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『希望のしくみ』 から学ぶ

希望のしくみ (宝島SUGOI文庫)

アルボムッレ・スマナサーラ,養老 孟司/宝島社

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すっきり、納得!!

読んでいて、自分の内にあるものが自然体でいられたことが嬉しい♪
この私の心を養老先生は「はじめに」の言葉で表わしてくれていました。


 はじめに 二五〇〇年前の先達   養老孟司

 私は近代科学を学んで、いまに至ります。

 (中略)

 「なんだ、俺の考えていたことは、お経じゃないか」
 そう思ったのです。近代科学の方法を使って自分の頭で考えたら、二五〇〇年前にお釈迦さんが同じようなことを言っていた。私が驚くのも当然でしょう。

 (中略)

 お釈迦さんは心を科学した人。ヒトの心が変わらない以上、その方法は、ずっと使えるんですね。二五〇〇年前の先達とあいまみえて、私はずいぶんほっとしました。
 


仏教は読んで字の如くブッダの教え、つまり仏教はお釈迦さまにしか説けない教えです。

日本の仏教はいわゆる祖師信仰であり、その宗派を開いた祖師さんの言うことはなんでも、自分ではちょっとどうかなと思っても、信仰しなさいと強要します。つまりは祖師の色に染まるんですね。かといって、お釈迦さまを信仰しなさいってことではない。

「お釈迦さまの説かれた教えを信じて実践する」と言ったほうが正しいという。



【信仰】
神・仏など、ある神聖なものを(またはあるものを絶対視して)信じたっとぶこと。
そのかたく信ずる心。 「―があつい」



お釈迦さまの説いたのは「真理」

真理は、誰が語っても、いつの時代でも変わらないものです。
お釈迦さまは真理を提示して、「自分で調べなさい、確かめなさい、研究しなさい」という態度で教えたんです。「私を信じなさい」とは、全く言っていません。


真理は誰でも確かめられるから真理。
確かめられるものは、信仰の対象にならないんですよ。だって信じる必要がないんですからね。仏教は真理しか語りません。



「仏教」と、仏教と誤認識されている「宗教」の違いがはっきりとわかった。


様々ある宗教のちがいの判別基準で重要なことは、その土台に「人間」が含まれているかどうか?である。


「真理」とは、普遍性であり、いつでもどこでも成り立つこと。



養老先生は解剖学から人間の普遍性を観ていた。
肌の色や髪の色、眼の色などは違っていても「人間」という人体の構造に変わりはない。
「解剖学の方法を使ってものを考える」
解剖学という方法は本来普遍的で、社会学や法学にだって使える。

その眼で、「日本人」を観るとどうだろう。

日本人だけで固まる「うち」という凝り固まった認識が頭をもたげている。
「うち」に含まれないものは排除される、恐るべき「うち」思考。(妙に納得した)
それは自分を「うち」のなかに囲い込むことでもある。

そういう思考である人びとが住む(運営とでもいいましょうか)国もそうなりがちである。


しかし、古来からの日本人の思考には「人間ならば――」と考える普遍性がある。



希望が見えた!♪



まず、自分見る。
自分が何を求めているのか?、何に不満があるのか?自分の心は何を感じているのか?それを見つめること。

自分が見えてくるとね、具体的に「私なら、これでいいんじゃないか」ということが発見できるかもしれませんし、より普遍的に、「人間ならどういうふうに生きるべきか」という発見もできます。


それを仏教で考えると

仏教は、その「人間なら」という道徳、倫理を語るんです。個人が求めていた何者かになって、「私はこれで満足だ」ということがあっても、それはあくまで個人のスケールで、仏教では相手にしません。
しかしそれ(個人のスケール)だけでは、あなたの探し求めるものは得られませんよ」ということを我々は言うんです。
もうひとつ、心の中にあるんだよと。自分が見えてくるとわかるんだと。それが仏教が提示する「人として正しい生き方」です。

人間の心なんて、みんな尊いものだと思っていますが、もともとロクなもんじゃありません。こんなこと言ったらこの国では反発する人がたくさんいるのは知っています。けど、事実ですよ。欲、怒り、憎しみ、高慢、エゴなんかにまみれて、汚れているんです。それは世の中を見渡せば、一目瞭然でしょう?
でもだからこそ、磨きあげていく喜びもあるんです。「人として正しい生き方」でもって、一生かけて心を高めていくんです。これこそ仏教が伝えなければならないことなんです。


誰の中にも、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の十界の生命がある。
地獄・餓鬼・畜生・修羅の生命状態から、人・天・声聞・縁覚・菩薩の生命状態へ高めていくということですよね。
一生をかけて自身を磨きあげる過程が「人として正しい生き方」の人生を歩むことなんだよ、と。



では、どのように生きればいいのか?

