛え ” が絶対に欠かせないのだが、今日では老若を問わず、この気風が失われつつあるように思えてならない。

 中国の古典『呂氏春秋』に、人間を評価する際の心得として「八観六験」ということが述べられている。八観の方は省略するとして、ここでは六験について触れてみたい。験とは試験、実験とあるように「ためす」という意味である。
「およそ人を論ずるには……之を喜ばせて以て其の守を験し、之を楽しませて以て其の僻を験し、之を怒らせて以て其の節を験し、之を懼れれしめて以て其の特を験し、之を哀しませて以て其の人を験し、之を苦しましめて其の志を験す」と。
 喜ばせて守を験す ― 守とは守るの義、信念ともいえよう。有頂天になって信念を忘れていないかどうか。
 楽しませて僻を験す ― 僻とはクセである。楽しみにのみ、のめりこんでしまっては落第である。
 怒らせて節を験し ― 節とは程合い。怒りのあまり我を忘れるようでは、ひとかどの人物であるとはいえない。
 懼れしめて特を験し ― 特は得立、独立に通じ、自らの所信を貫いて一身を特することをいう。守にも似て、特の人とは信念の人である。
 哀しませて人を験す ― 人とは忍、つまり忍耐をさす。
 苦しましめて志を験す ― 註釈の必要はあるまい。獅子は我が子を千尋の谷底へ突き落とす。

 喜び、楽しみ、怒り、懼れ、哀しみ、苦しみと、およそ人生のあらゆる試練の場に立たせてみて、それに耐えられるかどうかで人間を見よ、人物について評価を下せというのである。「八観六験、これ賢主の人を論ずる所以なり」と。

 まことに古典の説くところは、含蓄に富んでいる。私も、恩師と共に戦った十年間は、厳愛に包まれてほとんど叱られ通しの日々月々であった。振り返ってみるほどに、懐かしくも尊い青春の幾歳月であった。それだけ、少年期、青年期の " 鍛え ” の重要さは、五体にたたき込まれている。その大恩の万分の一にも報いようと、私もまた、恩師のもとひとたび決めた道を、まっしぐらに疾駆していきたいと念願新たな昨今である。

 「大智度論」に、” 乞眼の婆羅門 ”とういことが説かれている。
 釈尊の弟子の中でも智慧第一といわれた舎利弗は、過去世に六十劫もの間修業を続けてきた。これを見た魔王が、何とか修業を妨げようと、婆羅門の姿となって舎利弗の前に現れ、眼を乞う。これも仏道修行と、舎利弗が一眼を与えると、手にした婆羅門は「くさい」とツバをかけ、地面に捨てて足で踏みつけてしまう。馬鹿らしくなった舎利弗は、試練に負けて、せっかく積み上げてきた修行の道から退転してしまうのである。

 躾のような身近な問題に始まり、" 鍛え ” の気風から縁遠くなった現代である。そうした軟風に染まることなく、烈風に敢然と立ち向かう人生でありたいものだ。一生をどのように送ろうと、人生の最終章のバランス・シートは、だれでもない、自分で引き受ける以外にないのだから ―― 。

つれづれ随想より 


表意文字としての漢字のもつ妙味
これは、先生がスピーチや指導でもよく教えてくださっていることで。まさしく、それでいて調べてみると、まことに味わい深い語源を探り当てたりする。私も大好きなんです。

たとえば「心」
「由来は、語源として「凝々(こりこり/ころころ)」や「凝る(こごる)」などから来ているという説がありますが、現代用いられている「心」は心臓の形をかたどった象形文字であるとされています。
万葉集には「肝向ふ 心砕けて」という記述があり、古くから肝(肝臓)と向かい合う心臓であると捉えられていたようです。中国においても古くから心臓の鼓動と精神作用は結びついていると考えられ、心を部首にした漢字(志、怨、念、もちろん忍も)は、どれも精神作用について表す語となっています。

歌詞などにもありますよね。
「忍」― 因幡晃の忍冬(すいかずら)♪忍という字は難しい心に刃を乗せるのね 時々心が痛むのは刃が暴れるせいなのね~♪
ちょっと暗い歌ですが…心を感じるにはとてもよくわかりますよね。

りっしんべんの心だと
「忙しい」― 心を亡くす。 あー 言(使)わないようにしなきゃって思ったものです。

「心」って大事で、別名「命」「生命」ともいえますね。
中島みゆきさんの歌詞にありましたね
http://www.uta-net.com/movie/10175/

余談ですが… 研ナオコさんのLOVE・LIFE・LIVE雨のち晴れ、ときどき涙(民音)に行きました。そこでナオコさんが大好きな歌として歌われていたのがこの曲「忍冬」でして、すぐに浮かんできたのです。 よかったですよ!いい親子です♫



験とは試験、実験とあるように「ためす」という意味である。
「およそ人を論ずるには……之を喜ばせて以て其の守を験し、之を楽しませて以て其の僻を験し、之を怒らせて以て其の節を験し、之を懼れれしめて以て其の特を験し、之を哀しませて以て其の人を験し、之を苦しましめて其の志を験す

 「人間を評価する際の心得」とありますが、決して「人をためす」のではなく、「自分をためす」ためのものなんでしょうね。なんと厳しい実験でしょう…(汗)
この「つれづれ随想」で学ぶのもこれで最後ですので、自分を知るためにやってみましょうか… ちと怖いですけどね。

 喜ばせて守を験す ― あやしいね… とはいうのは信念を忘れているというわけでは決してありません!人間て緩みやすいものではないでしょうか?(私はですけど)順風満帆とまではいかなくても、なんとなく平穏であったりすると緊張感というものがなくなるんですね。信心面でいえば意識して日々御書や先生の指導に触れていかないとダメだなぁと思うことがあるのです。日常の出来事でいえば有頂天になってうっかりしなければならなかったことを忘れてたりね。よくよく自分に言い聞かせて覚えておかねばです。
 楽しませて僻を験す ― 楽しむことがいけないのではない、ただそれのみになってはいけないということなんでしょうね。偏り過ぎないというか。自分の傾向を知っておくとと解釈してもいいかもですね。そういう意味ではバランスが大事。これは意識して気にしてるかな。出来てるかどうかは別としてね。心がけてます。
 怒らせて節を験し ― これはね… あまり怒ることがないのです。どちらかといえば悲しみのほうが出てきやすいのです。でも、節とは程合い。ということなので大事ですね。ここで先生が言われているのは我を忘れるようでは…ということなので、怒りというのは強いエネルギーなので出し方や状況によって有効に働くので冷静な判断ができていることが大事ですね。
 懼(おそ)れしめて特を験し ― 懼(おそ)れとは、怖がる危惧するという意味だから、そういうことがあっても自分の揺るがない信念を貫くことができる人にということでしょうね。特は得立、独立に通じ、自らの所信を貫いて一身を特することをいう。信念の人である。自分自身に生きる、何ものにも負けない確固たる自身を只今建設中です!
 哀しませて人を験す ― 人とは忍、つまり忍耐をさす。人生いろいろあるもんね、がんばってます!
 苦しましめて志を験す ― 註釈の必要はあるまい。獅子は我が子を千尋の谷底へ突き落とす。「苦」とはある意味ありがたいことなのですね。φ(..)メモメモ

これらの事柄が目の前に起こったときの振る舞いができるように、こうやって自分を冷静にみつめ認識していくことが大切なんだと思いました。



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by sakura8sakura | 2016-04-26 14:14 | 説話
「弓矢」の絆
 春も四月という音律を聞くと、なんとなく暖かくのどかな感じをうけるものである。花びらを肩に受けながら、和服のお母さまに手を引かれながらの、小学生の入学式の、歩みゆく姿は、なんともいえぬ絵と抒情詩を思わせるものがある。

 家庭内のトラブルによる事件(20歳になる浪人中の若者が、金属バットを振るって両親を殴殺―)は、外からはうかがい知れぬ入り組んだ事情があるもので、私も軽々には論じたくはない。
 しかし、一連の経過を見ていると、一つのことだけは、まず間違いないといってよいと思う。それは、両親の間の亀裂が、そのまま若者の心のなかに、深い傷跡を残していったということである。
 昨今のように、人の心の荒んでいる時代には、夫婦の絆こそ、子らの心を守る、最後にして最大の防波堤なのだ、と感を改めて深くしたものの一人である。

