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葉っぱのフレディ ーいのちの旅ー

葉っぱのフレディ―いのちの旅

レオ バスカーリア/童話屋

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序分、編集者からのメッセージが、この本の意味を教えてくれていると思います。
 この絵本を、自分の力で「考える」ことをはじめた日本の子どもと、子どもの心をもった大人たちに贈ります。わたしたちはどこから来て、どこへ行くのだろう。生きるとはどういうことだろう、死とは何だろう。人は生きているかぎりこうした問いを問いつづけます。この絵本が、自分の人生を「考える」きっかけになってくれることを祈ります。
 この本は、アメリカの著名な哲学者、レオ・パスカーリア博士が書いた、生涯でただ一冊の絵本です。(田中和雄)




「いのち」は巡りくるもの

生きとし生けるもの

時はちがえど誰にも必ず訪れる



今を、自分のできることで精いっぱい生きよう

個性を輝かせて

誰ひとり同じものはいない

どう生きるのか、どう生きたのか



最期のとき

いつも見ていたところでない視点で見えるのかもしれないね



葉っぱのフレディは教えてくれます

生きとしいけるもの

すべては大自然の設計図のなかで

生かされていることを











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by sakura8sakura | 2016-11-28 16:25 | 読書
フランダースの犬

フランダースの犬 (新潮文庫)

ウィーダ/新潮社

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表題作【フランダースの犬】
 絵本のフランダースの犬を読んだときに、原作をお薦めしてくださって読んだのですが、感動の深さというか、絵本ではとかく絵のほに目がいってそのイメージで読んだりしていたのだなぁと、感じました。
 ダイレクトに伝わるのでイメージがハッキリとするのですが、それに引きずられるというか… 原作を活字で読むことで自分自身で描くイメージが浮かび上がってきたのです。
 『フランダースの犬』は物語の内容も知っているし(昔に絵本を読んだとき記憶)少し前に大好きな伊勢英子さんの描かれた絵の絵本を読んだのでどうしてもすべてを払拭することはできませんでしたが、絵本では微妙に違う感覚で読んでいた場面もありました。
 彼らはひとかけのパンとキャベツの葉二、三枚に幸福を味わい、それ以上、地上の幸福も天上の幸福も求めなかった。ただ一つの願いといえば、パトラシエがいつまでも自分たちといっしょにいてくれるようにということだけだった。
 ここには、パトラシエに対する感謝と一緒にいるしあわせを感じているダース爺さんとネロの心情がはっきりと書かれています。

 (自分から荷車を引くと行動するパトラシエ対して)造物主がそのようにつくりたまわぬ犬を労働に従事させることは恥ずべき非道だと考える一人であったからである。
 絵本でももちろんこの場面もありましたが、造物主がそのようにつくりたまわぬとあるのは、人間のエゴにより強いる行為を恥じると言っているのではないかと感じました。


 「あれが見られないなんて、たまらないなぁ。パトラシエ。貧乏でお金が払えないばっかりに!この絵を描いたとき、あの人は貧乏人にみせまいなどとは夢にもかんがえなさらなかったんだよ。どんな日でも、いや、毎日でも見せてくれたろうに。それだのに、あんなおおいをしておくなんて―― 暗いところに、せっかくの美しいものを!―― だから金持ちの人が来てお金を払うまで、日の目にもあわないし、人の目にもふれないんだ。あれが見られさえしたら、ぼくは死んでもいい」
そうまでもネロが言う絵とは、ルーベンス作「十字架にかけられるキリスト」と「十字架からおろされるキリスト」。
 
 小さな農家の子供にしか見えなかったが、心は夢の天国に入っており、天国をしろしめす神はルーベンスであった。

 貧困の中に育ち、運命のさいなまれ、文字はおしえられず、人間にはかえりみられないネロに、その償いとして、あるいは呪いといったほうかもしれないが、いわゆる「天才」なるものが与えられていたのである。

ネロにとってルーベンスのような画家になることが夢であり希望であったのだった。

 
 欲や見栄、力のある者に媚び諂う人に虐げられても崇高に生きることを自ら選び、見ることができるならば死んでもいいとさえ願ったルーベンスの二枚の絵見るという夢を叶え、一心同体となったパトラシエとともにいることを許されたのだから。
 悲哀なだけのお話ではなく人として崇高な生き方をみせてくれました。人のしあわせは財産の多さでもなければ生きた時間の長さでもない。真実の愛を知り自分の信念に正直に生き切れることなのだ。


併録作【ニュールンベルクのストーブ】
 初読のお話。ニュールンベルクのストーブという題名が意味することも知らずに読み始めました。
 
 貧しくとも兄弟仲良く暮らしている、ストレーラー家の9歳の少年オーガストが主人公。

 「おお、ヒルシュフォーゲル、お前のことを考えなかったら、ぼくは死んでしまっただろうよ!」
 代々伝わるヒルシュフォーゲル、いつの時もストレーラ家の中心にあってを愛し大切にし尊敬していた。 

 こんなにうれしそうにオーガストが駈け込んできたのは大きな貧弱な部屋で、床の煉瓦はむき出しで、でこぼこしていた。核としては立派なたいへん古いくるみ材の戸棚と、ひろい樅板のテーブル、木製の腰かけが数脚、それだけであった。しかし、部屋の上手にランプの光を浴びて、熱と色を放っているのは磁器製の塔である。王のくじゃくと女王の宝石を全部合わせたように光り輝き、武士の姿や楯、紋章の花などがついて、いちばん上に大きな金の冠をいただいていた。
 それは、1532年製のストーブであり、H・R・H・という文字がしるしてあった。これはどこからどこまでも、かの偉大なニュールンベルクの陶工オーガスチン・ヒルシュフォーゲルの手になった作品であり、世界周知のようにこの三文字こそ彼の銘であったのである。
という、そのニュールンベルクのストーブを父が売ってしまった。

 オーガストは自由な山の空気の中に育った頑丈な健康な少年で、非常に幸福であり、家族の者たちを心から愛していた。敏捷なことはりすのようであり、野兎のようにふざけまわった。しかし胸に秘めている考えの中には、ずいぶん深いものがあり、こうした多勢の中の一人として文字を教えたり神を恐れなければならないとさとすときのほかは、だれも気にもとめない幼い少年とは思えないほどだった。
ヒルシュフォーゲルと離れたくない、彼はオーガストにとってとても大事なものなのだ。その思いを胸に運ばれていくヒルシュフォーゲルのあとを追い中に隠れ入り運ばれていく。ヒルシュフォーゲルの前で小さな子たちに物語を創って聞かせてやる、絵を描いて見せてやる。クリスマスには冠を作りかぶせる、ヒルシュフォーゲルはストレーラ家の者たちにとっても大切な存在だったのである。

