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『君が戦争を欲しないならば』から学ぶ

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4月、高畑監督の思想を知りたいと購入したブックレット
『君が戦争を欲しないならば』を読みました。

映画「風立ちぬ」の絵を使った『熱風』の表紙が脳裏に浮かぶ…

ジブリが発刊する小冊子『熱風』2013年7月の特集「憲法改正」
当時webでダウンロード印刷しファイルしたものを取り出し再び読んでみました。

憲法を変えることに反対する
宮崎駿・鈴木敏夫・中川季枝子・高畑勲が寄稿している。

歴史も政治のこともよく知らなかった私ですが
「憲法9条の改正」という言葉に危機感をもった!
コレがあるから平和な日本であることができたのに…
「戦争ができない国」から「戦争ができるようになった国」へ
自国の認識以上に、この平和憲法がある日本という重要性
日本が世界にアピールすることはソコでしょ!
そんな思いが湧いた寄稿文だった。
あれからもう5年の時が流れていたんですね。



宮崎監督は、『憲法を変えるなどもってのほか』と題して、日本人にはもともと基本的人権の根拠となる思想がない、この平和憲法があるからこそ日本国民は再び戦争に向かうことがなっかたのだと。
ロバート・ウェストール『“機関銃要塞”の少年たち』を読んで「あ、この人は自分の先輩だ」、自分がどういう質(たち)を持っているかということに気づいたという。
「自分の命よりももっと大事な大義があるんじゃないか」とか「そのために死ぬんだ」と思ってそっちの方へ、ガーンと行ってしまうタイプの人間です。

どういう質であるか… 大戦中、また、敗戦後にアメリカが恐れたのがこの日本国民の気質だったのだろう。
戦中、狂気とも思える行動であっても、正義感の衣をまとうとお国の戦略・命令に忠実に従うという…


鈴木敏夫プロデューサー(当時)は、『9条 世界に伝えよう』と題してこう言っている。
みんな戦いが好きですよね。自分が勝つ側に立つからでしょう。負ける側に立った途端に、やってられない、となる。
一兵卒の視点で想像してみるという想像力が欠けていると思う。
「人間の歴史は、殺し合いだ」その殺し合いが、だんだん残虐になったのが歴史だと。
人間はそういうことをするもんだなぁっていうのが、実際にあるわけで、その中でやっとたどり着いたのがこの平和憲法でしょ。すごい理想主義でしょ。人間がそこまできたってのは、すごいこと。僕はそう思いますけどね。


中川李枝子さんは、『戦争は怖い』と題し、1943年8才の頃の記憶を語っている。
戦争を体験した人の多くが今も自分の心身にありありと甦る恐怖。
学校にいるときサイレンが鳴れば授業は中止、先生の指示で退避訓練どおり行動した。
世界一優秀な少国民だ。「備えよ常に」「油断大敵」「勝利の日まで」「ほしがりません勝つまでは」―― どこからもポスターが少国民を見張っている。


『60年の平和の大きさ』と題して、最後に掲載されている高畑勲監督の寄稿文から抜粋

 私の憲法九条に対する思いは、これは全世界で実現すべき素晴らしい理想の旗であり、日本はこの憲法九条を外交の中心に据えるべきであると、いうことに尽きます。
戦争が国際問題の解決に役立たないで泥沼化するばかりであり、大国がばらまいた武器のはびこりすぎが局地紛争を深刻化していることは誰の目にも明らかです。
対テロ戦争なるものも完全に失敗しています。世界に核廃絶や軍縮や武器輸出の禁止を訴えるためにも、また、紛争は平和的手段で解決しなければならないと考える全世界の人びとの力を結集するためにも、憲法九条は大変大きな旗印になると思います。
要するに、日本のなすべきさまざまな国際貢献を貫く中心理念として、憲法九条は常に積極的にアピールしていくべきだと私は思います。
 ですから私は、憲法九条という、世界に向かって掲げたこの素晴らしい理想の旗を絶対に降ろすべきではない、と確信しています。

 世間には、「現実に自衛隊は存在するのだから憲法もそれに合わせたほうがいいのではないか」「条文を変えても、国会で個々の行動を決めていくのだから、そう簡単に戦争になんてならないよ」と考えている人もかなり多いことを知っています。そこで、ほんとうにそうかどうか、少し雑談させて頂きたいと思います。