 夫婦の絆といえば、ある婦人から、日蓮大聖人の御遺文集の一節の拝し方について問われたことがある。
 というのは「女人は水のごとし・うつは(器)物にしたがう・女人は矢のごとし・弓につが(番)はさる・女人はふね(舟)のごとし・かぢ(楫)のまかするによるべし、しかるに女人はをとこ(夫)・ぬす(盗)人なれば女人ぬす人となる……」とあるけれど、夫婦といっても独立した人格、夫というものは妻にとって、どうしてこのような決定的な存在になるのでしょうか ―― とその婦人はいうのである。
「いや」―― 私は答えた ―― 「それは、夫婦の本当の意味の愛情というか、深い信頼感をおっしゃっているのだと思う。大聖人はほかのところで『や(箭)のはしる事は弓のちから・くものゆくことはるい(竜)のちから、をとこ(夫)のしわざはめ(婦)のちからなり』と妻の果たす絶大な役割を教えられてもいる。互いに弓のごとく、矢のごとく、それは夫婦の契りというものの、理想的なあり方を指摘しておられるのではないか」と。
 ふつう、” 鴛鴦(えんおう)の契り ”とか ” 比翼の鳥、連理の枝 ”に譬えられる夫婦の絆の深さというものを考えるとき、私はいつも『戦争と平和』に描かれた一人の女性・ナターシャを思い起こさずにはいられない。

 生気に満ちて魅力的なこの貴族令嬢は、結婚後、華やかな社交界とはきっぱり縁を切り、ロシアの大地の匂いのする妻、母へと変貌していくのである。以前のナターシャとは別人のようであるが、彼女の日々は、どっしりとした自信に溢れている。夫・ピエールとの間の深く固い信頼の絆で支えられているからだ。
 ピエールは、ツァーリ(皇帝)の圧政に反発して、ある秘密結社に加わって運動している。そんな彼が、あるとき書斎で、友人を相手に活発な政論を戦わせている最中、ナターシャがはいってくる――。
「話の最中にはいって来たナターシャは、嬉しそうに夫を眺めていた。彼女は夫の言っていることを喜んでいたのではなかった。そんなことは彼女にはなんの興味もなかった。そんなことはみな、きわめて単純なことで、ずっと前から知っていることのように思われていたからである。(そんはふうに思われたのは、彼女はそれが出てくる源――ピエールの心をすっかり知っていたからである)彼女はただ、彼のいきいきした、感激にみちた様子を見るのが嬉しかったのである」

 文豪トルストイの筆致は、さすがに見事な冴えを見せている。
 ナターシャの自信は、もっともっと奥深い次元、つまり「それが出てくる源 ―― ピエールの心」を知り、信じているところから出てくるものである。この次元の労作業こそ、じつは人生における最重要の課題であることを、彼女は生きて知ったのだ。
 古今の文学を通じて、夫婦の絆というものを、これほど感銘深く見事に描き出した作品はまれではないかと、私は思っている。

つれづれ随想より抜粋 



 互いに弓のごとく、矢のごとく、それは夫婦の契りというものの、理想的なあり方を指摘しておられるのではないか

 重要なことは、『互いの』というところかと思います。
前文に引かれている御書の一節では主人の力、後文に引かれている御書の一節では婦人の力がとあるから、先生は、「互いに弓のごとく、矢のごとく、それは夫婦の契りというものの、理想的なあり方を指摘しておられるのではないか」と教えられています。

『戦争と平和』をまだ読んでいないので先生の引用された部分で思索してみます。

 ナターシャの自信は、もっともっと奥深い次元、つまり「それが出てくる源 ―― ピエールの心」を知り、信じているところから出てくるものである。この次元の労作業こそ、じつは人生における最重要の課題であることを、彼女は生きて知ったのだ。

 日常のなかで、互いに思いや感じたことなどを話し合ってお互いのことをよく知っていなければ、ナターシャのようにはなれないですね^^;
そして、互いに信頼しあう、尊敬しあう、認め合う関係であること。
そこに(場であり雰囲気であり)見えるものは、安心感なんでしょうね。
 だけど、先生はこの次元の労作業こそと言われています。そこに至るまで、その過程に努力し築かれていくもので、それがどういうものかを知ることは、失ったときに知ることが多いがナターシャはそれを、今現在において知っている。


 さて、自分自身において考えてみた。
ふむ…。ものごとに対しての考え方は、割と食い違うことが多い^^; だけどそういう思考であるということは知っているので。そこで、大事になってくるのが差異の部分も認め合うこと。言葉で言うと簡単そうですが… なかなか難しいときもあります。そんな時はとりあえず「そうなの?」と疑問符つきでありながらでも認める。言い切らないように気をつけています^^ まだ、過程ですからね。大事なのは対話。
 あとは、お題目。自分の生命力を高めるように唱題する。今在る、自身の生命境涯を見つめてみる。不思議と冷静になるもんですよ。何があっても揺るがない自己の中に一本の芯を築き上げること。

 夫婦の絆ということで考えてみたけれども、これって人間関係においても同じことだと思います。お互いが弓となるような縁になれれば、お互いが生き生きとしていけるのではと思います。







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by sakura8sakura | 2016-04-19 14:05 | 説話
牛飼いの男の恐怖
 ことのいかんをとわず、青年は必ずよき先輩、よき師というものを持つべきであると思う。
 その人間と人間のふれあいから成長しゆく、一つのみえざる綱というものが、それなりの世界の師弟とみたい。昔から、その人間練磨の根幹をなすという意味から、夫婦よりも親子よりも、その師弟というものが重んじられてきたといえるかもしれない。

 吉田松陰といえば、私の最も好きな人物の一人である。
 その吉田松陰が萩の町の一隅の松下村塾から短期間に、あれほど多士済々な人材群を輩出しえたということは、松陰が並々ならぬ人間的魅力の持ち主であったことを物語っている。

 私の恩師も、松陰の優れた教育者としての側面などによく言及され、人材育成の範とされていた。
 囚われの身となってからも、獄中から門下へ向けて数多くの手紙を送り、巨細にわたり志の貫徹をうながしていて、革命家であり教育者であった彼の人となりを、鮮やかに浮かび上がらせている。

 そんななかで、彼の死生観を語って、私に強く印象づけられている一書簡がある。刑死のほぼ半年前に、萩の山獄から弟子の入江杉蔵に宛てたものである。そのなかで―
「死を求めもせず、死を辞しもせず、獄に在っては獄で出来ることをする、獄を出ては出て出来ることをする。時は云はず勢は云はず、出来ることをして行き当つつれば、又獄になりと首の座になりと行く所に行く」と、その死生観を淡々と述べている。
 当時、松陰はまだ二十九歳。若い。しかし、彼のたどった道と教養の深さを思えば、そこに、若さの客気が生む観念的な背伸びを読んではなるまい。読みとるべきはむしろ、一つの徹した死生観である。
 江戸の獄舎に移送されたのちも、高杉晋作から「丈夫死すべき所如何」と問われて「死は好むべきにも非ず、亦憎むべきにも非ず、道尽き心安んずる、便ち是れ死所」と答えているのも、感銘深い。
 松陰独特の死生観の透徹ゆえに、彼のことばは、死を論じて暗さを感じさせない。自らの行動に対する絶対的な信念、未来と人間への信頼をたたえている。松陰の若さを言うならば、そういう形で凝結していると、私は思う。

 たしかにこうした死生観は、現代ではあまりはやらないだろう。といって、生死への関心が薄れているわけではなく、健康やガンなどの問題に対する人びとの関心の高まりは、むしろ異常といってよいほどだ。
 しかし、その関心の向き方には、どこか陰影がまとわりついてはしまいか。死を直視して生死に徹した松陰の澄明さとは逆に、死を見つめることを避けようとするあまり、かえって死の影に脅かされるという陰影、暗さが……。それが高ずると、結局は生きる力の衰弱につながっていくことになる。