 オーガストは小さいながらも、知っている限りの知恵を使い想像しヒルシュフォーゲルとともに運ばれていく。
 この間のオーガストの心の動向を描きながら物語は進んでいきます。

 たいていの子供なら、このオーガストのような位置におかれたら、おそろしくて正気を失ってしまったであろうが、オーガストは勇敢であった。それに神さまとヒルシュフォーゲルが守っていてくださるという固い信念があった。かのニューベンベルクの陶工の姿はいつもオーガストの心に生きていた―― 親切な、温和な、慈悲深い霊が、自分の作った磁器の塔の中にあきらかに住んでいた。
 自分の心の中に描き続けてきたヒルシュフォーゲルと対話していたのだ。そして、鼓舞し励まし続けてきたのです。

 ヒルシュフォーゲルに対する彼の愛は利己的なものではなく、自分はもちろんのことながら家の者みんなのためを思ってのことだった。心の底には父が―― 自分の父が――家族の暖炉を奪い去り、こうして自分たちの誇りとするものを売ったことを恥じる気持ちがうずいていた。
 みんなの大切なものを自分が守るんだ!という強い信念があったのですね。


 それはまったく不思議な光であったが、それよりもっと不思議なことは、その光を見ても、オーガストはこわがりもしなければ驚きもせず、また、目に入った有様にもびっくりしないことであった。(中略)オーガストが見たものは、ほかでもない、骨董品がみんな動き出した光景であった。
 マイセン陶器の王女曰く、「ここで動いているものは本物で動かないものは偽物」、模造品である。

 じっと黙ったまま何も言わないヒルシュフォーゲルを見て
 オーガストの心には締めつけるような疑いがおこった(私たちの愛するものに対する疑いの気持ちほどつらいことがあろうか?)ヒルシュフォーゲルをはただの模造品なのかしら?「いや、いや、いや、いや!」とオーガストは断乎として言った。ヒルシュフォーゲルは動きもしないし口もきかないが、それでも心から信じつづけよう!長い年月を共に幸福にくらし、ヒルシュフォーゲルのおかげで暖かな楽しい夜を過ごしてきたのに、この自分の友であり英雄であるものを疑うとはなんということか?


 ぺーちゃくちゃ ぺーちゃくちゃ あーだこーだ なんだかんだ… 非難したりバカにしたり、身分の低い模造品がどーたらこーたら、自分は本物だからと偉いのだと言わんばかりに…話し続けるものたち。

 大ストーブの立っているところから、おごそかな声が聞こえてきた。一同の目はヒルシュフォーゲルに集まり、オーガストの胸は喜びで高鳴った。
 「友よ」と、ニュールンベルクのファエンツァ焼の小塔から、すんだ声が言った。「私は諸君の言われたことを全部聞きました。人間たちの間ではあまりに話が多すぎます。人間どもの中の一人が自分の同類をさしておしゃべりと呼んでおりますが、私たちはそのようなものにならないようにしましょう。
 私は人間の間で貴重な呼吸と貴重な時間が、空虚な自慢や、おろかな怒りや、むだな繰り言や、やかましい口論、恥知らずの法螺についやされているのをあまりにも聞いておりますので、言葉とは人間のすべての企てを弱め、毒するために人間に課せられて呪いであると考えるようになったのです。二百年以上も私は一言も、もの言いませんでしたが、お聞きしておりますと、皆さんはそれほど無口ではありませんね。私が今こうして口をきくのはなぜかと申しますと、皆さんのうちのどなたかが、たいへん美しいことをおっしゃり、それで感動したからであります。もしも私たちみんな、私たちの製作者の手もとに帰れたら!ああ、そうです!帰ることができたら!私たちが作られてころは、人間でさえも真実であったのです。ですから、その手になった私たちにも真実がこもっていたわけです。昔の産物である私たちが自分に価値ありとする根拠を、私たちの製作者たちが熱心さと、敬虔な気持ちと、誠実さと、信念をもって私たちを作ってくれたという事実におくのであります。―― 金儲けや、在荷過多を生じるためにではなく、誠のこもった仕事をし、芸術と神の名誉のために創作をするという気高い気持ちからなのであります。
 皆さんの中に私を愛し、何も知らぬ子供ながら芸術を愛している小さな人間がおります。さて、私はその子に今夜のことと、つぎの言葉を永久におぼえていてもらいたいと思う。すなわち、これが私たちの真実の姿であり、世間の人に貴ばれるのは、何百年も以前に、にせ物や、にわか仕事や、模造を軽蔑する誠実な心と清い手を持った人々がこうして私たちを作り出してくれたからだ、ということを忘れないでほしいのです。(中略)かつて皇帝たちの尊敬を受けた私は、何年も何年も粗末な家に住み、三代にわたる冬の間、冷えきった空腹の子供たちを暖めてまいりました。(中略)これから私がどこに行くのか知りません。けれども、私を愛してくれたあの貧しい家から離れれば、私はひとりぼっちでさびしくなってしまいます。人間の一生涯とは矢のように過ぎ去っていくのです!ただ私たちだけが ―― 人間の頭が作り出す品物である私たちだけが長い命をたもっているのです。私たちにできることは人間と袖振りあったときにわずかの祝福をあたえるだけです。そうすれば私たちのご主人が望まれたことをはたしたわけになるのです。こうしてご主人たちは死んではいても私たちの中にあって口をきき、生きておられるのであります」
 
 もう感動モノです!!  
 ついタイピングの手を止めるところをあまり見つけられませんでした。
というのも、オーガストはこのことを誇りに思い心に抱き、王様の前に出たときに訴えるのです。自分とこのヒルシュフォーゲルは強い絆があって離れることができないのだから、と。

 ヒルシュフォーゲルの声が聞こえたような気がした。「私たちも、私たちの製作者にふさわしい者になろう!」

 昨日まで二百年以上も一言も発さなかったヒルシュフォーゲルの声を、この時もまたオーガストの耳に聞こえた。

 それが真実ではないと、だれが言えよう? なぜなら、詩人や画家の才能はなんのためにあるかと言えば、それは他の人々には見ることのできない、光景を見、他の人々には聞くことができない声を聞くためにのみ、そんざいするのであるから。

 自分の感性を信じて、信念に従ってまっすぐに進んだオーガスト。そして夢を叶える縁をつかみ取った。
 間違いなく将来、オーガストは立派な人(芸術家)になるでしょう!

