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どう生きるのか
池田大作全集119 
私の人間学第一章 豊かな人生を考える
第一節 自己をつくり、自己に生きる


*美しく老いる ―― 鶴見祐輔 の“人生観”

鶴見祐輔の言葉
「偉大なる人の晩年ぐらゐ美事なものはない。丁度、秋の落日のやうなものである」
「人間の一生は、その人格が完成されゆく道程にある。人間の一番貴いのは、老年である。何となればその時が、その人の一生の決算期であるからである」
「われわれの一生は、結局、このやうな貴い老年を作り出すための準備なのである」(『新英雄待望論』太平洋出版社)

ゲーテの言葉
「本源の光の色さまざまな反映、それがわれわれの生なのだ」(『ファウスト』手塚富雄訳、講談社)

二十代には二十代の色調がある。四十代、また六十代、七十代にも、それぞれの輝き方があろう。しかし、一貫して変わらないものは、自分自身の魂の高原なのである。樹木でいえば、年輪を刻んで変わらぬ“芯”ともいえようか。



*****




*その道一筋 ―― 「画狂老人」葛飾北斎

プラトンがペンを握りながら死んだ、という逸話は有名であるが、北斎もまた、いまわの際まで絵筆を手にし続けた、といっても過言ではない。
その北斎が、有名な絵本「富嶽百景」に、次のような意味のことを記している。
 すなわち――自分は六歳から物の形を写すのが大好きで、五十歳ぐらいから、世間に評判になるものを数多く残してきたが、七十歳までの作品には、とるに足るものはない。七十三歳にして、やや鳥や獣、虫、魚などの姿かたち、草木の育ち方をどうとらえるかの勘どころがわかってきた。そういうわけだから、八十歳になれば、ひとかどの線まで進むであろうし、九十歳になれば、その道の奥義を極め、百歳では、人間離れした神技の域に達するであろう。写生をものにすることができるであろう、と。

この言葉に感動したフランスの大彫刻家ロダンは
「優れた頭脳になると生存の最終端に至るまで自分を育て自分を豊かにしてゆき得るものだ」と賛嘆を寄せている。

人生は、最後の一瞬まで、建設の連続でありたい。この心構えを生涯持ち続けたかどうかが、その人の人生の価値を決定する、とさえ私は思う。この道一筋と自分が決めたわが人生をどこまでもひたすらに生きぬいていく。常の人生の前進、人生の成長を続けていく。そこにのみ、人間としての証があり、尊さがあるといえよう。



*****


言葉をはさむべきこともない。
自分の今いる場所で、自己の成長を示しながら生涯を全うする。
この思いをしかっりと胸に刻こみ日々を生き切る。
言葉にするとなんだか仰々しいけど、信念をもって何事にも誠実に真剣に対処していく。




ちょうど、先月柳田邦夫氏の著作『心の深みへ』,『犠牲(サクリファイス)』を読んだことが機縁となり、『「死の医学」への日記』を読みました。「死」というものに直面したとき、はじめて人は「生きる」ということを意識できるのだと改めて感じました。

今現在の私は、病気でもないし老齢という歳にもまだとおく、きっとまだまだ同じ心を感じきれないであろうと思います。
それでも、同じ立場であったならどう生きるのだろう…と考えたとき
今のこの時を本当に大切にしていかないといけないな、と強く思いました。

芸術家でも文学者でもない平凡な人生だけど、母としてなにを伝え心に残せるか。
子供たちの心に残る母の姿が、私が生きた証として生き続けていくのだから。


わすれられないおくりもの (児童図書館・絵本の部屋)

スーザン・バーレイ/評論社

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アナグマのように生きる、後に残ったみんなの心にアナグマはいつまでも生き続けるように。 2016.10.15追記






2016.10.12追記
日蓮大聖人は「されば先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」(御書1404p)と述べられている。
「死とは何か」の正しい究明がなければ、人間として「なんのために死ぬのか」「いかに死ぬのか」を考えることはできない。そうであれば、「いかに生きるか」という答えも導き出すことはできない。生と死とは、本来、表裏の関係にほかならないからである。(新・人革第3巻67p)




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by sakura8sakura | 2016-10-11 16:46 | 池田大作全集
原点を持つ
池田大作全集119 私の人間学
第一章 豊かな人生を考える
第一節 自己をつくり、自己に生きる