 これは、ある仏典に出てくるエピソードである。
― 釈尊がガンジス河のほとりで説法していたときのことである。話しを聴いていた一人の牛飼いの男が、手を合わせて弟子入りを懇願する。釈尊は、まず牛を主人のところへ返してくるように命ずる。すると牛飼いの男は、道すがら大きな声を張り上げて、「こわいよう、こわいよう」と叫びながら駈け出した。彼には、百人ほどの牛飼いの仲間があったが、このありさまを見て、口々に問うた。「なにがそんなに恐ろしいのだ」すると牛飼いの男は、「生きているのが恐ろしいのだ。死んでいくのが恐ろしいのだ。病気になるのが恐ろしいのだ」と答えた。仲間たちはそれを聞いて、牛飼いの男の後ろから「こわい、こわい」と叫びながら駈け出した。
 かくて、ほかの牛飼いの男も、草刈りの男も、柴刈りの男も、路傍の男も、それに続いて駈け出した、という。

 他愛のない話のようだが、この牛飼いの男や彼に雷同する男たちの愚かさを笑える現代人は少ないとはいえまいか。
 たしかに、死や病を恐れるのは人間の自然の情である。だから健康に留意する。無病息災ということは、充実した人生を送るための大切な要件である。
 私自身、若いころに胸を病み、青春時代は否応なく死とむかいあわせに生きた。であるからこそ、私には、健康の尊さが骨身にしみている。
 とともに、無病というだけでは、それが、半面の事実にすぎないことも忘れてはなるまい。事なかれ主義が真実の人生の充実をもたらしはしない。
 意義ある一生とは、生涯をかけて悔いない、ある意味では自らが死んでもなお生きつづける理想や目的があって、はじめて可能となる。
 仏法では生死不二と説いている。そうした生き方は、日蓮大聖人が御遺文集のなかで「一生はゆめの上・明日をご(期)せず」と仰せのように、現在の一瞬一瞬を最高度に充実させゆく日々のなかにのみ築かれていくと、私は信じている。

 真実の死生観の確立こそ、現代人に課せられた、もっとも大きな宿題であると、訴えてやまない。


つれづれ随想より 


 この中で一番心に響いた言葉は、「死を求めもせず、死を辞しもせず、獄に在っては獄で出来ることをする、獄を出ては出て出来ることをする。時は云はず勢は云はず、出来ることをして行き当つつれば、又獄になりと首の座になりと行く所に行く」
 自分が一生かけて取り組もうとしていることを、日々挑戦し続けること。そうして、人は人の中で成長する。
この一生をかけて取り組むことを教えてくださっているのが「師」であり、その師の思いを我が思いとして生き抜いていくということ。その信頼関係という綱が師弟ということなのだと思います。

 言葉を多く重ねても仕方がないので ^^;
 
 師から学び、師と対話し、師と志を同じくし、いま自分のできることを自分らしく進んでいきます。
 昨日より今日、今日より明日へ 自分を信じて一歩づつ。



「人間にとって恐ろしいものは、白血病でも、がんでもない。生きる生命力のなくなった弱い自分なんだ。「『死』の恐怖を乗り越え病気と立ち向かう人生観を確立することが健康な時になすべきことだと思う」
 数々の「生」と「死」をみてきた経験からの、人生の本質をとらえた言葉だと思う。日蓮大聖人は「まず臨終のことを習って、後に他のことを習うべきである」(御書1404p)と仰せであるが、健康のとき、活動できるときに、「病」と「死」を乗り越えていける人生観の確立こそ、人生の最大事であり、生き方の根本である。私たちは幸せにもその道を知っている。  1988.9.12人生の指針





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2016.4.2 Sat  ソメイヨシノ






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by sakura8sakura | 2016-04-02 22:33 | 説話
師曠の耳
 私の人生の恩師、戸田城聖先生は、それはまことに座談の名人であられた。人びとの心に光線のように照射する言々であり、情熱の句々であった。それはいわゆる型にはまった教条的なものではなく、人の心がつねに動き、変わりゆくごとく、自由にして闊達、その人の心をつつむ言説であったといってよい。
 その中に、納得せざるをえない論があり、説得を含めながら、あちらに春の花の咲くがごとく、ユーモアと笑いがただよっていた。互いにその心の言葉に交差した人びとは、蘇生の思いを味わっていたことはまちがいない。

 ともあれ、古来、笑いというものは、人びとの心を和ませ、人間関係を円滑にする潤滑油のような働きをしてきたものである。なかには嘲笑、憫笑などのように底意地の悪さ、心の貧しさをのぞかせているものもあるが、笑いの本質は、そんなところにあるのではあるまい。
 それは、心の豊かさの巧まざる表出であり、事に当たってつねに余裕を失わぬ良き同伴者とはいえまいか、「笑う門には福来る」とか「笑いは人の薬」といったことわざが、古くから言い伝えられてきたのも、けっしてゆえなきことはない。

 かつてこの随想で古川柳の『誹風 柳多留』を取りあげ、わが国永遠の庶民像のなかに息づく、健康なユーモアや諧謔精神に触れたことがあった。川柳にかぎらず、落語や漫才が果たしてきた機能もそうであったろう。
 こうした庶民文化を、貧困、差別、抑圧など、当時の社会的諸矛盾から目をそらそうとするものであるなどと、浅薄な言を弄してはなるまい。もっと深い次元で人びとは知っていたにちがいない。今日の笑顔のないところ希望の明日を招き寄せるこてとはできない、ということを。それは、したたかな庶民の知恵の所産であった。

 中国の春秋時代の話である。衛の霊公が晋の国へ向かう途次、今まで聞いたこともないような妙なる音楽を聞いた。すっかり惚れ込み、お供の音楽師にそれを覚えさせ、やがて晋に着くと晋の平公に自慢そうに聞かせた。
 そのころ晋には師曠という名音楽師がいた。彼が楽を奏するところ、鶴を舞わせ、白雲を呼ぶとまでいわれた名人であった。平公に連れられて、霊公自慢の音楽を聴いていた師曠は、驚いていう。
「お待ちください。新しい音楽なんてとんでもありません。これこそ亡国の音楽です。」
 驚き、いぶかる両君に対し、師曠はそのいわれを語って聞かせる。
「むかし師延という有名な音楽師がいました。殷の紂王につかえ、王のために淫靡な音楽を作って献じたところ、王はすっかり気に入り、聞き惚れてしまいました。こんな音楽が気に入るのですから、ロクなことはありません。悪逆非道の故をもって、周の武王に亡ぼされてしまいました。王を失った師延は楽器を抱いて東に走り濮水に行って自殺しました。ですから、あそこに行くと、必ずこの音楽が聞こえてくるのです」と。
 名づけて「亡国の音」―― の故事である。


 日蓮大聖人は御遺文集のなかで、この故事を引かれ「師曠が耳、離婁が眼のやうに見聞させ給へ」と仰せになっている。離婁という人は、師曠が素晴らしい耳を持っていたように、視力にすぐれ、百歩離れたところからも、毛の先を見分けたと伝えられる。
 いずれにせよ日蓮大聖人は、この故事をとおし、宗教の正邪はもとより、広く社会の盛衰の兆しを読みとっていく耳、眼、見識を養うよう促されているのである。


 当時、流行っていた「漫才ブーム」に垣間見られる「笑い」の中に人を差別していびるようなものもあり、それは思わず笑いを誘うという古来の諧謔精神とは違い、棘があり、心がささくれだっているようでどうも親しめないと先生はおっしゃる。
 しかももっと気になるのは、そうした傾向と踵を接して、いわゆる” 御上 ” に対する風刺がほとんど見られないということだ。これはとくに若年層に著しい政治的無力感、無関心を、すばやく写しとっているのではないかとひそかに心配されている。

 漫才ブームを「亡国の音」などと目くじらをたてるつもりはない。亡国をいうなら、さまざまな形をとって現れる右傾化、保守化の潮流こそそれである。
”バター”を削って”大砲”に備える。戦後初めて防衛予算が福祉予算の伸びを上回ったことの不気味な予兆。平和憲法の改廃論議。いかなる大義名分を振りかざそうと、そこに「亡国の音」を聞き分ける師曠の耳を持つことが急務といってよい。

 しかし、どんな政治であっても、民衆の最大多数の支持なくして事が運べようはずがない。これは、さきの大戦によってわれわれが得た、そして二度と手放してはならぬ貴重な教訓である。
 だから、民心の動向こそ、大事中の大事となってくる。笑いひとつにしても、その心の模様図は、じつに正確に反映しているものだ。
 揺れ動く民心の健康度いかん――、師曠の鋭い耳は、そうした次元をもけっして聞き逃すことはないのだと思うのだが、どうだろう。


つれづれ随想より抜粋 



 昭和56年(1981)、35年前の春の話である。・・・・・
先生が心配されていたことが、今現実に表れているのではないでしょうか。
35年前の若年層、私の世代ですね。
確かに、政治に興味はなく社会的なものに目を向けるということがなかったなと思います。
今、大いに反省中!!!