 

 フランダースの犬のネロも、ニュールンベルクのストーブのオーガストも、自分の信念を貫き通したのだと言えるでしょう。
 何のために生きるのか、自分のアンデンティティーをもつことの大切さも教えてくれているようです。


 こぼれ話…
 作中、国王の宮殿での場面にあった、この文章
 彼はベルクの宮中にきていたのであり、耳にした音楽は離れた部屋でワーグナーが奏でてているパルジファルの主題であった。
 ??? ちょっとググっちゃいましたよ。 イエスキリストが十字架に架けられた、「聖金曜日の魔法」奇跡なんだなぁ
 君が立派にやりおおせたら、そのときこそ、君のニュールンベルクのストーブをあげよう。
 いつの日か還ってくるんですね。オーガストのもと(ストレーラー家)へ。


 長いので各章のあらすじと、第3章の45:00~「聖金曜日」のあたりしかまだ見れてないのですが(汗)
なにげに… オペラって素敵じゃない! って感じた(笑)
知らないことを知ることって素敵だね!

どこだかわからなくなるので、全部、貼っておこう( ´艸`)



そして、その縁になってくれる「こと」を、これからも大切にしていきます。
なかでも本に関しては有難い「縁」に感謝しております!
不思議とそれが次へと繋がっていくんです。何度も経験してこれは確信!
アンテナ、ピーンと張っておかなくっちゃね。 





✿✿✿

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by sakura8sakura | 2016-11-28 10:43 | 読書
現実を知ろう




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いつも、皆様ご協力ありがとうございます。

昨日、日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET)さんが
シェアされた記事があがっています。

ぜひご覧ください






昨日のイベントの報告です。ジャーナリストの布施祐仁さんが、記事を書いてくれましたのでシェアをさせていただきます。
布施 祐仁さんは井筒 高雄さん、他2人と一緒です。

アメリカ海兵隊特殊作戦部隊の元隊員でイラク戦争にも派遣されたマイケル・ヘインズさんの話を聞きに行った。
「戦場では誰が敵か見分けなんてつかない。イラクでは味方同士撃ち合っていたこともあった」「1日に何度も民家を襲撃し、敵を捜索した。その時の少女の泣き叫ぶ声が今でも忘れられない。戦争体験は忘れたくても追いかけてくる」「テロリストを倒すためと言ってイラクに行ったのに気付いたら自分たちがテロリストになっていた」「自衛隊が南スーダンで一発撃って誰かを殺してしまったその瞬間に、これまで70年間築いてきた平和は崩れてしまうだろう。そして、その先にはもっと多くの流血が待っている」戦場での1発の重みを誰よりも知っているマイケルさんの言葉だけに重い。
個人的に一番心がざわついたのは、「戦場で一番辛かったことは?」との質問に、「一番辛かったことはまだ言えないけど、皆さんとシェアできる経験をいくつか話したい」と最初に言って答えたこと。そうやって話した戦場体験も凄まじかったけど、おそらく本当は山ほどあるであろう「言えないこと」を想像すると、またそれを胸に抱えてずっと生きていかないといけないマイケルさんのことを考えると胸が痛んだ。

マイケルさんは、僕たち日本人に向けてこんなメッセージも伝えてくれた。
「戦争を戦争で終わらせることはできない。戦争を終わらせることができるのは平和的な手段だけ。素晴らしい憲法九条を持つ日本はそのお手本になってほしい」僕たち日本人は、戦争がどういうものかもっと知らなければならないと思う。戦争のリアルを知ってこそ、マイケルさんのように、憲法九条の本当のありがたみや価値を理解できるのかもしれない。話してくれたマイケルさんに感謝とリスペクト。


*****

私はFacebookを利用していないのでこのような形でシェアさせていただきました。



駆けつけ警護として、南スーダンへの自衛隊の派遣が行使されましたね。
政治家の方々がどれだけこの意味を理解しているのだろう?と、疑問に思います。
よく耳にする「現場の声をよく聞く」「現場の声を国会に届ける」「現場の声を生かす」…
むなしく聞こえます。

でも、私たちも同じところがあります。
現実に起こっていることを知ろうとしないこと、見ようとしないこと。
こんなこと言っている私ですが、現実問題なにができているか?といえば形として何かがあるわけではありません。
でも、知り、伝えることができる。
そんな思いで記事を書かせていただきました。

上記ご紹介させていただきましたサイトに、福島の女性たちが、現在の福島のことを、ご自身の言葉で話されている動画もあります。
拝見していて涙が出ます。
無力で申し訳ない思いも…

次々に再稼働されていく原発。
政府が全力で進めなくてはいけないのはこの問題ではないでしょうか。




by sakura8sakura | 2016-11-26 10:58 | 思うこと
山のある家 井戸のある家――東京ソウル往復書簡

山のある家 井戸のある家―東京ソウル往復書簡

津島 佑子,申 京淑/集英社

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日本人作家と韓国人作家が交わす一年間の往復書簡。
月に一度お手紙を書く、届く…
出したお手紙のお返事はまたその次の月となるわけで
この間、届いたお手紙から新たな側面を知り…相手に思いを寄せながらまたお手紙を書く。
メールや電話とは違う、いい意味でのタイムラグがより一層相手を想う時間となる。
そんな手紙の効果は他のものとは換えることができないツールですね。

以前、鎌田實医師と作家池田香代子さんの往復書簡を本にした、『黙っていられない』を読んだ時もそう感じたものです。
懐かしく再読したい思いに。大きな本棚から、図書館なんですけどね^^;取り出し(お借り)てこなくっちゃ!