*原点を持つ ―― ストウ夫人の若き日の誓い


 大地には地図があり、海には海図がある。タテ・ヨコの座標軸のなかで、自らの位置を知り、誤りなく方向を定めることができる。それでは人生の旅はどうであろうか ―― 。



 ストウ夫人がアメリカの奴隷制度の悲惨さを描いた『アンクル・トムの小屋』を書いたのは四十歳のときであった。しかしその原点は、彼女が二十一歳の時にあったといわれる。
 東部から、南部との境界線にあったシンシンナティに引っ越してきたときのことである。そこで奴隷売買の恐るべき実態を見た体験が著作の動機になった。(チャールズ・エドワード・ストウ『ストウ夫人の肖像』佐々木茂々子訳、ヨルダン社。以下、引用は同書から)
 「奴隷法は私には信じられないこと、驚くべきこと、悲しむべきことです。もしもこの罪と不幸を海底深くに沈ませることが出来るなら、私も喜んで共に沈んでゆきたいと思います」
 この一文にあるごとく、その衝撃は甚大であった。

 「わが国の人たちが奴隷に示している残酷と不正を思って、私の心は苦しみで破裂しそうになって」との深き思いから、彼女は四十歳にしてついにペンを執ったのである。そして、奴隷制度に反対するアメリカの世論に火をつけた。

 第十六代大統領リンカーンも、ストウ夫人に会って、“あの大きな戦争(南北戦争)のきっかけを作ったのは、このかわいい小柄なご夫人であったのか!”と言ったという話もある。
 
 一人の人間の真剣なる一念が、時代の底流の「心」をつかむとき、どれほど絶大なる力を発揮するかの一例であろう。


 人生で遭遇した出来事のある一場面が、あたかも印画紙に焼き付けられた一葉の写真のごとく、鮮やかに胸中に刻印され、時の流れを超えて人生行路を方向づけていくことがある。一つの信念の道を歩む時、通俗的な価値観との対決やさまざまな試練との格闘を通じて、鮮烈な原体験は深められ、自己を深層から突き動かしていく「原点」へと昇華していく。

 人生の原点を持った人は強い、何があっても迷わないし、負けない。原点を持たない人は、「人生の十字路」に立つとき弱く、はかないものだ。
 現代は軽薄さに流されがちな時代である。また、だれしも華やかな世界にあこがれる心があるに違いない。しかし、原点を持たないということは、長い人生の幸福への羅針盤を持っていないようなものである。その原点とは、より深く、意義ある人生を懸命に求める生き方のなかに、見いだされ、心に刻まれていくようなものであると私は思う。


*****

 
 先生は、青春時代に何を生命に刻むか、何を人生の原点にするか ―― 彼女の生き方は、それがいかに大切かを教えているとはいえまいか。―― と、問いかけられています。

 「原点」、青春時代… 考えたこともありませんでした(汗)平凡に、青春時代を楽しみ、もちろん苦労することもありましたよ。だけども、ごくごく自分の身の回りとの関係内のことであって、ストウ夫人のように心に焼きつけるような劇的な出来事にあうこともなく。平凡で平和な時代を深く考えることもなく過ごしてきたと思います。

 いうならば、ひどく狭い社会的視野でしか物事を見ていなかったともいえるのでしょう。現実には世界において様々な悲惨な事が起こっていたのだから。

 小さなころから、基本、争うことが嫌い、そういう場面を見ることも嫌い、そんな子供でした。よくいえばそうですが、悪く言えば深く関わりを持つことをしなくなってくるということです。

 心の中に焼き付くような映像といえば、1995年1.17阪神大震災 、何もできないまま焼けつくされる長田区。2001年9.11アメリカ同時多発テロ、ツインタワーにジャンボ飛行機が突っ込んでいく、崩れ落ちていくタワー。紙屑のようなものが降り注ぐなか逃げ出す人々の姿。湾岸戦争のあの飛びかう光。TV画面を食い入るようにみていました。
 


 2002年、北淡路メモリアルハウスへ行ってどんな地震だったのか家族で見に行きました。
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私の今ある「原点」といえば、子どもを持ってから起きたこのようなことかな。

 平和であること。

 地震などのような天災は、ある程度仕方がありません。人間がどうすることもできないことなので。
だけど、2011年3.11に起きた地震によって起こった福島原発事故はある意味人災ですね。
 3.11以降、“原発安全神話”は確実に崩れたのです。
ゆえに、地震国である日本に立地する原発には反対なのです。

 ストウ夫人と同じものが、私の心の中にも湧き上がってきているここ数年(汗)