先生がおっしゃるような当時の笑いの中に異質のものを感じてはいました。
「なんか、好きじゃない・・・」
先生が言葉にされた「棘があり、心がささくれだっているようでどうも親しめない」というところだったんですね。
今もありますよ、そう感じるとき・・・
政治家が国会や講演などで話すときに感じる話し方、それを聞いて笑う声、顔。
「なんか、受け入れられない」

  先生は、このような兆候が社会の中でどう反映しているのかをみる、そういう眼、耳を持つことがいかに大事であるかを教えてくださっているのですね。

  春秋時代の衛の霊公のように、師曠のような側近は現政府の中にいるのだろうか・・・

「なんか、おかしいよ!」と声を上げ続けている民衆の心を聞こうとする政治家はいるのだろうか・・・

これだけ多くの声が上がっている現在であるというのに、なぜ、みんなでお互いの考えを出しあって討議しもっとよいものを見つけだそうとしないのだろうか・・・

なぜ、そんなに強引な力で急いで決めなければならないのでしょうか?


何度考えてもわからない。


”バター”を削って”大砲”に備える。
例えば、戦闘機一機の値段で、校舎がいくつだったっけ? いくつも建つ。
もちろん日本だけの話ではないですよね。
世界の軍事費があればどれだけのバターが使えるか?
人間にとって必要なものはどっちでしょう。

そうしたらどの方向に進むのがいいのかわかるでしょ。
NGOの働きは本当に地道な活動です。
だけど、未来を考えると一番確実な方法です。

私なら、そういう方法を選びます。



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by sakura8sakura | 2016-02-29 11:47 | 説話
心の財
 ルソーは、不朽の名著『エミール』のなかで、思春期を迎えた青少年の姿を、次のように描き出している。
 「暴風雨に先だってはやくから海が荒れさわぐように、この危険な変化は、あらわれはじめた情念のつぶやきによって予告される。にぶい音をたてて発酵しているものが危険の近づきつつあることを警告する。気分の変化、たびたびの興奮、たえまない精神の動揺が子どもをほとんど手におえなくする。まえには素直に従っていた人の声も子どもには聞こえなくなる。それは熱病にかかったライオンのようなものだ」
 ご存じのように『エミール』は、同名の男の子が、ルソーの理想とする教育によって成長していく姿を描いた書で、教育学の古典とされている。教育というよりも人間に関心ある人ならば、一度は目を通しておきたい本である。
 それにしても、15歳を迎えたエミールを「熱病にかかったライオンのようなもの」とは、言い得て妙ではあるまいか。
 15歳といえば、現代でいえば中学から高校へいたる年代である。子供から大人へ脱皮する重要な時期といえよう。ルソーはこれを「第二の誕生」と呼んでいるが、この年代の青少年教育ということの難しさは、彼の時代も今も、変わりがないようだ。

 私も荒れる教育現場からいくつかの手記、記事を読んだ。なかでも一番心うたれたのは、一ジャーナリストがもらしていた所感であった。すなわち、今の大人は人間の内面にひどく無神経になっている。子供の外側を整えることにはたいへん熱心だが、その内側に目を注ぐことには怠慢な大人がふえている、というのである。
 問題の核心を鋭くえぐっているといってよい。
 ルソーもいう。「青年の心に、あらわれはじめた感受性の最初の動きに刺激をあたえ、それをはぐくんでいこうとするなら、人々の幸福のいつわりの姿を見せて、傲慢な心、虚栄心、羨望の念を芽生えさせるようなことをしてはならない(中略)人間を知らないうちに世間を見せてやることは、かれを教育することにはならないで、堕落させることになる」と。
 ルソーのいう「人間を知る」とは、人間の内面、内側に目を注ぎ、自己を確立しゆくことにほかなるまい。
 成長しゆく子供たちにとって最も大切なこの一点を忘れ、いわゆるエリート・コースに乗せることのみに狂奔するようないき方は、偏ぱで傲慢で、人の心を解しない人情不感症ともいうべき人間しか生み出さないものである。
 まことに子供は親の鏡、社会の鏡といえまいか。


 昔、釈尊が祇園精舎で説法をしていたとき、一人の愚かな男がいた。
 あるとき主人から留守番を命ぜられ、門の守りのほか、ロバに注意するよういわれた。ところがその日、隣の家で音楽会が開かれていたので聴きたくて我慢できず、門をとりはずしロバの背にくくりつけて出かけてしまう。その留守中に泥棒が忍び込み、家財道具の一切が盗まれてしまった。―― この男が、帰ってきた主人からこっぴどく叱られたことはいうまでもない。
 ある仏典に出てくるはなしであるが、なんのために門を守るかという本質を忘れた男の愚かさを、今の教育が笑えるであろうか。
 なんのための教育、なんのための学問――荒れ狂う子供たちの姿は、この原点をおろそかにした現代社会への無言の告発のように思えてならない。

 日蓮大聖人も御遺文集のなかで「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」と仰せになっている。
 この「心の財」こそ、人間の内面世界の至極の尊さを示されたものといえる。
 われわれはそろそろ、外側ばかりを追いつづけてきた現代文明の転倒に気づくべきである。そこにのみ「熱病にかかったライオン」が、病癒え、威風堂々たる百獣の王のように成長しゆく道が開かれいくであろう。


つれづれ随想より 一部抜粋


 このページを開いて、少し驚いています。
ちょうど、ルソーの教育の思想が小説の形式で書かれてあるのが『エミール』であることを知り、興味深く思っていたところでした。
 先生の仰る「人間を知る」とは、人間の内面、内側に目を注ぎ、自己を確立しゆくことにほかなるまい。この言葉は、昨年の自分自身の内面を磨くという課題を意味し私なりに挑戦してきてことでもありました。

 今年に入って私の取り巻く環境が変わりつつあり、新たに関わるだろう人々、本当にさまざまです。幼稚園児から60ウン才まで… 内面的にもいろいろあります。人を育てるというとなんだか偉そうで私らしくないので「一緒に育っていこう、成長していこう」と思っています。
 人間に関心ある人ならば、一度は目を通しておきたい本である。
『エミール』は、上・中・下の3巻(汗)エミールという平凡な男の子が誕生から結婚までを描かれているようなので、わが子にも大いに関することであろう! 少しずつでも読む?(汗)きっと、自分にとっても大切なことがあるのだろうと思います。
 ゲーテも、ゲーテに惹かれてゲーテのお母さんを尊敬して読んで学び自分にとっても、またそのことをお伝えできた方にもよかった!となったのだから^^
「ゲーテの本を読むぞー!」も、まだまだ、始まったばかりですが (^^ゞ
私らしく朗らかに一歩前進!で進みまーす!