さて本題の感想ですね^^

 国が違う二人の作家が自身の家族を含む過去から現在のことや感じていることを語りながら、地理的なものや感情面、二人の距離感がどんどん近づき魂と魂が響きあうそんな往復書簡。

 初めのほうでは津島さんのお手紙を読んだ申さんの感じ方に違和感を感じていました。
でも、津島さんのお手紙を読むことでそれは自分の中の偏った見方感じ方なのだとよくわかりました。
回を重ねるうちに私自身にもそういうものがなくなっていることに気がつきました。
申さんの言葉を借りれば、「物を書くことについて、女性について、戦争や死刑制度、マイノリティーの人権問題に対するお考えなど、津島さんの決然とした作家精神に触れることができたことも、私には幸運でした。日本社会に対する津島さんの冷静な判断は、私的な情に流されて客観的な判断に至ることのできない場合が多い自分を振り返らせてくださいました。」
 
 あの韓流ブームにも乗ることなく個人的に縁が薄く国民性も文化もよく知らない韓国。韓国人作家の申さんの語られる生活、風景などから少し韓国のことを知ることができました。

 これまで頑なに父についての話題に触れることをしていなかった津島さんが語る父、父への思い。そして兄のこと…
先の手紙に申さんのお母様のお話があったから語られたのだと思います。

 人と人が理解しあえる為に必要な要素がたくさん詰まった往復書簡であったと思います。私もその中に交わらせて頂けたようなそんな感じがしました。



感じ入った部分抜き書きしておこう… 大きな本棚にしまうので ^^;


津島:自分の知らない時代に「戦争」という名の、なにかとても暗く、悲惨でおそろしいことがあったらしいという、ぼんやりとした気配ぐらいは感じていましたが、日常の環境とそうした国家の事情とを、直接結びつけて考えることはできずにいました。私の父親が日本の敗戦直後にかなり不自然な形で死んでいるので、私にとってはその死も「戦争」という闇に含まれてしまい、いっそう国家的な次元で自分の日常を考えることができなかったのかもしれません。

申:お互い言葉が通じないので、通訳をあいだに挟んで話さなければならなかったのですが、不思議にも私には津島さんのおっしゃる言葉の全てが分かるような気がしました。多分、作品が好きだったからでしょう。短編を一作品ずつ読むのがやっとでしたが、2003年12月に、津島さんの作品集『「私」』が韓国で出た時はどんなに嬉しかったか。アイヌの説話を現代化させた作品を一編ずつ愛おしむように読みました。短い話の中に悲しい美しさの満ち溢れる作品ばかりでした。(中略)お互い違う空間と違う文化の中で、異なる言葉を使って暮らしているのに、翻訳されたある作品に似た情緒を感じ、それに心の共鳴を覚える時は、本当に不思議な気がします。


津島:日本人(アイヌの人たちは「シサム―善き隣人という意味です!―」と呼んでいました)は山の幸海に幸を求めて古くから北海道におもむき、先住民であるアイヌの人たちの土地を一方的に奪い、のみならず厳しい労働に追いたて、同化政策を取ってその言葉すら奪い取ろうとしてきたけれど、言葉や文化は簡単に消えるものではなく、今でもすばらしい口承文芸は語り伝えられている、そこで表現されている宇宙観、人間と自然の関係を、現代文学の担い手である私たちは根源的に大切なこととして学ぶべきではないかと思う、とそんなことを私はそこで発表したのです。

申:この作品(いま、私たちの隣に誰がいるのか)を書きながら覚えた感情を津島さんの「山火事」を読みながらそのまま感じました。私たちは国籍も育った環境も、成長過程に聞いた話も、世代も、経験した文化も歴史も異なっているのに、どうしてこんなに似たことを考えることができるのでしょう。不思議で仕方ありません。


津島:ところで、私は小説や随筆などを書きつづけてきて、すでに四十年になります。それでもいまだに、自分の「作品」のなかの言葉がどれだけ、現実の沈黙の重みに近づき得ているのか、我ながら不安になるし、自信も持てないままでいます。
 文字の外でいまわたしは、胸がひりひりして辛い。
あなたはこんな言葉も書き記しています。ひりひりとする自分自身の胸の痛みを。「作品」として自分が書き記している言葉が裏切りつづけているのではないか。そんな疑いやためらいが、私にもいつもつきまとっています。

申:この前、ふなさんが「お二人、もし往復書簡を書かなかったらどうしたんでしょうね、こんなに話したいことがいっぱいあるのに」と言われたことも思い出しました。津島さんに手紙を書く時間が、私には大変楽しく、張りつめた気分で、言葉は堰を切ったように溢れ出るのに、なぜこんなに締め切りに合わせるのが難しいのでしょう。


津島:昨夜、おかしな夢を見ました。申さんと私で書きつづけているこの往復書簡が今月はついに、タイトルまで同じになってしまった、まあ、どうしましょう、と当惑している夢です。同じことをどうしてこうも、申さんと私とで互いに考えるのか、と先々月びっくりさせられ、先月もまたびっくりさせられた、その気持ちの表れのようです。
 人間の小さな、地味な、忍耐強い一日一日の営みこそが、最後に残される成果となる、と申さんのお母さまの姿は私に教えてくださいます。そしてこれだけはどんな時代になっても変わらない、土と人間のつながりから生まれる大きな力なのですね。国だの、国境だの、政治だの、そんなことは関係なく、畑の作物は人間の手入れ次第で豊かに実り、人間の命を守ってくれます。私たちの言葉も同じように、土から離れることはできません。そして海からも、山からも。

申:お母様の故郷甲府でお書きになって送ってくださったお手紙を拝見いたしました。一度読み、もう一度読み、また読みました。今はいらっしゃらないお母様の故郷のホテルに泊まって手紙を書いていらっしゃる津島さんのお気持ちが私にもそのまま伝わってきました。春分の日の翌日が息子さんのご命日だったのですね。「命日」という言葉にまだ実感がないというお話、息子さんに対して語る言葉がまだ見つからないというお話に、私もしばらく言葉をなくしていました。


津島:この一年間、私の仕事机にソウルの大きな書店で買い求めた卓上カレンダーがずっと置いてありました。日本とはちがう韓国の休日に惑わされることが何度もあり、それぞれの休日の脇に書いてあるハングル文字も読めないので、これじゃなんのためのカレンダーなのか、と思うこともしばしばでしたけれど、それでも、このカレンダーで韓国の申さんと日本にいる私の距離がわずかなりとも縮まるような期待を味わいつづけてきました。
 先月のお手紙で、「生きているということは、つまり、違う形へと変化していくことでもあるのでしょうか」と申さんは書いていらっしゃいました。そして、「時間は何もかも消滅させようとし、作家の作業は言語でそれを蘇らせようとする、長い闘いかもしれません」とも。(中略)そして結局のところ、我田引水に聞こえるかもしれませんが、それは人間たちが互いの思いを知るために練りあげてきた言葉で紡ぐ、「物語」の時空間ということになるのではないでしょうか。
 宇宙の時間からみれば、偶然、あるとき地球という惑星に繁殖した人類。そんな存在なのに、言葉を発見し、文字を作り、「物語」を楽しむことを知り、建物を建てる技術を磨き、都市を生み出し、車を走らせ、飛行機を飛ばし、原子力も、コンピューターも作りあげてきました。水の流れを変え、山を崩し、国なるものを作り、戦争をくり返してきました。昔の人間たちが起してきた戦争の話を読むと、どんな戦争だろうが、おびただしい数の犠牲者がいて、ああ、この死者たちの意味はなんだったのだろう、と苦しくなってしまいます。それでも子どもは生まれつづけ、人類は滅亡せず、自然を破壊しつづけ、戦争で殺し合いをつづけています。
 アイヌの文化では、叙事詩の語り手である「ユカ㋶・ク㋸」(「歌のひと」という意味です)はとても尊敬されています。世界の多くの地域でも、同様の語り手が尊敬されながら、まだ元気に生きつづけていることでしょう。韓国と日本で小説を書いている私たち「作家」も、一見、近代的な装いですが、同じ役目をひとびとから託されているのかもしれません。叙事詩のはじまりは「神託」だったと聞いています。祈りの場から演劇が生まれ、物語が語られ、そうして私たちの「祈り」は今でも、文学という形で、人類の未来に向けられているのでしょうか。
 現代の都会に「作家」として生きる私たちの意識の、深い深いところに、叙事詩の語り手の「遺伝子」のようなものがひそんでいる。まわりのひとたちの意識にも、深い深い井戸のようなものがあって、そこから叙事詩に耳を傾けていたご先祖様の亡霊だか、影だか、パソコンに向かう現代の「作家」になにかを要求している。」私にはそんな気がされてなりません。