 戦争ができないという憲法がある国だから、アメリカに従属していたにもかかわらず戦争に巻き込まれないですんだのではないか? 過去に侵略したアジアの国々との関係で過度の緊張が生まれなかったのではないか?
そういう事実を、しっかりと認識し直すべきだという。(趣旨)

この理想と現実の相剋があるからこそ、多くの人びとの知性は目覚め続けざるをえなかったし、ずるずる行かないための大きな歯止めになってきたのではないでしょうか。
理想と現実の相剋を、理想を捨て去ることによって解決しようとすることほど愚かなことはありません。
この歯止めを外せば、あとはただ最低の現実主義で悪い方向へずるずる行く危険性がまことに高いと思います。

民主主義、意見の違いを許す度量、あるいは人と違うことをする人間を認める度量、そのどれをとっても、歴史的に異分子を排除する、全員一致主義をとってきた日本。
多数派の中にいることで安心し「いじめ」を見て見ぬ振りする子供が多いことを見ても、現在もこの体質は全然変わってないと思います。

書かれている一文は、2006年ごろ、ねりま九条の会で話されてものです。



これが当時の日本国民の姿なのである。そこに自分の意思はない。
現代の我々はどうであろうか?




君が戦争を欲しないならば (岩波ブックレット)

高畑 勲/岩波書店

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 戦争末期の負け戦の果てに、自分たちが受けた悲惨な体験を語っても、これから突入していくかもしれない戦争を防止することにはならないだろ、と私は思います。やはり、もっと学ばなければならないのは、そうなる前のこと、どうして戦争を始めてしまったのか、であり、どうしたら始めないで済むのか、そして、いったん始めてしまったあと、為政者は、国民は、いったいどう振る舞ったのか、なのではないのでしょうか。(7p)



何かことが起これば、その時に湧いた感情を吐き出すかのように巻き起こるバッシングの嵐
同調する空気感、その危険性はとてつもなく大きいと今はわかる。
だからこそ、この本を読んだとき改めて自分の意思を確認した。
この日本という国に住してその立場で自分はNO!を言うことができるであろうか?
戦争行為に荷担することなく理想としている生き方を貫くことができるだろうか?
私が選んだのは、同調する空気感のなかに身を置かないことだった。
そして、自分の理想を語ることができる時にはその思いを語り、自分の意思で行動する。
その難しさをしっかりと胸に留めながら



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出典元 https://matome.naver.jp/odai/2139497431465074201




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by sakura8sakura | 2018-05-16 12:06 | ジブリに学ぶ
『木を植えた男を読む』で学ぶ

『木を植えた男を読む』という本を読みました。
ジャン・ジヨノ『木を植えた男』という物語をもとにF・バックが映像化した内の62点のフィルム画像と仏語原文。高畑監督の訳、物語とジヨノの人物観の解説というか考察。F・バック氏との対談の様子が書かれている本です。



木を植えた男を読む

高畑 勲/徳間書店

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まず、フランス語の翻訳を?高畑監督が?って頭に???がつきました。
高畑監督は東大の仏文学出身でした。(大いに納得!)
全くもって無知な私です^^;



始めにフレディック・バックのフィルム画と共にフランズ語の原文が収められています。

そのあとに、高畑監督(敬意をもってあえてこう呼ばせて頂きます)が訳したストーリーがあります。
現実主義的な氏らしく、丁寧な訳注があります。



Si cette action est depouillee de tout egoisme, si l'idee qui lr dirige est d'une generosite sans exemple de recompense nulle part et qu'au surplus elle ait laisse sur le monde des marques visibles, on est alurs, sans risque d'erreurs, devant un caractere inoubliable.

もしそのおこないにいかなる利己心もなく、おこないに向かわせた考えが高潔無比であり、何の報いも求めなかったことが絶対確実で、しかもそのおこないがこの世に眼にみえるしるしを残したならば、そのときこそ間違いなく、忘れることのできない人物を目の前にしているのである。


generosite(ジェネロジテ)
訳注*1 高潔無比
作中3回使われていて、主人公の行為の性格を表す最も重要な語。
日本語にうまく対応する言葉がない。
高潔、無私無欲。
ただしストイックな面を強調するにではなく、自分の利益を犠牲にして何かを与えつづける心の寛さ。
献身、慈悲。
寛大が最もよく使われる訳語であるが、寛容と誤解されやすい。