 今回は、本当の備忘録。自分が今日の日を忘れないための学び?となりました^^;




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by sakura8sakura | 2016-02-17 14:48 | 説話
桜梅桃李
 新春――
 新しい年がくると新しい気持ちになることは、ひとつの折目の節として、日本の伝統と私は思っている。

 十代の時のたつのが遅い。二十代はやや長い。三十代になるとスピードが増し、四十代、五十代になるとあっという間に時がたってしまうということは、多くの人が実感していることである。
 客観的にみた場合に、時というものは色もなく形もなく、質もなく量もない。しかし、人生という社会と宇宙を貫く厳たる一本の線として、きびしいばかりに走りゆくものである。

 歴史は最大の弁証論者なり――。
 若いころ、私はザラ紙の「読書ノート」にこう書きつけたことがある。今思うと若気の気負いが感ぜられて少々面映ゆいが、歴史の持つ淘汰作用―― 真実と偽りをふるいにかけ、やがては真実を浮かび上がらさずにはおかない、ひとつの動かしがたい力というものの存在に、その頃から思い馳せていたことは事実である。
 たとえば、創価学会の初代会長であった牧口常三郎先生は、優れた学者、教育者でもあった。三十二歳のときに上梓された『人間地理学』や、晩年の『価値論』も、当時は一部の人を除いて、とりたてて注目されることはなかった。
 しかし、最近では、その独創性と先見性に注目する人がとみに増え、各地の講演会などでも活発に語られているようである。これなども、真実を選り分けのこしていく歴史の淘汰作用と言ってよい。

 私は昨秋(昭和五十五年)、五年ぶりにアメリカを訪れた。
 私が初めてこの地を踏んだのは、ちょうど二十年前であった。この間、幾度となく往来したが、今回、既知、未知を含めて多くの友人と心の絆を固め合いながら、改めて二十年という歳月が築き、浮かび上がらせた歴史と真実の “足跡” をそこにみる思いであった。
 この二十年間にアメリカ社会も激変している。その多種多様な変化のなかで、大きな現象の一つに、ウーマン・リブ
運動がある。1970年代に急速に盛り上がったこの運動が、試行錯誤を繰り返しながらも、いわゆる男性を中心としてきた、この構造的な矛盾をつき、多くの成果を収めてきたことは事実である。しかしその一方、失ったものも多かったというのが、十年たった今の反省であると聞く。
 現今の社会には、離婚率の増大とか、家庭の崩壊とそれに伴う孤独感の侵蝕といった、従来のリブ運動だけでは解決しえない深刻な精神問題が表面化してきている。その結果、ウーマン・リブ運動は現在、第二期を迎えているという。すなわち、男性および男性社会との戦いから、男性とともに人間としてあるべき姿を求めて戦うという方向へ、と。
 ここにも一つの歴史の淘汰作用がうかがえまいか。

 すべての人びとが男性であり女性であり、親であり子であるまえに、否、真実そうあるために、まずなによりも人間であることの自立の精神を培うことこそ急務である、と年季、考えてきた。
 たんに時流に乗っただけの運動であるならば、風向きが変われば雲散霧消してしまうであろう。歴史という力の淘汰作用には、とても耐えられはしない。思想であれ運動であれ、人間自体に根をおろしているものは、時代を超えて生き、発展し続けるにちがいない。

 ウーマン・リブ運動も、その人間の真の解放をめざして、着実に進んでほしいと、私は願っている。

 仏法では「桜梅桃李」ということを説いている。
 桜は桜、梅は梅、桃は桃……と、それぞれにかけがえのない特性、個性を持っている。桜は桜らしく、梅は梅として、精一杯咲ききっていく姿こそ、もっとも美しい。人間も同様である。他人と自分を比して、桜が梅になろうとしたり、梅が桃を望むようないき方は無理な話といえよう。
 また、深く自身に根差した個性を輝かすための環境の整備、変革も、当然されなければならない。しかし、個性そのものを変えようとするのは、愚かとしかいいようがない。より大切なことは、自身、人間自体への探求と練磨である。

 戦後アメリカに嫁いで、アメリカの大地にたくましく根を張り、生き生きと生活をしている女性たちの明るい表情に接した。
かつて、ひたすら母国への帰郷だけを願っていた二十年前の彼女たちは、ことばをマスターし、車の運転を覚え、未来に希望を見出しながら、あらゆる障壁を乗り越えてきた。
その姿は、「桜梅桃李」のヒューマン・リブの美しい結晶を見る思いであった。
 アメリカの大地に、誇らかに自身を咲かせきった彼女たちの笑顔は、満開の桜花のように晴れがましかった。

 時は人間の真実を洗い出す。

つれづれ随想より抜粋 



『自分のできることを一生懸命する。』

この言葉には、「人のために」ということと、「自分のために」ということの二つの思いがありました。
「人のために」との思いでやってきたことがある。
でも、その思いが伝わらなくて、酷く落ち込んだり悲しい思いもしました。
伝え方がうまくできないのか?
相手のことを分かってあげられなかったからなのか?
かける言葉を見つけられないからなのか?

今、思うと それはどれも、何か少し違ってたような気がします。

「桜梅桃李」
私は「桜」、あの人は「梅」、この人は「桃」
そう認めていくこともそうなのですよね。
私も、あの人も、この人も それぞれ自分の中にある素敵なものを、よりいっそう輝かせていくこと。
私にできることは、私がしてきたことが誰かの縁になれること。
花を咲かせるのは、それぞれが自分で自分の内にある咲き方で、自分らしく咲かせることなのだと思います。


「自分の体験を、自分の言葉で語れ。」
それが、自分にとっても、相手にとっても一番いい方法なのだと思います。

今年も、自分のたてた目標に向かって、時を刻むように一歩一歩進んでいきます。
どんな体験も次への一歩となる!
年が明けて早ひと月が経とうとしています。
ちょっと振り返ってみると(もう?^^;)
一歩前進。少し反省。次はこうしてみよう。
今年は、こんな感じで進んでいくのかな?(笑)


「桜梅桃李」私が仏法を知ってからずっと大好きな言葉なのです。
初めのときより、少し捉え方というか感じ方が変わってきていますが^^

 時は人間の真実を洗い出す。

 重く厳しい言葉ですね。
「桜梅桃李」と共に心に刻んでいきたいと思います。

✿自分の内からの声を聴き、感じたことを素直に正直に私の足で歩んだ道を何らかの形で残していく。
私にできることはそれだけです。
 

 悔いなく、自身に生きよ。
 今を、自分を信じて懸命に生きよ。
 花のように。
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by sakura8sakura | 2016-01-24 12:54 | 説話
貧愛の母
 岡本太郎氏の自伝風の画文集『挑む』を興味深く読んだのだが、なにせ利かん気が強く、小学校一年にして転校に次ぐ転校、四つめの慶応幼稚舎にはいって、やっと落ち着いたというほどである。
 私が興趣をそそられたのは、そんな太郎少年に接する、母親かの子女史の姿勢である。
 芥川龍之介をモデルにした『鶴は病みき』で文壇デビューして、著名な文人であった岡本かの子。文学に情熱を燃やす彼女は、一日中机に向かって読書や書きものをしているときが多かった。
 かまってもらえない太郎少年が、不満で背中に飛びついたりすると、母は兵児帯をわが子の胴に巻きつけ、柱かなにかに繋いでしまう。泣こうがわめこうが、けっして帯を解いてはくれなかったそうである。
「明るい障子、庭に面した机に向かって、ぱさりと黒髪を背中にたらした母の後ろ姿……それは私の目にやきついた強烈な思い出だ」と、岡本氏は記している。
 たしかに辛く悲しかったが、みじんも動かない母の後ろ姿に、なにか「神聖感」を覚え、「強い一体感」を抱いていた、とも述懐しているのであった。
 おそらく、かの子女史の性格もあったであろう。こうした母子関係は、ふつうの人には極端な印象を与えるかもしれない。しかしそこには、巷間いわれるようなベトベトしたもたれ合いは一切ない。母は背で語り、子は母の背から、自立した人間の生き方というものを、無言のうちに本能的に学び取っているのだ。