申:ある時は、東京にいらっしゃる津島さんとソウルにいる私が、同じ話を同時に書いたりもしました。そうした共感をどうして忘れるでしょう。毎回お手紙を受けとるたびに尊敬の気持ちは大きくなっていきました。きむ ふなさんが翻訳して送ってくれた津島さんのお手紙を読み、目頭が熱くなった夜明けもありました。心の傷として残っているはずのお子さんとお父様のお話を率直に書いてくださったことも忘れることができません。「物を書くことについて、女性について、戦争や死刑制度、マイノリティーの人権問題に対するお考えなど、津島さんの決然とした作家精神に触れることができたことも、私には幸運でした。日本社会に対する津島さんの冷静な判断は、私的な情に流されて客観的な判断に至ることのできない場合が多い自分を振り返らせてくださいました。」私たちの往復書簡はここで終わりますが、新しい関係はこれから始まると思われます。


 今回の抜き書きは、お二人の関係性がわかる部分を重視して選んでみました。はじめは1年間分、ひと月ひと月から…と思ってもみましたが、途中***の月の部分は、お二人それぞれが生きてこられた中で感じたこと、思っていること、出来事などが語られていて作家のお二人ならではの作品のようなお手紙です。文章も美しく景色が目に浮かぶようです。もちろん、抜き書きした月のお手紙もそうなんですよ!

 お手紙の始まりのご挨拶や終わりの語りかける言葉は、頂いたお手紙を(私が頂いたわけではないのですが)何度も何度も読み返してしまうほど心惹かれます。ああ、こんなにお手紙っていいものなんだなぁと… 宝物といえるものだと思います。

津島佑子さん、どんな作品を書かれているのか…とても気になりました。
読んでみたいと思います。
今年2月にお亡くなりになっていたのですね。ご冥福をお祈りいたします。














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by sakura8sakura | 2016-11-24 01:56 | 読書
2016年10月の読書
2016年10月の読書メーター
読んだ本の数:19冊
読んだページ数:2958ページ


ガリヴァ旅行記 (新潮文庫)ガリヴァ旅行記 (新潮文庫)感想
リリパット(小人国)・ブロブディンナグ(大人国)・ラピュタ等(妄想・観念)・フウイヌム国(善・理性・理想)ガリヴァが偶然たどり着いた国々で出会った人々との交流によって自分基準の目線・慣習・思考はいかに偏った見解となっていたかがよくわかる。それはガリヴァと出会った人々も同じであろう。他者(違い)があってこそ初めて自分(物事)というものを知れる。ガリヴァがこの不思議な国々で歓迎されたことには、ガリヴァが先ず相手(人・国)を理解しようと努力したこと(経験の賜物)そして対話がいかに重要であるかが終始あったと思う。ガリヴァが、言語の習得が秀でて堪能であったことを再三述べていたことでもよくわかる。理想の人の国「フウイヌム国」では、理性的動物がフウイヌム(馬)で野蛮な動物ヤフーが(人間)として描いたことで世相を痛烈に批判している。ここで描かれている「理性的動物」が「人間」の姿ではなく「馬」であることがスウィフトの意図を示唆しているのかも。✿子供のころに読んだ記憶のあるお話は、表紙に描かれているリリパットでのお話。これが「ガリヴァ旅行記」だと思い込んでいたことはとんでもなく、私ごときが言うのも躊躇しますが… 是非読んでおきたいものだとお勧めいたします。
読了日:10月9日 著者:スウィフト


「死の医学」への日記 (新潮文庫)「死の医学」への日記 (新潮文庫)感想
「死」というものに直面したとき、はじめて人は「生きる」ということを意識できるのだと改めて感じた。キューブラー・ロス女史の提唱する末期ガン患者の五段階の心理過程「否認」「怒り・憤り」「取り引き」「抑うつ」「受容」を経て最期のときまで「生」を全うする。医療が進んだ現代では自分で「死」を創っていかなければならない時代なのだという。喜寿を迎えた母が病気の娘や孫たちに知識としてなくても「デス・エヂュケーション」を自然に行っている姿。自然のなかで生きてきた昔のひとから受け継いできた智慧であり「自然の摂理の中の死」と受け入れるために大切なこと。医師の「気づき」の瞬間と題した柳田さんの考察のなかに、感受性、内面の豊かさをあげられていました。 相手の立場になって察することができる豊かな感受性。 病気に限らず、どうしようもない問題に遭遇した時にも再生へと向かうためにも五段階の時期が必要なのではないかと思った。そこに寄り添える人というのはやはり豊かな感受性をもった人たちなのだろう。
読了日:10月11日 著者:柳田邦男


画集「死の医学」への日記画集「死の医学」への日記感想
新聞の連載『「死の医学」への日記』の挿絵の鉛筆画集。画に込め綴られた思い 永遠の昨日――伊勢英子 ✿心に沁みいります。それぞれの患者さんたちのエピソードを読みページを捲りました。その中にはある日突然「日記」の風景に重なった伊勢さんのエピソードを描いた画があります。消えてしまいそうな父と手をつなぎ見上げる少女の視線。大きなスケッチブックを抱きしめる少女の後ろ姿。✿伊勢さんの心が一気に流れ込んできたような気がしました。繋がれた手と手、生と死が手をつなぎあえたら…バッハ・モーツァルト・ベートーヴェンの曲が流れる。♪Adagio♪molto espressivo♪cantabire♪Chorusと、いのちは奏でられてこそ……
読了日:10月11日 著者:柳田邦男