日本人が昔から言う「おかげさまで」との思い。
人間、自分ひとりでは生きていけないのであって、他者、皆さまの協力があって、いまの自分がある、ということ。
ならば、ほんのちょっと、みなですくいあげましょう。自分も手を貸しましょう。という共同体をつくることです。

そもそも共同体といったって、特別なものではありませんよ。それどころか、ものすごく身近に、いい例があります。つまり「自分のからだ」ですね。
このからだを「私」というけれど、そこにはたくさんの無数の生命が入り込んでいるでしょ?

共同体として生きるための知恵が必要なんです。それが「慈悲」です。お釈迦さまは、無制限に、限りなく、一切の生命を慈しみなさいとおっしゃる。家族と社会だけじゃないんです。とことん大きくするんです。それも、観念的なことではなく一つの「事実」として、「すべての生きとし生けるもの」にまで、仏教は共同体を無制限に大きくする。その「生きとし生けるもの」という共同体を慈しみ、親切にすることが、生きるうえで基本的な、正しい法則を実行したことになるんです。そこでの見返りは期待しないで、見返りは、現にあなたが生かされていることによって、とっくに得られているんだからね。

みなのためにすることはは、イコール自分のためになっている。それでお互いに生かしてもらっている。そこには誰かが犠牲になるなんてことには、ならないんです。

仏教では「一切の生命は平等で、自分自身に等しいものであるがゆえに、すべての生命を愛すべきだ」と説きます。
これが仏教的な愛、つまり「慈悲」ですね。


すっごく明確でわかりやすいし、誰にでもほんのちょっと心配りをすればできることですよね。
わたしが自分や他者に対してよく言っていた言葉。「現在(いま)の自分にできることをする。」それでいいのだと。


真理は単純なこと。いまを生きてないと思うなら、生きていた段階に戻ればいいだけ。



赤ちゃんに学べ!


予測されたことをやるだけをやっているのでは、生きていることにならないのでは?いわゆる決められたことをパックに詰めただけの生き方ではなく、諸行無常であるその時々(瞬間に向かい合って)に感じたことを生かした生き方とでもいいましょうか。
赤ちゃんや子どもの生きている姿(言動)を思い出してみるとわかりやすいですね。

継時的に自分を見る訓練
通常では脳からの指令を出しているとは無意識にしていることだけど、そこを「手を上げる」を、意識しながら自分の体の動きを確認する。
赤ちゃんが自分の手が動くのをまじまじと見ている姿ですね ^^



 無知な人は、「自分のからだ」に対して、これが私、これが私の我(これが私だと指すことのできる実体)、だと思う。「感覚(感じるもの)」に対して、これが私、これが私の我、だと思う。自分の「意識(心)に対して、これが私、これが私の我、だと思う。
つまりブッダは、「私がいる」という実感が起こる処を、五つ発見しているんです。デカルトが言うように、「考える機能」だけではないんですね


「われ思う、ゆえにわれあり」デカルトの言葉であるが、デカルトは「意識が変わらない」とは言っていない。心身二元論を説く思考の順を追っていくと、この後に体についてまだあったはずだ、と養老先生は言う。ただ、デカルトの寿命が足りなかったのだ、と。

アルボムッレ・スマナサーラさんも同意しながら、「われ思う、ゆえにわれあり。思うことはつねに変わる、ゆえにわれはつねに変わる」なら仏教は反論しないですんだと思いますよ、と。





 「すべては無常。心もからだもその他の物質も、すべては固定したものではなく、瞬時に変わって流れている」というのが、ブッダの立場です。
 しかしほとんどの人間は、「自分も物も変わらないものだ」という前提に立って生きています。生き方も、ものの見方も、なにもかもがすべてあべこべです。
 だから一切は瞬時に変わるものだという立場から、人間がいかに生きるべきかを語り伝えること自体、世界でもっとも難しいことだと思います。「仏教の困難」は、まさにここにあります。
 しかしそれでも私は、皆さまにわかってもらいたいのです。それこそが仏教、人類の師たるブッダが、真に語られたことなのですから。



諸行無常だからこそ、希望があるのだ!






✿✿✿

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by sakura8sakura | 2017-08-21 01:14 | 読書
自然体で生きられたらいいね ♪

義母のお迎えまでの、ほんの少しの時間ができました。
一度、家に帰るには帰ってからの時間はほとんどないだろう・・・
いわゆる、パッチワークDAYのパーツとパーツを繋ぐ隙間時間

立ち止まった銀行の駐車場から見えるは、図書館
ちょっと立ち寄ってみようかな~♪と、ふらり

ペットの本を紹介する特設コーナーに目がとまり、台のまわりをゆっくりと眺めてみたら
敬愛する作家のおひとりである、養老孟司先生の本!