 もう一つ、福沢諭吉の母をあげてみたい。
 大分・中津を出て大阪の緒方洪庵の塾に学んでいた諭吉は、安政三年九月、長兄の訃報を受けて郷里・中津へ帰る。男兄弟は二人のため、諭吉が家督をつぐことになる。
 家督相続をした以上、郷里にとどまるべきが筋なのだが、若き諭吉の向学の志は燃えさかるばかりであった。親類縁者に心の内を打ち明けても、すごい剣幕で怒られるばかりで、とりつくしまがない。
 思いあまった諭吉は、意を決して母に直談判に及ぶ。
「どんなことがあっても私は中津で朽ち果てようとは思いません。アナタはお淋しいだろうけれども、どうぞ私を手放してくださらぬか」
 諭吉が家を出れば、残るは老母と三歳になる長兄の遺児の二人暮らしになってしまう。しかし、母はなかなか思い切りのいい性格で、
「ウム、よろしい」
「アナタさえそういってくだされば、だれがなんと言ってもこわいことはない」
「オーそうとも。兄が死んだけれども、死んだものはしかたがない。お前もまたよそに出て死ぬかもしれぬが、死生のことはいっさいいくことなし。どこへでも出ていきなさい」
 かくて諭吉の大阪行きが決まる。それは諭吉が二十歳をいくつか出たころのことである。この母の断がなければ、明治の思想界、教育界の先覚・福沢諭吉の名は聞くことができなかったであろう。

 日本は母性社会であるといわれる。だが、二人の母の例に見られるような母性の持つ強さというものが、現代の社会では徐々に毀れつつあるように、私には思えてならない。深く進行しつつある子供たちの登校拒否や家庭内暴力などは、その証左といってよい。
 ある識者は、登校拒否児に共通する特徴として、母親といっしょにいたいという欲望と同時に、学校へ行かせたいという母親の願いに対する反発をあげている。
 その反発が、長じて家庭内暴力へと発展する――。もとより母親ばかりの責任ではけっしてないが、それらの根にあるものは、岡本かの子女史や福沢諭吉の母の生き方とはまったく逆の、母と子のもたれ合い、癒着した関係である。

 仏法では「貧愛の母」ということを説いている。
 貧愛とは、五欲に執着することで、広くエゴイズム一般とも拝せよう。
 わが子に寄りかかり、思い通りにしようとする欲望も、当然そのなかに含まれる。しかし、それでは子供たちの自立心は育ちはしまい。
 はえば立て 立てば歩めの 親心――とよく言うではないか。
 どこまでもわが子の、健全でたくましい成長を願うのが、親心である。
であればこそ「貧愛の母」であってはならない。自らの生き方を正しく保ち、自信を持った “後ろ姿”を、わが子の前に示していく以外にないと知っていきたい。


つれづれ随想より抜粋 



 母性社会、すべてを包み込む、いわゆる「母なる大地」という言葉で表現されるものでしょうか。
自然界のなかにあるものを見ると、一見冷たく感じるような母子の関係があります。
それは、母のエゴ「貧愛の母」ではない接し方であるように思います。

 池田先生は、著書「世界の文学を語る」のなかで、ゲーテについて対談されています。
 母と子の関係について、ゲーテは示唆的に語っています。
「母親は家鴨のようでなければならない 子どもと一緒にゆうゆう泳ぐ もっとも水がちゃんとあっての話」
「水」とは、母の愛情のことでしょうね。

 また、ゲーテは、「幼い存在にはあらゆる美徳、あらゆる能力の芽があり、やがてそれが開花するのが予感できる。幼い子のわがままぶりには、大人になってからの堅固な性格、意志の強さがもう顔をのぞかせているのだし、その腕白ぶりには将来もつべき陽気な気分、世の危険をとびこえてゆく軽妙な感覚があらわれていると見られるし、しかもそのすべてが子供の状態においてこそ完璧な形で発揮される」

 できるだけ、ゲーテが言うような大らかな目で、未来の使者である子供たちを見守っていきたいものです。
子どもには本然的に、伸びよ伸びようという生命の躍動がある。それを大切にして、子どもが自由に夢を紡ぎ、創造の翼を広げていけるよう、楽しく、伸びやかな環境をつくってあげたい。

 「ゲーテ」今、私が最も惹かれている人物です。
偉大なゲーテには、偉大な母がいました。また、偉大な父がいました。
一般的に言われる教育といえば、読み書き程度の教育しか受けなかった母ですが、「子どもを教育しよう」といった肩肘張ったところがなく、いつも愛情に満ちた自然体の接し方であった。
「(私は)ささやかな悦びを素速くとります。―― 戸口が低ければ、私は頭を下げます。―― 途に邪魔になる石があれば傍へやりましょう。―― 石が重けりゃよけて通りましょう。―― こんな風に毎日何か楽しいものを見出します」
 ゲーテの楽観主義は、この平凡にして偉大な母に、源を発していると見ることができる。

 岡本太郎氏の母も、福沢諭吉の母も 本来子ども自身が持っている力を、ゲーテの母のように知っていたのでしょう。
    

 さて、今では3人の子育ても終了したと思っている私ですが・・・当時はどうだったか・・・と。・・・
う~ん。一人目のときは、ゲーテの母のようにいられなかったですね^^;
ミルクの量や睡眠時間、発達状況などなど。本や小児科の先生や保育園先生のおっしゃることがひとつひとつ気なって。
こうしなきゃ、こうさせなきゃ。間違いのないように・・・ (「貧愛の母」そのものですね)
きっと、伸び伸びとした子育てではなかったでしょう。(お兄ちゃんゴメンネ!大いに反省!)

 
 ゲーテのお母さんは、彼女自身、何か苦難にぶつかったときは、自らの原点である信仰に立ち返っていった。そうした母の生きる姿勢から、ゲーテ少年も、自然のうちに、正しき宗教への尊敬の念を抱いていった。そして彼女のモットーは「経験は希望を生む」ということ、そして「生きるために学べ、学ぶために生きよ」だったそうです。
 後年、彼女がゲーテに宛てた手紙に「あなたのための胎教といっても、すべてはもう芽生えのうちに備わっていたのですから、私はそのために何かをしたことはありません」と書き送っています。

 先日の座談会で、あるヤングさんが、息子さんが今年は小学校へ入学でさまざまなことが不安で…と話されていました。
物おじしない元気いっぱいの男の子です。とてもいいことだと思います。
 宇宙の法則にのっとった、この日蓮仏法を根幹に生きる姿勢で子どもと向き合っていけばいいのです。
今度、ゲーテのお話をしてあげよう。



五欲
五官をとおして起こる五つの欲望のこと。
色欲:眼に対する・男女や色彩形状等に対する欲望
声欲:耳に対する・楽器の音色や男女の歌詠等に対する欲望
香欲:鼻に対する・栴檀香等の芳香に対する欲望
味欲:舌に対する・一切の飲食美味に対する欲望
触欲:身に対する・男女の肌や柔軟な衣服等に対する欲望

五根(眼・耳・鼻・舌・身)五境(色・声・香・味・触)を対境として起こす欲望である

また、大明三蔵法数には、
財欲(財宝を貪る欲望)、色欲、飲食欲(飲食美味に対する欲望)、名欲(名声・名誉等に対する欲望)睡眠欲(惰性、放縦のため睡眠に耽ろうとする欲望)






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by sakura8sakura | 2016-01-14 16:46 | 説話
五眼
 仏法では「五眼」ということを説いている。それは物事の真偽を見極めるための五つの眼という。
 第一に肉眼、さえぎるものがあると見えなくなってしまう、肉体に備わった目。第二に天眼、昼夜遠近を問わず見ることができるという天人の目。第三に慧眼、深い知識を得ることによって物事を判断する目。第四に法眼、民衆救済のために仏法の法則にのっとって物事を判断する菩薩の智慧の目。第五に仏眼、過去・現在・未来にわたって事物、事象を見通す仏の目。以上の五つである。
 仏眼については、凡愚のわれわれのとうてい推察しうるところではないが、同じ物事を見るにも、このようにより深くより広い目があることを教えているといえようか。
 第四の法眼とは知識の目ではない。智慧の目である。しかも、いかにして他を利し、人びとを救うかという慈愛の精神に裏打ちされた智慧の目である。
 もちろん幅広い知識も大切だが、知識の目だけでは、どうしても型にはまった見方になりやすい。それに比べて智慧の目は、柔軟でこだわりがない。物事の善悪、理非、知識や情報に振り回されることなく、率直に見る目である。その視線は、美しいものを醜く、偉大なものを卑小に捉えがちな人間の通弊とは無縁である。
 私は、どんなに学歴がなくても、人間への深い愛情と智慧の目をおのずと身につけた庶民の実像を、じつに数多く知っている。
 真実を見誤らないためにも、智慧の目を磨きに磨く日々でありたいものだ。