絵本の力絵本の力感想
題名どおり“絵本の力”がどんなところにあるかを三者三様それぞれの持ち味で語られています。河合さんは子供時代は知識の詰め込みではなく情緒、感性、自分の内面に起こる変化に気づく、感じる。それが何なのかつかみきれなくても自己の魂に残っていることが大事なんだと。柳田さんは「この二十年余り、なんと自分はすばらしい世界を見過ごして無駄な人生を過ごしてきたのかさえ思ってしまう」との言葉どおり絵本の魅力をあふれ出すような感情を理路整然と話されているのはさすがだなぁと。その柳田さんが宮沢賢治の『水仙月の四月』をを絵本にするなら原稿用紙八枚分の文章だと話す松居さんの言葉に「八枚でそれだけのものが表現できる。すごいショッキングな話で……」と笑われているところに、思わず柳田さんのお顔を想像してしまいました。松居さんの「絵本の絵は物語る絵」。日本の絵本の始まりは12世紀だとのお話は、えっ?と納得!が一気きて絵巻の話にドキドキしました。✿手にとって読んでみたい絵本がたくさんできました。読んでいる本もいくつかありましたが、三人それぞれの世界観での見方感じ方が少し知れたことで、また絵本を読むときの参考になりました。
読了日:10月12日 著者:河合隼雄


森へ (たくさんのふしぎ傑作集)森へ (たくさんのふしぎ傑作集)感想
行きたかった森の中を案内してもらったような気分.:*♡ ひとくちに「緑」と言えない「緑たち」の「いのちの息吹」.:*♡ 深く湿った空気を吸い込んだように心が落ち着く。かなわない… 何に? 何ってわからないけど… 自然の迫力? unn…なんか違う。 立ち入っちゃいけないところを少し見ることを許してもらったような… ✿透明人間になってふわりと浮きながらこの空間に行ってみたい.:*♡
読了日:10月13日 著者:星野道夫


新・人間革命〈第3巻〉新・人間革命〈第3巻〉感想
【仏法西還】【月氏】【仏陀】【平和の光】1961年(昭和36年)「躍進の年」元旦から始まる。仏法西還を記すインドへの広布旅。己心に巣くう臆病、インドの歴史カースト制度による身分差別・宿業の不平等。根源の悪はどこにあるのか。人間の奥底にある悪、戦争へと向かう心を断じて絶つとの思い。すべての人間に仏性を見いだす人間平等を説く仏法。釈尊、ガンジー、タゴールの行動に重ねながら戸田先生と池田先生の仏法の視点を描く。 ✿備忘録としてhttp://sakura839.exblog.jp/26397524/
読了日:10月15日 著者:池田大作


わすれられないおくりもの (児童図書館・絵本の部屋)わすれられないおくりもの (児童図書館・絵本の部屋)感想
「生と死」「今をどう生きる」ということを考える一助となる絵本だと思います。ものしりのアナグマは「死」ということもよく知っています。残していくものたちを気遣いあまり悲しまないでと伝えます。悲しみの冬を越え春になりみんながアナグマとの思い出を語り合います。目には見えないけれど心を澄ますとアナグマとの日々がそれぞれの心の中に浮かびます。いつまでもアナグマからのおくりものは消えることはありません。お互いに優しく思いやり合い過ごしてきた時がいつまでもみんなの心の中で生き続けるの。もちろんアナグマの心の中にも*・゚♡
読了日:10月15日 著者:スーザン・バーレイ


魔法のことば―エスキモーに伝わる詩 (日本傑作絵本シリーズ)魔法のことば―エスキモーに伝わる詩 (日本傑作絵本シリーズ)感想
『絵本の力』で河合さんが紹介されていて、「世界はただ、そういうふうになっていたのだ」この言葉に興味津津。どんな絵本なんだろう(*¨人)*・゚♡「魔法としての言葉――アメリカ・インディアンの口承語」の中で紹介されているエキスモーの人々に伝わる一篇の詩をもとに絵本として構成されている。とあるように絵も言葉もそれをよく表している。ずっとずっと大昔、そこにあるもの、見えるもの、感じるものをあるがまま自然にそのまま受け入れる。なんでそんなことができたのか?誰も説明できないけれど。なんでそんなことになったのか?「世界はただ、そういうふうになっていたのだ」そう、それだけで不思議と納得できるのだ、と。いい時代だなぁ*・゚♡
読了日:10月15日 著者:


大人が絵本に涙する時大人が絵本に涙する時感想
「大人こそ絵本を!」と呼びかける柳田さんが絵本から受ける愛を紹介した本。読みたい絵本が増えるなか、柳田さんの所感を参考にできるのが有難い。月に2000円。絵本に充てる金額を設定されているところは私と同じ思いが書かれていてちょっと嬉しかった!✿いろんな流れから柳田さん関連の本を読んでいる今、ここまでやっているのか~と!柳田さんが訳された『あの森へ』を読もうと思います。
読了日:10月16日 著者:柳田邦男



砂漠でみつけた一冊の絵本砂漠でみつけた一冊の絵本感想
今まで自分で運転して自由に動いていたけど、先月アルツハイマーの診断を受け運転免許証を返納した母。喪失感が増してくるだろう母に、絵本の世界の扉を開けてほしいと思っている。「大人こそ絵本を!」との柳田さんからのメッセージと一緒に心に染み入る絵・言葉に触れる世界を味わってほしい。『大人が絵本に涙する時』を先に読んでしまったので内容がかぶっていることもあるけど、母に紹介するのなら中井貴恵さんのお話が入っているこちらのほうがいいかな?一緒にプレゼントする絵本は何にしようか…。一緒に絵本を読む思い出もつくりたいな。
読了日:10月17日 著者:柳田邦男


アラスカたんけん記 (たくさんのふしぎ傑作集)アラスカたんけん記 (たくさんのふしぎ傑作集)感想
純朴な子どもの心のまま生きた人なんだなぁ、と思った。うんちくを述べるのでもなく、ただ行ったこと感じたことをそのまま、言葉を飾ることのない文。カメラレンズを通して星野さんの心が表れたような写真の数々。そこには尊厳なる「いのち」が映し出されている。 ✿クマの母と子。やさしさとしあわせな時を感じる大好きな一葉です。(。・(エ)・。)ノ
読了日:10月20日 著者:星野道夫