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『ねこバカ×いぬバカ』養老孟司×近藤誠 

対談本なんだぁ・・・ パラパラとめくってみると、愛らしい“まる”のフォト♪


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即決! お借りして連れて帰ることに (*´∀`*)


おもしろい!ためになる! ペット大好きドクター対談 内表紙に帯の紹介部分を貼ってくれてました。

親バカならぬ、文字どおりのねこバカといぬバカの自慢大会のようでお二人のペットとのエピソードが語られています。
「バカだなぁ」の言葉のなかに愛情がいっぱいの養老先生
ペットといっても、一個の人格(猫格?)を尊重しているように感じました。
例えば、
犬は繋がなきゃいけないから飼わない。
まるが仕事中に膝の上に来ると、マウスのもつ腕に頭を乗せるから仕事はそこでお終い!とわかっていてもそうさせてやっている。
ご飯を食べて終わっても、まだ欲しそうなときにはアメリカンフーズのマヨネーズを一匙だけやる。そうすると、まるは心が安定したようにのんびりと毛繕いをする。ちゃんと、まるのことを見てるんですね。
基本、まるが嫌がることはしない。徹底してます。

ペットを飼うための何とか本・・・ではあり得ないことかもしれませんね(笑)

養老先生の物事の考え方の一端をみるような気がしました。

―― 動物はいい。気持ちが休まって。
もうかった、損した、出世した、成功した、失敗した・・・・・・、そんな人間社会の価値観も、全く関係ないでしょう。

要するに猫には、必要なこと、やりたいことだけやって無理がなく、フツーにしてる。僕もそうできりゃ苦労はないけど、まるにはとうてい及びません。



動物には、その動物本来の本能に適った生き方というものがある。

それを認めず、人間の生活にあわせた現代のペット事情?のしわ寄せがでてきているのではないか?
例えば、犬がペットとしてだけ飼われて、実用化されてないから、本来、山で住み暮らす鹿や猪が人間の住む領域に出てくるようになっているんじゃないか。

人間が人間だけが住む為の地球という考えが、自然の均衡を乱しているということですね。


話は進んで、ペット医療について、そして人間の生の終末まで語られています。
医学に精通するお二人の医療の考え方?
わたしは、昨年末Mちゃんを亡くしたときに感じた思いがあって同感することが多いけど、これは受け入れられない!とお叱りの意見もあるかと思います。



養老先生の考えの基底部はここにあるのだと思いました。

(養老)
僕の「自然」の定義は簡単で、要するに「人間が作ったものではない」もの。その意味で、草木だけじゃなく、人間や犬猫の体も自然です。脊椎ができてから5億年もかけて、やっとここまでひとりでに完成したんですから。
 この「ひとりでに」が大事で、つまり自然とは「人間の思いどおりにはならないもの」なんだけど、人間は自然環境に手をつけて、さんざん変更してきたわけです。今、都会では人間の作ったものしか目に入ってこなくて、意識しない限り、自然に気がつくことはない。それが「都市化」の宿命なんです。

(近藤)
同じように生老病死という自然も見えないものにされてしまって。

(養老)
人間のふだんの生活から「生まれて死ぬ」という自然の過程が消えて、ふつうではない「非日常」になってしまってるでしょう。
 まずお産が、日常生活に含まれない「特別なできごと」になり、年をとれば老人ホーム。病気になったら医者にかかり、重くなったら入院するのが当たり前、死ぬところも病院。
 日常生活は健康で元気でまともな人が送るもので、健康が「当たり前」、生老病死は「不祥事」に変わっちゃった。

(近藤)
しかし人間は必ず死にますよね。

(養老)
そう。必ず来るものを遠ざけているって状況は、どこかヘン。葬式も変わって、昔は村でやったり、近所総出でやったりしていました。現在は企業が受けつけてる。社会的慣習が激動しているんです。



ここだけ読んでると、昔の人たちの台詞。現代(いま)はそんなこと言ってられない。との、お叱りの言葉を頂戴しかねませんね(汗)


でも、わたしには、自然に逆らうというか、抗う医療への警鐘に聞こえます。


人間は、「よくなろう」「もっとよくしよう」と頑張ってきたのも事実だし、その恩恵も受けてきたことにも感謝をしています。
でも、あまりにも便利すぎな生活、生老病死に抗う医療は、人間の願いを越えすぎて欲望になっているなのではないかな?と。

先度まで読んでいた『ゲド戦記』の“魔法”をつかうようなことね。

要するに、バランスの問題。過ぎたるは及ばざるがごとし

自然に対して“傲慢”に成りすぎてはいないかな?ということ。


もっと自然に目を向けて感じてみよう!