「もっと光を!」という有名なことばがある。
 文豪ゲーテの、今はの際の言として広く知られている。彼のかかりつけの医者であった。カール・フォーゲルの病状報告にも「この方はどんな闇もきらいであった」と記されているように、ゲーテは、太陽の明るさ、豊かさをこよなく愛した人であった。
 愛弟子エッカーマンとの最後の対話には、次のような印象深い一節がある。
「私は太陽の中に見る神の光と想像力とを崇拝する。われわれすべてはこれによってのみ生き、いそしみ、そして存在するのである」と。そのゲーテが八十年を超える生涯を閉じるに際し、時代の闇を照破しゆく「光」を待望する__。
 いかにも文豪らしい臨終のことばといえまいか。

 ところで、これには異説がある。
 当時の「一般文学新聞」によると「もっと光を!」の真意は、ゲーテがかたわらの下男に向かって、書斎の二つ目の鎧戸も光がはいるように開けてくれ、と言ったにすぎないのではないか、というのである。「もっと光を!」には違いないが、こうなると即物的で、味も素っ気もない。
 もはや、どちらが真相かを、確かめるすべはない。しかし、真相が不明であるとすれば、なにも物事を、あえてつまらぬ方向に解釈する必要はないのではないか、と思うのである。
 美しいものは美しい、偉大なものは偉大であると、率直に私はみたいが、どうであろうか。
 ゲーテも、世に氾濫するいわゆる知ったかぶりの論評には、かなり腹に据えかねていたらしい。やはりエッカーマンとの対話にも、それらしい一節がある。
「さまざまな所から出ている新聞、雑誌の批評は毎日、五十を数える。そして、これを読んで、公衆の間に行われる饒舌、こうしたものは決して健全な作品を齎らさない。現代にあってはあくまでそこから身を退き、無理にも孤立しなければ滅びてしまう。しかも、その大部分が否定的な似而非美学的中傷を事とする悪質なジャーナリズムである。それにより民衆の中一種半可通の文化が現れているが、これは萌え出ようとする才能には性悪な霧となり、襲いかかる毒素となる」
 このゲーテの述懐を、われわれははたして、百五十年以上の昔のことばとして、聞き流しておれるであろうか。

つれづれ随想より抜粋




 人の心には、十界の生命があって、なかにはとても醜いものもあり、巷にあふれる批評などのなかにも往々にして人の欠点をあげつらったりしたものが多かったりしますね。比較的目につきやすいということもあるでしょう。
 情報が溢れるこの時代に、いかに真実を見極めることができるか。 物事を見てどう捉えることでプラスとしていけるか。
肉眼だけでみると、事実の中にある真実を見ることが難しいこともあるでしょう。
 深く広い目で見れば、同じ物事を見ても自身の心でどのように捉えるかで変わるし、また、ことによっては、ゲーテの『もっと光を!」をどう解釈するか。のように変えることもできる。と教えてくださっています。
 他者をみるということは、自分がそういう風にみているということであって、良いところを見ようと智慧の眼を開いて見ていけば自他ともに価値的なものへとすることができるということなんでしょうね。
 
こう思うと、わが生命の境涯がキーポイントとなりますね。
智慧の目でみれるよう、お題目でしっかりと自身の生命を洗っておかないとね^^;


 2014年9月から、このブログで思索したり、学びとさせていただいてきた「つれづれ随想」。当初の大まかな予定では、この12月までに全話完了できるかな?と思っていましたが、なかなか進まない^^;月が増え、あと7話を残して本年を終えます。
 以前の私でしたら、がむしゃらに目標を達成するということに執着し焦る心のまま最終話に向かっていったと思います。
目標を達成ということは大事なことであることは十分すぎるくらい分かっているつもりです。でも、今の私はひとつひとつを大切に進むことを選んでいます。


 はしがきに、先生が、『ともかく、日々多忙の連続ではあるが、文を書くことは、心の散漫を、一つの自身の思想の統一性へと、進歩させゆく歩みにつながっていくことを、私は信条としている一人である。』と、書かれてあったように、一話ごとに思索し感じた思いを文章にして書くことは自分を見つめることになりました。時には、過去記事を読み返し当時を思い返し、自身を鼓舞しながら日々を送ったこともあります。当初から比べると変化も感じられるようになり、少しづつでも成長できてきたかな?と思えるようになりました。

 私の拙い記事に感想を送ってくださった方々に励まされながら、ここまで歩んでこられたことに感謝し、来年も私なりの歩みで進んでいこうと思います。 

 2015年、温かく見守りくださりありがとうございました! 
 2016年も、どうぞよろしくお願いいたします。゚.+:。(*´v`*)゚.+:。♪






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by sakura8sakura | 2015-12-29 21:04 | 説話
不退の戦い
 ガンジーは、その八十年になんなんとする生涯を、インドの独立のために捧げ尽くした ” 戦士 ”であった。そして、その実践は、人間としてやむにやまれぬ発露からの放射であり、不屈の戦いであったといってよい。
 
 ガンジーは ” 戦士 ”であった。武器こそ手にしなかったが、否、武器を手にしなかったがゆえに、真実の戦いを戦い抜いた ” 戦士 ” であった。といってよい。
 イギリス植民地主義の圧政に対する彼の怒りは、たんなる修羅の怒りではなく、愛と信念に支えられた深層からの怒りといえよう。だから彼は、銃を手にせず、知恵をめぐらしたのである。

 たとえば塩の進軍。
 酷暑のインド、とくに灼熱の太陽のもとで働く農民にとって、塩は一日も欠かすことはできない。ところがイギリス政府は、この生活必需品に対しても、重い税金をかけていた。ガンジーは立ち上がる。「塩税法を撤廃しなければ、海岸を行進し政府の専売となっている塩を手作りするであろう。」と、断固として宣言した。
 この請願が聞き入れられなかったため、彼は、修道場の七十九人を引き連れ、はるか南のボンベイ州ダンディ海岸に向けて行進を開始する。沿道の農民は、ほこりっぽい道に水をまき、木の葉を散らし、旗を振って一行を歓迎。村の首脳は政府の仕事を放棄し、多くの村人が行進に参加。このニュースが全世界を駆けるなか、二十四日間にわたる進軍を終えたガンジーは、ダンディ海岸に立ち、手作りで塩を作る。
 そのひとかたまりの塩は、インド独立へのシンボルとしてまたたく間に語り伝えられ、停滞していた独立運動は、再び大きなうねりで盛り上がっていったという。
「非暴力」というガンジーの運動は、けっして戦うことを放擲した ” 無抵抗 ” ではない。彼は運動を進めていくうえでの暴力を排しただけで、むしろ生涯にわたって圧政に抵抗し、それと戦い続けた。
 どんな苦境も彼の信念を挫折させ、絶望の淵へ追いやることはできなかったといってよい。彼の進軍は、狂信的なヒンズー教徒の凶弾に倒れるまで、やむことのない、不退の戦いであった。

 トルストイは、私が若いときからもっとも好きな作家であり、今も変わらぬ愛読者の一人である。
「人間」というものを見つめつづけ、心理探求に生涯取り組んだ彼の生き方が、作品の中のそれぞれの登場人物から、伝わってくるようで、どの作品もじつに興味深いのである。
 クトゥゾフ将軍__彼の代表作である『戦争と平和』に登場する老将軍である。
 1812年、ナポレオンひきいるフランス軍が、日の出の勢いで、ロシアに迫った。この戦いで有名なのが「ボロディノの戦い」である。並みいるロシアの将軍一同が敗戦とあきらめていたにもかかわらず、クトゥゾフだけが「ボロディノは勝つ」といいきった。
 戦況は一見、救いがたい劣勢のようにみえた。しかし、クトゥゾフは周囲の批判にもじっと耐え、ついにはナポレオン軍を自らの陣地にひきこみ、厳寒の中に巻きこんで、とうとう最後には、戦況を逆転するのである。
 不利な条件に目を奪われることなく、いかなる至難の中であっても「最後は必ず勝つ」と信じて進んだクトゥゾフの強靭さに、私は、おのれが決めた信念の道に生きる人間の輝きをみる思いがしたのである。