 “戦争”というものはどういうことなのか
それによって、どんなことが起こっているのか
私がそうであったように、知ることで意識が変わるのです。

そして、この日蓮仏法により人間の内面から変わっていく。
そこに住む一人ひとりが変わっていくことで国が変わってくる。

只南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを是をみがくとはいうなり(一生成仏抄)

まずは自分から!依正不二
そんな思いで、自分の身近な人へ声をかけていける自分へと成長していきたいです。

桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり(御義口伝)
 

2016.10.14追記

友人が『アンクル・トムの小屋』を読んで感想をブログにUPしてくれていました。
恥ずかしくもまだ読めていない私です。
歴史的な知識がない私にとって、とても学ぶところが多いのでいつも感謝しています。

拙い私のブログを読んでくださっている皆さまにもご紹介いたします。




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by sakura8sakura | 2016-08-29 17:51 | 池田大作全集
生への執着
池田大作全集119 私の人間学
第一章 豊かな人生を考える
第一節 自己をつくり、自己に生きる

*生への執着 ―― 仙薬を求めた始皇帝


日常を虚心に見れば、瞬間瞬間さまざまな欲望や執着に、人の心は揺れ動いている。



二千数百年前、中国では戦国七雄と呼ばれる諸侯が互いに武を競い、戦いを繰り返していた。そのなかで、西方の雄・秦が最も多くの人材を擁し、国力を大きく伸ばしていった。そして、二百年以上にわたる群雄割拠の時代を統一したのが始皇帝である。

この始皇帝、絶大な権力も百数十万の軍を持ち、数十万の人間をつかい自らの墓、驪山陵を造り、天界とも見まがう阿房宮をつくった。
さらには、自ら全国を行幸し、秦の数百年にわたる礎を築こうとした。その彼が最後に願い求めたものこそ、自らの「不死」であったという。秦の世が確固となるのを見届けるまでは死ねない ――

「死」を恐れるのは、人間の本能といえよう。しかし、始皇帝は、とくに「死」を恐れ、「生」に執着した。それは、せっかく築きあげたものが、自分の「死」によって、すべて崩れ去ってしまうことを恐れたからかもしれない。


哲学者三木清は『人生ノート』の中で次のように述べている。
「執着する何ものもないといった虚無の心では人間はなかなか死ねないのではないか。執着するものがあるから死にきれないということは、執着するものがあるから死ねるということである。深く執着するものがある者は、死後自分の帰ってゆくべきところをもっている。それだから死に対する準備というのは、どこまでも執着するものを作るということである。私に真に愛するものがあるなら、そのことが私の永生を約束する」

この逆説には、人間の生死というものを鋭く凝視した哲人の発する知恵のひかりが感じられる。生死を超えて、有限の生を永遠に連続させゆくものを持つかどうか。

以上抜粋




『執着』
うーーーん、考えた。ずいぶん・・・
私の中で、『執着する』ということにあまりいいイメージを持っていなかったから
実際、私自身が物事に対して執着する、(どちらかといえば執着し続けると言ったほうがいいのかもしれない)ということは少ないほうだと思っています。
自分の中で『あまりいいものではない』という意識が働いていてそういう結果になっていたのかもしれませんが…

今回、哲学者三木清は『人生ノート』の中で述べられている部分を読んで、立ち止った。
執着する何ものもない ≒ 虚無の心
死に対する準備というのは、どこまでも執着するものを作るということである。

そう、『逆説』 ← 悩ましいですよね(・・;)
まあ、善悪一如 なんだからそうなんですけどね。

先生がおっしゃるように、生死を超えて、有限の生を永遠に連続させゆくものを持つかどうか。
どんな執着を持つかなんですよね。

三木清氏が執着したものは、『真に愛するもの』であり
始皇帝でいえば、それは保身であり、『死』というものへの恐れからの『生』への執着だったのでしょう。

『強い意識を持っての執着』と『無意識の執着』
自分が一生をかけても貫きとおしたい、貫きとおすに値するもの。こういうものを持って生きることが真に生きる原動力となり、生きた証として私自身に残るということなのかな。などと考えてみました。


そーですね、今の私だったら
『法華経の心』を学び『法華経の心』で生き『法華経の心』を伝えていくということに『執着』なのでしょう。
そこで、大事なことは『「蚕と蜘蛛」の譬え』をしっかりと胸に置いておくこと。