訳注*17高潔さ
無私無欲。献身。

訳注*28無私無欲
献身。
献身と訳さないのは、フランス語には別に献身を表す語があり、ジェネロジテの意味を狭くしてしまう。





私は、『木を植えた男』という絵本は認識として知っていましたが、十分考察などしたことはありませんでした。一人の孤高な老人が、ドングリの種を荒れ果てた大地に植え続けたことで木が育ち大地は回復し、人びとは幸せな暮らしを手に入れた。そんなお話だったと記憶しております。




次に、寛大な嘘に秘められた真実と題して、高畑監督がなぜ『木を植えた男を読む』という本を書こうとされたか出版の経緯が綴られています。

森林再生の物語ということにひかれてアニメーションを見に行った私は、いままで学んで来たことが、見事に実証されてゆく姿をこの物語に見出し、まずそれが嬉しくて心が躍った。そしてこの希望と幸せを、現地の人だけでなく私たちにも与えてくれたこの偉人に心から感謝し、たとえ微力でも具体的に何かをはじめなければブッフィエに申しわけがたたないと思った。それほどこの孤高の羊飼いの行いは衝撃だった。

高畑監督は、このブッフィエ老人の行いに感動し尊敬したのだ。そしてこの偉人にたいしての感謝の思いや自分も何かしなければとの思いが湧いたのだ。
だが、後にブッフィエは現実には実在する人物ではなかったことを知り、一瞬でそれらの思いが崩れ去ったのだった。

この、アニメーションを作ったF・バック氏は制作中にこの事実を知り、大きなショックを受け一時は途方に暮れたという。


私がまず出版の経緯を明らかにしたのは、すでに他の訳書やアニメーション『木を植えた男』の解説書などでブッフィエが実在しなかったことを取り上げるか、暗示しているからにほかならない。


確かに『木を植えた男』は、1953年アメリカの編集者の「あなたがこれまでに出会ったことのある、最も並外れた、忘れ難い人物は?」に対する回答として書かれたものであった。
だが、事実を調査した結果、プロヴァンス高地の山村バノンの施設でブッフィエという人物が死んだことはなかったと判明しこの物語は嘘であるとされ、原稿の掲載は拒否された。
そこで、作者ジャン・ジヨノはこの原稿の著作権を放棄して万人に開放したした。
(一般的にはジャン・ジオノと表記していますが高畑監督はこう記述しています。声に出して読んでみるとなるほど!と思いました)
そのおかげで、このエルゼアール・ブッフィエの物語は世界中に広まり私たちも手にし読む事ができているのだ。そして、この物語は多くの国で森林再生の努力を励まし続けている。


高畑監督は、このような感動的な物語のあとにこのような解説をつける必要があるだろうかとの疑問に対して、『木を植えた男を読む』という本を書くことは矛盾しているかもしれないとの思いを吐露している。
それでも、書かずにはいられなかった高畑監督のおもいが伝わってくる。


ジヨノの先見性は明らかであり、あの時代の趨勢をみれば、この物語を実話と偽ってまで人の心に喰いいらせようとした危機感の深さ正しさを、今になって私たちは知ることができる。ジヨノはブッフィエのような人間が他にもいたから書いたのではない。居なかったからやむを得ず創り出したのだ。私はその意味で、『木を植えた男』が、私たちの不安をまぎらわす一服の清涼剤にとどまることをおそれる。たしかにこの物語は、砂漠でオアシスを見出したような深い安堵感幸福感を与えてくれる。しかし、ジヨノはこの物語によって、私たちに生き方を改め、現実を変えるために行動を起こすことをねがったのである。この、ジヨノの本来の意図を汲みとることこそ「木を植えた男」が実在しないことを知ってしまった私たちに課せられた、重い重い課題なのだと私は思わずにはいられない。




事実ではなかったが、この物語が読み手に与えた力、「行動しよう、してみよう」と、思わせるこの力は何だろう。
このエルゼアール・ブッフィエが読み手に働きかけるという行動がジャン・ジヨノの本当の思いであったであろうし、F・バックのアニメがもつ表現をつくる真摯な態度であり、高畑監督が目指し映画制作において実行してきたことなのだろう。 generosite(ジェネロジテ)



未熟な私の所感なので、きっともっと深い思考だとは思いますが…
高畑監督の思考過程というか考え方が読みとれます。
超!お薦めの本です(o^^o)



1987年公開『柳川堀割物語』をまだ触り程度ですが確認しました。
その地に住む人びとに現実的に行える一つのヴィジョンを示し、住民が自らの手で行ない、きれいになっていくことが嬉しく気持ちいいと感じる体験が持続していく要なのだ。
ドングリの種を植えるブッフィエは、私たち一人一人であるということ。



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対談当時の高畑監督 当たり前ですがお若いですね(´艸`)
この対談、一見の価値ありますよ!