クマよ (たくさんのふしぎ傑作集)クマよ (たくさんのふしぎ傑作集)感想
星野さん亡きあと、遺稿と使用写真についてのメモをもとに作られた遺作。 アラスカたいけん記の中で、ひと際輝いていたクマ。そのクマへの思いが一枚一枚の写真の中に詰まっている。「クマよ」「いつか おまえに 会いたかった」と語りかける…。星野さんのまなざしを通してクマたちを含む自然がそこにある。もう一歩退いて観ると星野さんを含む自然の中に生きるいのちが感じられた。地球という星に生まれ、今、目の前には見えないけど時空を超えて繋がっていることに気づかせてくれる素敵な本です。
読了日:10月20日 著者:星野道夫


(001)○に近い△を生きる (ポプラ新書)(001)○に近い△を生きる (ポプラ新書)感想
久しぶりの鎌田節に心が解放された。○=一般的に正解(正論)とされていること。×=一般的に間違いとされていること。この間にある△=別解を認めようということ。△は起こっていることを中心に×から○へなるにはどうしたらいいかな?と考えてその時に自分のできることをやってみるそれがいいんじゃない?そこに×なんかないのだから。相手の思想、行動の文脈を知る、順を追ってみてみるという発想に心がキラン.:*と鳴った。いろんな問題のなかで「別解力」で行動し続けている方を数々紹介しています。この別解力を発揮して行動されている中村哲さんのお話があり(嬉)そこに最近知ったチェ・ゲバラさんのお話あり(嬉々)石井光太氏との対談は本書の言いたいことがよくわかります。○と×、レッテル貼り、決め付けた見方が増幅し続ける現代。互いが縛りあう生き方は苦しい、「誰人も人間として尊重されて生きていく」現実にそうなることを願いながら別解力を養い自分のできる△をやっていこうと思う。★(読フレさんコメントより)何事も極端はよろしくない。○でも×でもなく△とは、難しい言葉でいえばアリストテレスのいった「徳」であり「寛容」、仏法いう中道なんですよね。なので2000以上年前からある思想。宗教的不寛容がすすみ、民族国家の多様性に不寛容が進む現代に最も必要なんだと思います。「行動の文脈」っていい言葉ですね。「なんでそうしたの?」を考えることによって相手の気持ちが見えてくるんでしょうね。難しい言葉なしに伝える鎌田さんの伝達力あるタイトルですね。✿そうそう、そうなんですよ。△の生き方っていうのはプロセスを重視する生き方。それぞれが選ぶ道がいっぱいあるから物事を柔軟に考えられるだから可能性が広がる。そこで「行動の文脈」いいでしょ!そうなんです。「物語ることでよく伝わる」にもちょっと似てますね。アリストテレスも時代は古いですが鎌田先生の思考にはホモサピエンスがよく出てきます(笑)
読了日:10月23日 著者:鎌田實


まつり (講談社の創作絵本)まつり (講談社の創作絵本)感想
秋祭りの時が来たら読もうと思いこの絵本を開いた。3月―から始まった。『大きな木のようなひと』の「秋は春の始まりなんだ」の続きのように。 「四季のある日本の森をもっと知りたいと思っています。」お手紙交換してたんだね。再会の10月―さらえの住む村。何百年も前からずっと森を守り木の恩恵をうけ人と木は生きている。秋―森の神さまたちが、形をかえてまつりにあらわれる。庭師、彫師、大工、子どもたち、村に住む人々が「まつり」の日にひとつになるんだね。自然に感謝する日本のこころ。伊勢さんのこころに映った場面。太鼓の音や笛の音が子どもの声や威勢のいい声が聞こえてくるかのような絵に惹きこまれていく。✿遠くに聞こえる太鼓の音を聞きながら…また来る年のこの日に開きたいな。
読了日:10月24日 著者:いせひでこ


おおきなあなおおきなあな感想
「アサガオ」さんからのお勧めで読んでみました。ぼくを中心にお話はすすみます。だけどこの本は“サルやネコ”“ウサギ”“ネズミやキツネ”“ライオンのお母さん”“ライオン”それぞれの立場に自分を置いて読んでいくこと。じゃあなぜライオンは穴を掘るようになったのかな?と、「アサガオ」さんが取り組んでいるように、そこにいる人たちを交えて対話を重ねることで活かされていくのだと思います。ここで穴に落ちた者たちは助けの叫びをあげることができたがそれすらできない者もいるのじゃないかな?一対一での対話を重ねることも大事だと思います。お話の最後は理想とする円満な解決。もちろんそこには希望がある。その思いもあるうえで個人的な感想のひとつとして、あまりにも深い穴なら底に横道があることも有りではないかと思います。死を選ぶしかないと思ってしまう状況であるなら「死なないで逃げて、一時(いっとき)逃げることは恥ずかしいことでも悪いことでもない」そう伝えてあげたいと思うのです。自分を見つめる時とすればいいのだから。
読了日:10月24日 著者:ぶん:あかみねちょうじえ:たなかしんすけ



ルリユールおじさんルリユールおじさん感想
ときめいた*・゚♡ 歴史を感じる樹と書物と職人。行ったことはないけど私の中で憧れるパリの雰囲気。その風景の中に二人の姿を捜してしまう。ソフィーとルリユールおじさんの距離が小さくなっていく。大切な植物図鑑が世界でたった一つの植物図鑑に生まれ変わった。窓際にスポットライトに照らされるその本を見つけたシーン。ページを捲り開いたときゾクゾクした。ソフィーの眼差しはルリユールの職人技に魅せられたいせさんなのだろう。「わたしも魔法の手を持てただろうか」ルリユールの言葉は、いせさんの思いも重なっているかのよう… 奥付――RELIEUR、M氏に捧げる―― 旅がひとつの出会いで一変する。✿いせさんのパリでの生活のお話の本を読んでみたいと思う。この絵本をそばにおいて。
読了日:10月25日 著者:いせひでこ