仏典には「蚕と蜘蛛」の譬えがある。
蚕は自分の口から吐き出した糸によって自分を縛り上げ、最後には繭におおわれて動きがとれなくなるが、蜘蛛は糸を吐いてその上を自在に動き回る。人間のもつ執着や欲望が、ある時は自身を縛る軛となり、ある時は向上や成長へと向かう生のエネルギーともなることを示した譬えである。

感覚的な楽しみといった身近なものから、自己実現へのあらゆる欲求にいたるまで、人間の行動を駆り立て、突き動かす多層にわたる欲望や執着 ―― むしろそうした執着を、真の生へのエネルギーへと昇華し、深き生へのダイナミズムへと転換することこそ、移ろいゆく人生に確かな充実をもたらす道であることを仏法は示している。





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by sakura8sakura | 2016-08-21 07:00 | 池田大作全集
一流の人物
池田大作全集119 
私の人間学第一章 豊かな人生を考える
第一節 自己をつくり、自己に生きる

*一流の人物 ―― 「詩道一筋」北原白秋


 よく「一流の人物」といい、逆に「二流・三流の人物」ともいう。その違いは、どこにあるのだろうか。

私が各界の「第一人者」といわれる人物に会って、常に感心するのは、どの人もみな実に謙虚であるということだ。


「言葉の錬金術師」とも呼ばれた北原白秋をひいて教えてくださっています。

白秋も「私と歌」において作歌の苦悩を述べ、歌を廃そうかとさえもらしている。しかし、「専門歌人たちよりも私の苦しみが数倍なだけ、素人である丈、何時も初心者の心もちでゐられる。これは忝いと思ふし、奮発心が起る」と言い、歌の道を進んでいこうとするのである。

まさにこの謙虚さこそ、彼の天分を花開かせた肝要の一点であるとみたい。「苦しみ抜くより上達の道はない」― 白秋にはこの明確な哲学があった。また、あくなき向上心への「奮発心」があった。ここに、彼の非凡なる大成の秘密を垣間見るのである。


また白秋は、「人間である」という原点を見失わなかった。偉ぶらず、「酒屋の子です」と言って淡々としていた。

世間の宮殿ごとき栄華も、名聞も、永続的なものではない。本当の幸福を考えるならば、むしろ、空しく、小さな出来事である。大切なのは「胸中の宮殿」を開いていくことである。この一点にのみ、永遠性に通じる人生の要諦がある。そして人間と人間との交わりのなかにこそ、人生の妙味もある。成長もある。

さらに白秋は「さうして玉のやうに自分の魂を磨きあげ度いばかりです」と続けている。
わが生命を玉のごとく磨きに磨いて人生を終わりたい。それよりほかに願いはない。
―― 有名であれ、無名であれ、人間としての本然の欲求がここにある。





絶え間ない努力と高い向上心をもつ人、というと、私はイチローが浮かびます。

息子が少年野球を始めたころから、イチローのような選手になりたいと目標にしていた尊敬する選手なんです。

はじめは、母である私が大好きで「イチローってカッコイイよね!バッティングセンスばっちしだし、足速いし、どんな球も捕るしねぇ」と、励ましのつもりで話してたんですがね^^
部屋にポスター貼って、イチローモデルのグローブで発奮し、希望のセンターを獲得。頑張ったんだもんね!

懐かしい、いそがしくも楽しい思い出です♪

今日(予約投稿なので昨日となりますが)嬉しいことに ^^ 


2016.8.8 3,000本安打達成! おめでとー!!!



ファンやチームメイトだけじゃなく相手チームの選手やスタッフからも祝福を受ける。
イチローの野球に対する姿勢や意識の高さへの尊敬があるんでしょうね。




ほんと、先生の仰るとおり一流の人というのは謙虚なんですよね。




「修行」について、さらに白秋は
「突拍子もない大々飛躍などということはめつたにできるものではない。一代の名作、或いは傑作を突如として公にし、世を驚かさうとする間は根本の修行の道が謬つてゐる。修行といふものは、石なら石を一つづつ積みあげていくやうなもので、根気よく、こつこつと仕事の力と量とを積みあげていかねばならない。何事も習練と時間の堆積とから光り輝く喜びが来る。どれだけ天賦の才を恵まれてゐても、この平生の努力を怠る向きは、ついひには何の業も大成し得ないであらう」と述べ「努力なのだ、努力なのだ」と言っている。


どんな時代に生きようとも、その人には、その人にしか歩めない人生の道がある。
ありのままの心の発露でいい。ささやかに見える目標でも、そこに近づこうと努力することが、自分にしか歩めない充実の道となる。