『木を植えた男を読む』で、今回出会ったジャン・ジヨノ氏 と F・バック
お二人のこと、作品を知りたいと思いました。
これからも、学び自分磨きします♪



2011年に開催された フレディック・バック展のイメージソング


ダウンロードして聴きました♪
いい歌ですね。
ここでお聴かせできないのが残念!









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出典元 https://matome.naver.jp/odai/2139497431465074201




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by sakura8sakura | 2018-05-08 11:42 | ジブリに学ぶ
『かぐや姫の物語』DVDを鑑賞ました。

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竹から生まれた子
竹の中に座るその子は、にっこりと微笑み完成された大人を思わせるような姿の姫でした。


竹から取り出され 翁の掌に大切に包まれ家に連れて帰る。
翁の掌で眠る姫は、いわば “死“ そして、媼の掌の上で再び生まれたということなのだろう。


媼の手に移ったその子の着ていた衣はパッと飛び、媼の手の上で跳ねるようにみるみる内に生まれたての人間の赤ん坊となった。貰い乳に行く途中、媼の身体の内になにやら変化が!赤ん坊の泣き声で乳が出る。きっと、あのような感覚ののだろう。
乳を飲み、笑うごとに重くなる赤ん坊。それはまるで竹の子が伸びる速度のように目に見えて育っていく。

寝返りをし、蛙を見てまねて這いだし、目につくものに興味をもち手を伸ばす。
這えば歩けの親心という言葉があるが、子は自ら前へ前へと成長していくのだ。
愛らしいその姿や動きに思わずにっこりとする、子どもの成長、生きる姿を見事に描いているシーンだ!







挿入歌 「わらべの唄」
作詞 高畑勲 坂口理子 / 作曲 高畑勲

山の子たちが歌っている「わらべの唄」
水車が回るように 日は巡り 季節も巡る 
生まれて死んで、それも自然の姿そのものなのだ、と。

自然と共に生きている人の風景がありありと浮び上がってきますね。

それを、生まれてまだ月日の経たない姫が歌っていることに注目!

そして、その続きである「天女の歌」を姫がひとり歌う

♪まわれ めぐれ めぐれよ 遙かなときよ
めぐって 心を 呼び返せ
鳥 虫 けもの 草 木 花
人の情けを 育みて
まつとしきかば 今かへりこむ ♪
( 本当に私を待ってくれるなら 私はすぐにここへ帰ります。)

「わらべの唄」から、一転、変調されて歌われる「天女の歌」
二度目のDVD鑑賞時は、この歌を聴くだけで落涙です。

高畑監督の溢れんばかりの詩心が伝わりますね。



この映画のコピー「かぐや姫が犯した罪と罰」
かぐや姫は、どんな罪を犯し罰を受けたのだろう…

誰のものにもなりたくない、ただ嫌だ嫌だと言うばかりで、自分がどう生きたいのかを自分で確認せず行動することもなかったということだろうか?…それが、五人の貴族方の不幸を招いてしまったこと…いのちを奪ってしまった罪?…

糸を紡ぐ、機を織る、畑を作る、庭をつくる、食料を調達する……
媼や山の子たちの姿は生きているという実感がある。
翁もかつては竹を切り細工をし物作りをしていたのだが、姫の幸せは高貴な姫となり高貴な殿方に嫁ぐという、姫の本意を無視した自己満足に陥ってしまっていたのだろう。
翁の言う「高貴なもの」とは何?それは翁の観念であって、偽りのものを見抜けない。
帽子(名称が解りません^^;)の高さを認知できず必ず当たって落としている翁の様は滑稽です。
高畑監督が言う、「ナンセンスなものにはナンセンスで」が表現されているところだと思います。


今は昔…と冒頭に竹取物語が語られる、今となっては昔のことですが…と。

何の為に此処に生まれて来たのか、それが解るのは最期が間近になったとき。
生命の輪廻を描くこの物語は、人間の成長速度と違う竹の子どもだからこそ高畑監督の思いがストレートに伝わってくる。