 次元は異なるが、日蓮大聖人の御一生もまた、戦いに次ぐ戦いの連続であられた。「大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし」「賢者はよろこび愚者は退く」などの御遺文に見られるように、不退のご生涯であられた。
 権力によって、今まさに首を斬られようとするときも、ときの最高権力者に向かって「あらをもしろや平左衛門尉が・ものにくるうを見よ、とのばら只今日本国の柱をたをす」と師子吼され、一歩も退こうとされなかった。
 私は、日蓮大聖人が身をもって示された不退の戦いのなかに、大乗仏教の精神の精髄が脈打っていると信じている。それはまた、人間として尊極の生き方であるといってよい。
 ひとたび決めたこの道を、生涯貫く人生ほど尊いものはない。時流に合わせて右顧左眄する人生の末路はみじめなものであろう。その轍を踏まないためには、常の戦いを忘れてはなるまい。まことに、真実の人生とは不退の戦いの異名である。

つれづれ随想より抜粋


 今回は、説話をひいてという形ではなく、信念を持って生きる姿を、ガンジー、トルストイ そして、日蓮大聖人の振る舞いからおしえてくださっています。
 ガンジーは、仏のやむにやまれぬ慈悲からの発露の行動。トルストイは、「最後は必ず勝つ」と信じて進んだ。と物語に描くことで人間は、内からの声に従って行動することの強さを。
 「十界の生命」はすべての人間の中にあります。それゆえに、ひとりひとりが仏の境涯へと高めていくことが平和へと向かっていけるのだと思います。自分の胸中にある仏界を開き、負けない自分で進んでいく。それは「南無妙法蓮華経」と唱えることによって叶えられるのです。
 もちろん、言葉で伝えられることは話していくことができますが、このことを疑うことなく信じ切り「南無妙法蓮華経」と唱え、まず、自らが感じることが分かりやすいと思います。「はたらかさず・つくろわず・もとの儘」自分らしく生ききることによって輝くのです。その姿を見てもらうこと、振る舞いによって「法華経の心」を伝えていきたいです。




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by sakura8sakura | 2015-12-18 15:51 | 説話
心の空洞
 「涅槃経」に雪山童子の物語が出てくる。釈尊の過去世の仏道修行の厳しさを述べたものである。
 雪山(インドの北部のヒマラヤ山脈の古名)に、雪山童子と呼ばれる若い求道者がいた。金銀財宝などには目もくれず、ひたすら法を求めて修業を続けていた。それどころか、法のためには、いざとなったら妻子はおろか、自分の生命さえも投げ出す決意を固めている。
 しかし帝釈天は、そんな雪山童子の善心に若干の疑問を持つ。そして童子の修業を試すために、一策を案ずる。自ら殺人鬼の羅刹に姿を変えて、童子の目の前に立ち現われるのである。心になにも恐れるもののない童子は、静かに羅刹と相対する。しばらくして羅刹は、「諸行は無常なり、これ消滅の法なり」と、かつて仏の説いた偈を半分だけ述べる。これを聞き、喜んだ童子は、後の半分を聞きたいと請い願う。羅刹の望みに応じて、その代償として自分の肉体をも与えることを約束し、後の半偈に耳を澄ませる。「消滅を滅し已って、寂滅を楽と為す」
 聞き終えた童子は、その偈を人びとに遺すために所々に書きつけてから、高い木に登り、樹上から身を投げる。そのとき羅刹は、帝釈天の姿にもどり、雪山童子の体を受けとめ、求道心の心の固さを賞でたという。

 雪山童子が求め抜いたもの“八風”という嵐に揺るがぬ大樹のような心と、それを支える厳たる法の存在である。ほかでもない「賢人」の生き方といえるだろう。

 日蓮大聖人は「賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり」と仰せになり、縁に紛動されぬまことの人間の生き方を示されている。


 “八風”に侵されぬ人生と “八風”に翻弄されゆく人生と__。

 仏法とは若干ニュアンスを異にするが、優れた文学作品には、両者の激しく劇的な撃ち合いを描いたものが少なくない。私は、とくに若年の頃、そうした作品にいくつも巡りあい、心を育む糧としたものであった。
 なかでも、ビクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』での主人公ジャン・ヴァルジャンとジャヴェル警視との執念と執念の戦い、生死をかけての葛藤は、私の思い出に刻まれ、炎として消えることはない。


 善を志して生きゆくジャン・ヴァルジャンを、蛇のように執念深く追い回し、陥れるジャヴェルの所業を、少年時代の私は、ことさら憎らしく思ったものだ。しかし、愛と寛容に満ちたジャン・ヴァルジャンの堅固な善心は、凍てついた大地のごとく残酷にして偏狭なジャヴェルの心をも、ついに溶かしたのであった。
 これは、人間の善性の偉大なる勝利であった。ジャヴェルの心の中には、ポッカリと、底知れぬ空洞ができたにちがいない。“八風”に執する人が、翻弄されゆく己れ自身をはじめて目の当たりにしたときの、むなしさと恐ろしさ。
「一つの珍事が、一つの革命が、一つの破壊が、彼の心の底に起こったのである」と、ユゴーはほとばしる言と句で描写した。
 「彼の最大の苦悶は、確実なものがなくなったことであった。彼は自分が根こそぎにされたのを感じた。(中略)彼は暗黒のうちに、いまだ知らなかった道徳の太陽が恐ろしく上りゆくのを見た。それは彼をおびえさせ、彼を眩惑させた。鷲の目を持つことを強いられた梟であった」
「道徳の太陽」の眩しさに、たまらずジャヴェルは自殺し、果てる。

つれづれ随想より抜粋




 ”八風“に侵されないで… 縁に紛動されず生きなさいと。
 ただ、それはとても難しいことですよね^^; 
人には「心」というものがあるから。
その「心」は、縁するものによって動かされるもので… ^^;

 「レ・ミゼラブル」でいえば「道徳の太陽」に恥じない生き方。
 私の中では、法華経の心。その心にしたがって物事を判断していく。

 先生は、人間誰しもたとえ意識しなくても、奥底では自身の“芯”となるべき確たる充足感を求めているものだ。と教えてくれています。
 また、人の心ほど、とらえにくいものはない。それであって、人間の心を動かすのはまた、人間の心であると。

 「縁」といっても 善縁となるもの悪縁となるものと、世法でいえばありますが、立場が変わればそれはまた逆になることだってあるのです。

 ジャン・ヴァルジャンのように…
人間の持つ仏性を信じて、誠実に接していくことかな…?
目指すところは高く、歩みは目の前の一歩から^^


『レ・ミゼラブル』まだ読んでないのです(汗)
 今頃ですが… 読書の大切さを改めて感じながら、少しずつ読んでいっています。
この本、『つれづれ随想』もそうですが、先生の著作や対談 また、スピーチなどで世界の名作などを取り上げて、内容や著者の思想、生き方など、様々な角度から見る目を教えてくださっています。
 引用されている部分だけでわかるように、かみ砕いて?示してくださっていますが。自分が読んで感じるということが本当は大事なことであると痛感している今日この頃です。
 
 戸田先生も池田先生も、どんなに忙しくても、読書をする暇を作りなさいと教えてくれています。良書を読みなさいと。牧口先生も最期のときまで、カント哲学を学んでいたそうです。
 確固たる自分を作るために一生勉強との思いで、超・マイペースですが歩んでいます。


 



 人間の真実の心を覆い隠すそうした爽雑物を、仏法では、”八風“と説いている。利、衰、毀、誉、称、譏、苦、楽の八つを言う。そのうち利、衰、誉、称、楽を四順といい、人びとはこれを欲し、これに執着する。反対に、衰、毀、譏、苦を四違といい、人びとの忌み嫌うところとされている。




お気づきの点がございましたら 
sakura8sakura@excite.co.jp へ、よろしくお願いします。 
<(_ _ )>







by sakura8sakura | 2015-11-21 16:23 | 説話
  

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