これは、『女性に贈る100文字の幸福抄』という先生の著書の中の「空」にある言葉なんです。
北原白秋やイチローのようには、とてもとても程遠く届かないけれども、自分らしく昨日の自分より今日の自分が少しでも成長するのだ!との思いを忘れずにいます。
毎日、先生の言葉を音読すること。物忘れのお年頃である私には、これも一つのささやかな努力なのです。





*****

1945年(昭和20年)8月9日 午前11時2分
長崎に原爆が投下された日

8月6日の広島への原爆投下に続いての投下でした。

不戦の誓いとともに亡くなられた皆さまの追悼の祈りを捧げます。




旧ソ連の調査団が撮影した原爆投下後の広島と長崎の映像が提供されました。









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by sakura8sakura | 2016-08-09 07:00 | 池田大作全集
大いなる希望に生きよ
池田大作全集119 私の人間学
第一章 豊かな人生を考える
第一節 自己をつくり、自己に生きる

*大いなる希望に生きよ ―― アレクサンドロスの旅立ち


 希望”をもつことが、困難な問題を乗り越えていく原動力になる

アレクサンドロスが、青春を賭けたペルシャ遠征に出発するにさいし、愛蔵する宝物から所領する田畑に至るまで、一切の王室財産を臣下のために分け与え「ただ一つ、″希望″という宝を持てるのみ」と出発した。ことを紹介されています。


よく青年に言われていたという戸田先生のことばを引用されています。
「人生には、希望がなくてはならない。いや、あらゆる人が希望のなかに生きているのではなかろうか。もし希望のない人生に生きている人がいるとすれば、それは敗残者である」

人は、ともすれば少しの失敗や障害に遭って希望を失い、挫折していく。厳しい現実を前に生き抜く力をなくしたり、他人を恨んだり、悲嘆と愚癡の方向へと後退してしまいがちである。しかし逆境にあっても希望を見失わない人は、必ず活路が開け、深い人生の喜びが心に広がっていく。

人生という遠征に向かうにあたって、最も大切なものは、財産でも地位でもない。わが胸中に炎のごとく燃えたぎる“希望”の一念ではないだろうか。打算なき、大いなる希望に生きる人には、困難を困難とせぬ勇気がわき、パッション(情熱)が生まれ、現実を見抜く英知が光を放ち始めるからである。時とともに輝きを増す、生涯不滅の希望を持てる人こそ、最高の信念の人であり、また人生の勝利者となるであろう。




人生の半ばを過ぎ、後半を進む私にとっての“希望”とは、なんぞや?!

やっぱり、世界が“平和”であること。 

世界に起こっていることも、今現代にあって知ることは比較的容易になっています。
そこで、見聞きすることはとても悲惨なことが多くて、平和への“希望”などどこに見出せばいいのかと思う時もあります。でも、“希望”を持てないということは、もうそこで敗北しているのだということですよね。

以前、大きな悩みに直面した時、『希望はつくるものだと』の言葉にも、「どうやって“希望”をつくるの? “希望”なんてない!」と叫んでたこともありました。
それでも、そのままの思いを御本尊様に訴え(この表現のほうがぴったりくるのです^^;)自身と向き合い唱題を続けるうちにふと何かを始めてみようと(私の場合は、まずは方便品・寿量品講義の本を読むことだったのですが)いう気持ちが湧いてきたのです。あとは、その繰り返し。

ただ、平和な暮らしを、みんながいい方向へとの祈りの結果が現状であり、それでいいのだと思える今の私の心は平穏です。
この経験からしても、こうして、ああして、こうなったら、ああして…… そんなことを考えななかったですね。
常に、真剣であること、誠実であること、そのときの自分のできることを一生懸命やっていくにつきていたように思います。

ならば、(そんな頭お花畑みたいなこと言って~などと)何と言われようが 「平和な世界の実現」これに向かって祈り、今、自分にできることを一生懸命する。これしかないなと。改めて心に刻みました。



「希望」は人生の力であり「希望」を持ち生きゆくことは、人類のみに与えられた特権といってよい。人間だけが希望という未来の「光」を自ら生み、わが人生を創造することができる。







バイオリン弾きながら走るって… ^^;
いいよね、型破りであっても素晴らしいものは素晴らしい!

それぞれ、みんなのできることがあると思います。
同じ目標に向かってできることをやっていく
そうした個の力が集まったときに
その日がやってくるのかもしれませんね。







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by sakura8sakura | 2016-08-07 11:27 | 池田大作全集
  

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