予想のつかない「自然」の中で動くと生きる上で大切な応用力がつく

生きる上で大切なのは応用力で、それを子どもに身につけさせるには、予測のつかない自然のなかで動くのが一番いい教育になると思うんだけど。

社会生活で起こることは、「ああすればこうなる」ということがある程度わかります。人間のやっていることだから。
ところが自然の中では、わけのわからないことばかりおきる。たとえば同じ場所に、同じ木が10本生えているのに、ある木にしか虫がついてないとか。

頭の中で丸めてしまってはいけない。「丸める」っていうのは、なぜだろうと思ったことを、それ以上悩まなくてすむように、とりあえず自分の中でなだめてしまうこと。
すぐに「そういうものなんだ」って、勝手に答えを丸めちゃおうとする人が、すごく多いでしょ。全部まとめて納得したようなフリをしている。だけど、自然から教わる大切なことって、言葉にならないんですよ。


ある意味教育論ですね ^^



最後にもっともそうだな!と思ったこと。

養老先生、インターンの時に治療の甲斐もなく患者さんがどんどん亡くなっていくことに苦悩されたようです。

(養老)
外科も一生懸命やりましたよ。いい先生がいて、手術の勉強もさせてもらった。その結果、僕は医者にはならないと思ったんです。こわくてできなくなった。だって、患者は死ぬわけで、さっき話が出た安楽死の医者と同じで「いったい何人殺すことになるんだ。患者の死が自分の中に積み重なっていったら、オレはどうなるんだ。やっぱり相手は死んでるほうがいいわ」と思って解剖学に進みました。

(近藤)
これまでの人生や教育で植付けられたウソに、ある時気づいてしまうと、もうどうにもならなくなりますね。

(養老)
でも、そこからが大変で。ウィーンでは19世紀、産褥熱で死ぬ妊婦がすごく多かった。それは医者が石けんで手を洗う程度で妊婦を診察したせいで、手を消毒すればいいことに、ゼンメルワイスっていう医者がきづいたんです。
でも「今まで自分たちは間違った方法で妊婦をたくさん殺してた」ってことを、彼もまわりの医者も認められなかったから、後継者が引き受けるしかなかった。

(近藤)
ゼンメルワイスは最後、気がふれてしまって。

(養老)
彼はもともと相当変わっていたみたいだけど、最後はますますね。とにかくそうやって、今までさんざん殺してきたことを「間違いました」って認められる人は相当少ないんです。自分だけじゃなくてまわりも否定することになるから。


この話の根底には、養老先生が幼少期に戦争を体験していて、戦中の国家の発表と敗戦となってからの国家の態度がまるっきり変わってしまったことがあって、それに対して国家はなんの説明もなくぐずぐずとなし崩しのようにうやむやにしてしまったことがある。

もう一つは、戦争に行く新兵のほとんどが鉄砲をはじめて撃つとき、50%は空を撃つのだそうです。当たり前と言えば当たり前ですよね。銃弾があたれば人は死ぬわけだから、本能的にそうなってしまいますよね。
それを、人めがけて命中するように訓練する。そうすることで人間がおかしくなってしまうのは当たり前なのです。

だから、人間がしたくないこと・見たくないことをやるために、人間が本能で嫌うことを避けるために、空爆するとか兵器がどんどん遠くなるのだそうです。

あの国が悪い!とかで、簡単に空爆などをを容認する人は、それがどういう意味を以て、そこに住む人がどういう状況になるか想像してみるといいですね。



養老先生の生き方から見えること。

対することがらを自分がどう感じているのか見つめていること。
そして、それはどうしてなのかを思索追求していること。
頭の中で丸めてしまってはいけない。


ひとつ、難しいな・・・と残った言葉があります。

今、日本では「自他」の考え方がゴチャゴチャになっているでしょう。
暗黙のうちに成り立っている古い感覚と、明治からはいってきた「近代的自我」、人はひとりひとり独立だっていう考えが混ざりあって。でも、みんなそれをはっきり考えてないですよね。

例えば、
自分が病気であるという自分の問題であっても、それは、自分の病気でなく女房の病気なんだ。って。
困るのは誰?という視点

また、
本人はしたくないのに、家族ががん患者に対して抗がん剤治療や手術を強要すること。
何のための治療?という視点?

普通の感覚(もちろん、わたしの主観的な)で「自他」という言葉を使ってきましたが、「自分と他者」の関係性をよく考えてみないと・・・ですね。




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by sakura8sakura | 2017-08-13 23:07 | 読書
  

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