はじまりの記憶 (講談社文庫)はじまりの記憶 (講談社文庫)感想
私が今、「いのちの本質を言葉にして伝えてくる文章」にややも驚きながら感嘆させられている柳田さん、と「いのちを描き出す絵」が印象的でその魅力に惹き寄せられている伊勢さん。そのお二人の根源となるエピソードを「心の原風景を探す旅」として交互に綴っています。柳田君だったころのエピソードを読んでいると好奇心、興味を持ったものを自分の中で昇華されるまで追求する。自分を客観的に冷静に見つめ判断、決定しながらの人生を歩み続ける。絵本への情熱を傾ける柳田さんの根っこはここからあったようです。カキの衣をつけるエピーソドは性格がよくあらわれているのかなと微笑ましい。幼い時から内向的で自分の感性を羅針盤に生きてこられたような伊勢さん。感受性の豊かさはお父様から譲り受けたDNAが開花したもの。淡いピンクの空の絵を持ったまま突っ立っている姿、長靴のお話、グレイの目線で見る体験。絵描きであるいせさんの挿絵はもちろんとして、柳田さんのteatime sketchの素敵なこと。実物をありのままに見る目それを表現しようとする力に新たな一面を見せていただきました。✿お二人のえがく世界にどっぷりと浸っている今の私にはいろんな発見ができた本でありました。こんなに鮮明じゃなくほんのワンシーン程度だけど幼き頃が回顧されあの時の感覚が甦り、心の原風景を探す旅の糸をそっと綻ばせてくれました。
読了日:10月27日 著者:柳田邦男,伊勢英子


終わらない原発事故と「日本病」終わらない原発事故と「日本病」感想
時代や形が違えどその根底に流れる「無責任」「人ごと」「命を基として考えていない」「想像力の欠乏」「人心の劣化」症状の『日本病』が日本を蝕んできている。隠ぺい、偽装、欺瞞、事なかれ主義、言葉の独り歩きと思える安全神話。それらが顕著に表れたのが福島原発での事故をめぐる背景とその後の対処。しかし、それらを責めるだけではなく。自らの足で歩き現場の声を訊き原因を追求し検証し問題を明確にし次に生かしていこうと取り組んでおられる。そこには柳田氏が提唱する一人称・二人称での視点での捉え方と寄り添う心がある。司法の場で行政の「不作為責任」を問う判決が連打されても、行政はその体質を根本から変えようとしない。真の国民の立場に立って命の安全を考えるための「行政倫理」という新しい概念をとの提言に対し「柳田氏の提言書は雑誌論文に過ぎない」といって一笑した官僚。高市早苗議員の講演での文脈から読み取る本音。水俣病の問題と同じものが感じられる。福島第一原発事故はかつての硫黄島での死闘が重なる。一つひとつの事例を読んでいくと今の日本の病の重度が深刻であることが分かる。1971年『マッハの恐怖』執筆から警鐘を鳴らし続けている柳田氏が大人が絵本を読むことを提唱する熱意の元がここにあると思う。これらは日本社会の問題であると共に一人ひとりの心の問題であると考えられたのだろう。
読了日:10月30日 著者:柳田邦男


みんな,絵本からみんな,絵本から感想
絵本を読むことで芽生えた萌芽が豊穣な心をつくる。柳田さんの「絵本愛」が手に取るように感じられる。農薬により失われつつあった自然環境レイチェルカーソンは「沈黙の春」で警鐘を鳴らした。柳田氏21世紀はテレビ・ゲーム・ケータイ・ネットにより生身の人間同士の接触が減りつつあることを「子どもたちの『沈黙の春』」と警鐘を鳴らす。育てていますか、他者を思いやる心と問う。『だいじょうぶだよ、ゾウさん』「悲しみ」は感性を育む。物語の文脈理解力は人間関係の文脈理解力につながる。と言う。「いのち」の感覚は感動体験から生まれる。読み聞かせは「現実体験」子どもの心はどんどん物語の時空へ入っていく。✿これは現実に自分が五感で体験したことあって、はじめて成ると思うが… そこは、写真が物語っているのかなと思います(*´╰╯`๓)♬*゜
読了日:10月30日 著者:柳田邦男




*****



10月も、柳田さん関連の本を読んでいました。
柳田さんのものの考え方、とらえ方。直観的な感性。
本を読むにつれてみえてきた。
幼少期からの本来柳田さんが持っているものと、様々な経験から学び気づいて行動し体験する。
その二つのものが柳田さんの中で熟成し現在の柳田さんとして開花たことがよくわかります。
ドキュメンタリーを中心とした活動の中で得た眼と正しく伝える文章力が、柳田さんの感性を表現している。

大切なことは何か。
これを伝えるために一つの表現方法に囚われないで、ご自分の感性と可能性を信じて進まれていらっしゃる柳田さん。
11月もまだ、柳田さんの著作を追いかけたい思いが強いです(笑)

その柳田さんが魅かれた、伊勢英子さんの絵の世界にもどっぷりと浸っております。
私的には、伊勢さんの世界が先ですが… 深いところでは柳田さんが先カナ? 鶏と卵のようなものでしょうか。
私の心の何かを、がっしりと掴んで離さないのです(笑)
お二人の、内面から湧き起こったことをしっかりと受け止め、その自分の感性を大事に生きた生き方。
それも、その一つにあるのかもしれませんね。
私自身が、私自身を見つめて、私自身が気がつかなかった私を知る、そんな縁となっています。
また、そこで感じ受けた感性が、また私の中で広がりゆくのが感じられています。

10月27日読了の『はじまりの記憶』
心の原風景を探す旅。それは単なる回顧ではない。明日をより良く生きるための不可欠の作業なのだ。
仰ぎ見る空、ぽっかりとあいた心に吸いこまれていく音……。
当代随一のノンフィクション作家と画家が、それぞれの記憶の深層を掘り起こし、「私という現象」の核心に迫る、刺激的で稀有なコラボレーション。
 
 『はじまりの記憶』の正しい読み方として小児科医の細谷良太さんが教えてくれてます。
まず最初の、「かなしみ」から読み始めてください。柳田さんのパートを読んで、伊勢さんのパートを読んでください。
そうしたら本を一旦とじて、今度は、あなたの番です。二人のエッセイに触発されて心の中に不思議なイメージが広がるはずです。
頭の中が思い出でいっぱいになったら、今日はそこまで、また明日続きをどうぞ。そんな風にして読み進んでもらうと約十日あまりでこの本が終わります。そのあとはもう一回最終章まで一気に読んでいただきたいのです。三人目の著者のあなたの記憶を吸収して、この『はじまりの記憶』はより豊かで素晴らしい本になっているはずです。

伝えたくても、なかなか伝えにくかった「自分を自分で見つめることによって、生きなおす」こと。その一端を感じられる方法だとおもいます。


伊勢さんの大好きな、グレン・グールド


さすがは松岡正剛さん
長いですが、なるほど~
言葉にするとこういう感覚だったのか… と。



今日は曇ってるけど…

この日のような澄んだ空の色
見上げて 伸びろ!広がれ!
私の感性*・゚♡

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✿✿✿

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<(_ _ )>



*****


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by sakura8sakura | 2016-11-01 13:05 | 読書メーター
  

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