山の子たちが生きているように、生きて生の喜びを感じるために生まれて来たんだよ!
すて丸兄ちゃんが言ったように、草の根をかじったり、時には失敬することもあるけど、それでも、そこには生きている実感がある。

かぐや姫となった姫は人形のように置かれた存在でしかない、誰もほんとうの姫の姿を見ていない…
今の自分は生きていないことに気がつく、生きるためにここに来たのに…絶望。

自分の意思というよりも、湧き起こる衝動のように十二単を一枚一枚脱ぎ捨てながら宮中から駆け去っていく。文字どおり疾走してゆくかぐや姫、その先には大きな大きな月がある。

駈け、泣き、迷い、喪失感の果てに雪原の上に倒れる そして見た月。



無情にも、別れのお迎えはやって来る。

月に還るシーンは、きっと釈迦と多宝の二仏並座だよね!

振り返り地球を見るかぐや姫の表情は、記憶には残っていないが心に残る何かがあるそんな曖昧な表情は、
絶望の果てに感じた体験、すて丸兄ちゃんと駆け、笑い、飛行したあの記憶「いのちの記憶」があったのだろう。







怒り疾走するスピード感

感情が表情に表れる描写

鳥 虫 獣 草 木 花

山里の風景

懐かしいと感じる 心情風景

桜の木の下で喜びの感情を発散させながら舞うかぐや姫

媼の優しい手の動き

揺れる レンゲやつくしに いのちの喜びを感じる


リアルよりもリアルさを感じさせる動き

水彩画のような優しく素朴な絵

素描のような激しいタッチの線


など など など・・・

高畑監督の最期の作品となった『かぐや姫の物語』
感想をうまく言葉にできないじれったさでいっぱいですが
今の感じたことを書き綴ってみました。

二時間越えの大作ですが
物語の中に引込まれ、そんな時間を感じさせないです。





*****


高畑監督がお亡くなりになったことを、4月5日の朝に知りました。
記事を書こうと思いもしましたが、なにぶん高畑監督の作品にキチンと向き合っていないことを反省し、高畑監督の最後の作品である『かぐや姫の物語』を鑑賞してからとの思いがあり、今日の日となりました。
亡くなられて、早や四週間が経ちました。
この間、高畑監督のお人柄や思想をジブリの鈴木敏夫氏の言葉などから、わずかながら学ばせていただきました。
奥が深い人だなぁ…と感じております。

これからも、宮崎作品と共に高畑作品から、生き方を学ばせていただきたいと思っております。


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ご冥福をお祈りいたします。合掌



2018.4.5 AM1:19 この世を去られた高畑勲監督(享年82才)

心を込めて、ありがとうございました!



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出典元 https://matome.naver.jp/odai/2139497431465074201



***2018.5.6追記***


西)なぜ今、スタジオジブリが『かぐや姫』なんかをつくるのですか?
高)あなたは、かぐや姫の話を知っていますか?
高)この三つの質問に答えられますか?

①数ある星の中から、なぜこの地球を選んだのか、そして、なぜ去らねばならなかったのか?

②少なくとも三年半くらいはこの地球・日本にいた彼女は、その間、何をしていたのか?そして、何を思い何を考えていたのか?

③かぐや姫は自分の口でこう言った。「月の世界で罪を犯しその罪としてこの地に降ろされたのだ」彼女の犯した罪とそして罰はなんだったのか?


この三つの質問・疑問に答えようとするのが私の映画この映画です。
そのとき、この日本でつくるに値する映画ができる。
そのとき、ある一人の女性の姿が浮び上がるはずだ。


高)『竹取物語』は源氏物語のなかで、物語のいできはじめの日本最古の物語文学
この竹取物語は、物語として果たして完結しているのでしょうか……?
この物語には隠されたもう一つの物語がある。
一人の女性が生まれて生きて、そして、死んでいく
このかぐや姫という一人の少女が、その時々に何を思い何を感じたのか、僕らのつくるかぐや姫の物語という映画は、一人の女性かぐや姫の真実の物語だ。



「この世は生きるに値する」

この地で、一人の女性が生きた
笑い、泣き、喜び、怒り
その短い生の一瞬一瞬に
いのちの輝きを求めて
(PRコピー)








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by sakura8sakura | 2018-04-29 23:10 | DVD鑑賞
  

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